11の3 天下平定
日が暮れて、島津義弘の嫡男である久保(十七歳)は、生き残った。
「若様、ワシに伊達政宗を斬らせて下さい」
押川強兵衛(十九歳)が申し出て来た。諜報と暗殺を得意とする者だ。
「戦は負けたが、まだ薩摩には総帥の伯父上(義久)が居られる。政宗の首を取れば、引き分けだ。やってくれ」
こうして島津の夜襲が決まった。
夕刻、遠藤隼人(十八歳)は、右府様(伊達政宗公二十三歳)と合流した。
支倉長経殿(十九歳)も、敵の大将を撃ったと報告した。
伊達藤五郎殿(二十二歳)や原田左馬助殿(二十五歳)も、夜に集まった。冷静な小十郎殿は、持ち場を離れなかった。
「追撃して九州まで攻め取るぞ」
右府様も勝利に高揚していた。
兵糧輸送の泉田安芸殿(六十一歳)が、打ち合せに呼ばれた。
「大坂城で得た銭と米が使えます。九州まで行けます」
「よし」
その野営の伊達本陣に、突然敵が斬り込んで来た。
「チェスト。キェーイィ」
かがり火に映ったのは、八人くらいの奇襲部隊だ。太刀を天に突き立てて走って来た。
「敵だ!」
右府様、藤五郎殿、左馬助殿は刀を抜いた。隼人も脇差を抜く。
支倉殿が拳銃を撃った。続けて六人まで撃った。
敵の残り二人は、怯まず斬り込んで来る。
対応が遅れた泉田殿が、肩から胴まで斬り下げられた。
「ぐはっ」
その敵を左馬助殿が胴薙ぎに斬った。
右府様は、最後の敵を自ら斬り倒した。
「名刀が欠けたぜ。勿体無い」
堂々とした右府様だった。
「泉田、すまぬな」
即死した泉田殿には、後を継ぐ子がいない。
「この政宗を守って死んだと、この地に石碑を建てて祀ろう」
右府様は手を合わせて祈った。
宇喜多秀家に後を任せて、九州攻めに移った。
九州薩摩の鹿児島にいた総帥の島津義久(五十七歳)は、三人の弟と従兄弟の敗死を知った。
「完敗か。あとは如何やって島津家を残すかだ」
家老たちは「まだ負けていない」と言うが、伊達に勝てる見込みがない。
島津義久は髪を剃って「龍伯」と名乗った。
「家督を久保(十七歳)に譲る」
北九州の小倉で、龍伯は伊達家に降服した。
天下を平定した右府様は、大名の再配置を命じた。
島津久保に、薩摩と大隅安堵、四九万石。
宮部長房は、日向転封、二九万石。
細川忠興は、肥後転封、五七万石。
伊達成実には、北豊前、筑前、筑後一〇〇万石、「九州探題」を命じる。
鬼庭綱元には、肥前、壱岐、対馬五八万石。
後藤信康には、南豊前、豊後五三万石。
九鬼守隆は、淡路転封、六万石。
蜂須賀家政に、阿波安堵、一九万石。
仙石秀久に、讃岐安堵、一八万石。
加藤嘉明は、伊予転封、三八万石。
生駒一正は、土佐転封、二〇万石。
里見義康は、長門、周防転封、二九万石。
上杉景勝と直江兼続は、因幡、伯耆、出雲、石見、隠岐転封、六八万石。
真田昌幸と幸村は、備後、安芸転封、五〇万石。
宇喜多秀家に、備前、備後安堵、五二万石。
蒲生秀行は、美作転封、二三万石。
徳川宗康と本多忠勝は、播磨転封、五二万石。
屋代景頼には、丹波、丹後、但馬五二万石。
湯目景康には、大和、伊賀、紀伊九四万石、「京都所司代」を命じる。
「南蛮船と明船の貿易港を、長崎、堺、敦賀、下田の四港に限定する」
原田宗時には、仙台八三万石、「奥州探題」を命じる。
片倉景綱には、相模二〇万石、伊達家の「大老」を命じる。
遠藤宗信には、福島一二万石、伊達家の「側用人」を命じる。
「伊達家の大学を仙台、江戸、京都、福岡に設置する。足利学校と合わせて五大学だ。文学、理学、医学を学ぶこととする」




