3の2 相馬狙撃戦
無事に田植えを終えた天正十一年(1583)五月、いつものように伊達家は相馬を攻めた。
まずは国境に近い伊具郡の丸森城が第一目標だ。
この城には相馬家臣の門間大和が、城代として常駐していた。兵数はおよそ三〇〇名。
攻める伊達軍は総勢四五〇〇名で、そのうちの五〇〇名は若様(政宗十七歳)が率いている。
近習の遠藤隼人(十二歳)も初陣となった。
丸森城は、北に阿武隈川、西に五福谷川が流れる小高い丘だ。
四五〇〇の軍勢で総攻撃すると、二日で落城した。
五月十七日、城代である門間大和が捕らえて、処刑された。
お殿様(輝宗公四十歳)は、新城主に黒木宗俊を置いた。
黒木宗俊の祖先は、伊達一門の懸田氏だったが、政争に敗れて相馬家臣となった。父は黒木家に婿入りしたが、息子たちは伊達家に帰参した。それが黒木宗俊だ。
翌十八日、相馬義胤(三十六歳)の本隊が救援に現れた。
城は前日に落ちて間に合わなかった訳だが、野戦となった。
伊達軍四五〇〇対相馬軍一五〇〇。その差は三倍だが、伊達の農兵主体に対し、相馬は騎馬が多くて強い。
戦場を縦横無尽に駆ける大将の相馬義胤。
伊達家とは血縁関係で、若様(政宗)の「はとこ」である。
隼人は初の戦場で興奮していたが、鉄砲組を率いる若様は冷静に戦況を見極めていた。
「鬼庭隊三〇〇は鉄砲隊を守れ。すべての鉄砲は敵の大将だけを狙え。いざ、撃ち方始め!」
若様が命じると、雷鳴のようにライフルや火縄銃が発射された。黒色火薬の白煙が上る。
今度の戦は、遠方まで届くライフル銃がある。
「当たった。数発は当たったぞ」
鉄砲衆から歓声が上がる。そして鎧武者が落馬した。鉄の小札を色紐で編んだ古来伝統の鎧兜を身に付けていた。
「よし、次は侍大将を狙え」
原田隊の隊長である左馬助殿が指示を出した。
隼人は近習として、お側で若様を見守った。
若様は独眼で望遠鏡を覗いて、微笑んでいる。どうやら勝ち戦の様子だった。
相馬軍は次々に有力武将を失った様子で、敵兵は散り散りに逃げて行く。
「我ら鉄砲組五〇〇名、追撃に出る。いざ、前進じゃ」
若様は、いくさ感が良い。
相馬家当主討死で大混乱の金山城や陣林城を無視して、郡境である旗巻峠へ、南東に三里(12キロ)も突っ走った。
峠の東一里半(6キロ)に要衝である相馬中村城はある。
城代は次弟の相馬隆胤(三十三歳)だ。力は強いが、猪武者として有名だった。
敵兵およそ五〇〇名が城から討って出て来た。
若様の傘下には、無傷の鉄砲組五〇〇名と戦功が欲しい伊達家武将たちが三〇〇名ほど、新たに加わっていた。
隼人は感じていた。
若様にはカリスマ性がある。声が大きく、堂々とした態度、なによりも眼力が鋭い。
「峠から撃ち下ろしだ。細くなって登って来る先頭を撃て」
味方の士気も高い。
たった五五丁の鉄砲でも、集中して使えば威力が凄い。
相馬家で威勢の良い敵武将たちは、みんな撃たれて地面を舐めた。弟の相馬隆胤も人知れず、死体の山の一部となった。
敵の弓矢も飛んで来たが、隼人は心配しなかった。
若様には戦いの神様が付いている。当たらないだろう。
もし、当たっても当世具足を貫く威力はないだろう。
「よし、峠を下って、夜までに中村城を落とすぞ」
若様が馬に鞭打った。
「若様、好事魔多しと言います。慎重に進んで下され」
駆け足で追う隼人は、忠告を入れた。十二歳の身体に鎧を付けると、走るのもやっとだ。息が切れる。
「我らが道を作ります」
小十郎殿が、たまらず前に出て行った。
結局、城を守備する三弟の相馬郷胤(三十歳)は降服した。
「兵は助けるが、相馬郷胤は責任を取って自刃せよ」
若様は厳しかった。
「おそれながら、戦死した兄の義胤には、遺児が居りまする。虎王丸三歳の命だけは助けて下さい。お慈悲を持ちまして伊達家の血縁でもありますし」
伊達家の使者にこう述べたそうだ。
「わかった。俺の領地から毎年蔵米六〇〇石を虎王丸に与えよう」
独眼竜の若様も、今回は時間を優先させた。
夕刻、相馬郷胤は切腹して開城。
その首は丸森城にいるお殿様(輝宗公)に届けられた。
相馬氏本拠である小高城から、虎王丸が出頭して来た。後見役に木幡高清(四十七歳)が着いて来た。
ほかの主な重臣たちは戦死するか、逃げてしまったらしい。
相馬家嫡流の遺児が臣従して、戦は終わった。




