3の1 相馬狙撃戦
天正十年(1582)十月、半年の旅を終えて湯目又次郎殿(十九歳)が米沢城に帰って来た。
遠藤隼人(十一歳)も若様(政宗十六歳)と一緒に報告を聞いた。
「若様、ただいま戻りました」
埃まみれの又次郎殿から、過酷な旅だったことが想像出来た。
「ご苦労だった。早速だが報告を聞こう」
「はっ」
若様の前に又次郎殿は腰を下ろした。
「遠藤殿の預言の通り、六月二日に本能寺で戦いが起きました。明智光秀の謀反で、織田信長と嫡男信忠が自刃。その直後に羽柴秀吉が備中から大返しして来て、六月十三日に山崎の戦いで勝利しました。明智光秀は落武者狩りで落命したとか、それは偽首で落ち延びたとか、京は噂でもちきりです」
隼人にとっては、想定通りだ。
「羽柴秀吉か、ご苦労。他の様子はどうだ?」
若様は話の先を促した。
「織田信雄が尾張国、織田信孝が美濃国を引き継ぎましたが、両家に勢いはありません。北国を柴田勝家(六十一歳)が、京から西を羽柴秀吉(四十六歳)が獲得しました」
又次郎殿が一息つく。
「徳川家康(四十歳)は三河、遠江、駿河に加えて甲斐と南信濃を切り取りました。北条氏直(二十一歳)は伊豆、相模、武蔵、下総、北上総に加えて上野と南下野を切り取りました」
話を聞き、隼人の方に若様が振り向いた。
「この後はどうなる?」
隼人は正直に答える。
「羽柴秀吉が柴田勝家を滅ぼします。羽柴と徳川の戦は引き分けで、九州平定とともに関白豊臣秀吉と名を変えます。政略結婚で徳川家康を臣従させ、関白は二〇万の軍勢で小田原攻めを行います。奥州仕置は、天正十八年(1590)で、八年後です」
「うーむ」
若様と又次郎殿はうなった。
「秀吉の天下統一か、面白くないな」
「若様、我ら力を合わせて勝ちましょう。敵は二〇万の寄せ集め」
又次郎殿が若様に進言した。
「よし、俺は八年で奥羽を束ね、関東を従えて、関白の秀吉と戦う。二人とも知恵を貸してくれ」
「ははっ」
又次郎殿と隼人は平伏した。
又次郎殿は、東海道の要所を書き出し、京都の地図を描いて、若様と近習たちに説明した。
隼人は預かったライフル資金(一〇〇貫文、500万円)の残りで、ライフル銃を追加注文し、硝石、石けん、かえで糖作りを始めた。
富国強兵には、産業が大切である。
硝石は、雨の当たらない小屋で、旧家の床下土、蚕の糞、ウドやヨモギ、人尿を混ぜて作る。
四年後にこの土を桶に入れ、水に溶かして上澄み液を煮詰め、灰汁を加えて上澄み液を布でろ過し、半分量にまで煮詰めてろ過し、桶で一晩冷やすと針状結晶の硝石となる。
予定では、小屋一坪当たり二貫六〇〇匁(約10キロ)の硝石が得られる。
石けんは、水に水酸化ナトリウムを溶かして温め、同温の油とよく混ぜて型に入れ、翌日小さく切り分けて、陰干しを一ヶ月する。
肌用石けんは、石けんを削って粉にし、飽和食塩水で洗ったあと、箱などに押し込んで成形したもの。余分な水酸化ナトリウムが除去されている。
かえで糖は、冬の楓の木に穴を開け、したたる樹液を容器で集めて、焦げないように煮詰めたもの。
日本の「イタヤカエデ」や「ウリハダカエデ」の樹液は、カナダの「サトウカエデ」の樹液より糖度が低いので、四〇から五〇倍に濃縮して作る。ゆえにミネラル分が豊富でさっぱりとした甘さだ。
そうやって天正十年は暮れ、天正十一年(1583)の正月を迎えた。
初春といっても、米沢はまだ一面の雪景色だ。
若様(政宗十七歳)は、当主の父輝宗公(四十歳)に願い出た。
「俺を鉄砲組頭にして下さい。それが叶わぬなら、先手組頭に是非とも。必ずや敵の大将首をあげてみせます」
押しに弱い輝宗公は、嫡男である若様の願いを許可した。
「伊達家の鉄砲を政宗に任せる」
若様は早速、鉄砲組を組織した。
【伊達家鉄砲組頭】伊達藤次郎(政宗)本隊、馬廻五〇名。
原田(左馬助宗時十九歳)隊、ライフル五丁と兵一五名。
湯目(又次郎景康二〇歳)隊、堺筒一〇丁と兵二〇名。
伊達(藤五郎成実十六歳)隊、信夫産二〇丁と兵三〇名。
片倉(小十郎景綱二十七歳)隊、米沢産二〇丁と兵三〇名。
鬼庭(石見守綱元三十五歳)隊、衛兵三〇〇名。
鬼庭家は、伊達家譜代の家臣である。若様はよく知った鬼庭石見守を鉄砲組の護衛として、傘下に引き入れた。




