11の2 天下平定
天正十七年(1589年)八月、伊達軍二〇万名は、大坂城を包囲していた。築城した豊臣秀吉は、もうこの世にいない。
新しく配下となった伊賀者から、九州の島津が軍勢を集めているとの知らせが入った。
右府様(伊達政宗公二十三歳)は、国境防衛に将兵を配置した。
山陰道に、宮部六三〇〇と細川三六〇〇。
山陽道に、宇喜多一万七一〇〇と蒲生九三〇〇。
対伊予に、仙石五一〇〇と加藤水軍六六〇〇。
対土佐に、蜂須賀五七〇〇と生駒三〇〇〇。
対淡路に、九鬼水軍一八〇〇。
大坂城の包囲には、右府様直卒である奥州と東国の兵一五万二三〇〇が残った。
「城内に噂を流せ。『黒田長政が裏切った』とな。城主の豊臣秀次は無能だ。きっと仲間割れになる」
その夜、諜報組織の黒巾脛組が動いた。
翌日、右府様は全軍を北に移動させた。小荷駄が最後尾だ。大坂の城兵を油断させて、噂が本当であるかのように見せた。
攻め手が急に引き、城内では「何が起きたか」と口論が生じた。悪い噂に血が上った者が暴れて、黒田長政が斬られたらしい。
「よし、城の頭脳が無くなったぞ」
右府様はあきれて、苦笑いした。
勢いがついた秀次たちは、去って行く伊達軍に追撃を掛けるべく、城外に出て来た。
そこで右府様は、全軍に反転を命じた。
伊達の騎馬隊は、足が速い。あっという間に、秀次を取り巻いて手槍にかけた。
主のいない大坂城は、ほぼ無傷で伊達軍のものとなった。
大条実頼が、兵二三〇〇で大坂城代となった。
島津の大軍は、安芸広島城に集まっていた。
その数は、約一〇万らしい。
島津方の別働隊として、立花宗茂(二十三歳)の一万数千が岡山城を攻撃していた。
守っているのは、城主・宇喜多秀家(十七歳)の兵一万七一〇〇と、与力で蒲生氏郷(三十四歳)の兵九三〇〇。
数では伊達軍が優勢だった。
「次の決戦は岡山城だ。そこで島津の遠征軍を迎え打つ」
右府様は、伊達軍本隊一五万を西に向けた。
「先陣は伊達藤五郎の二万。二陣は湯目又次郎の二万と上杉ら与力。三陣は原田左馬助の二万と奥羽の与力。四陣は片倉小十郎の二万。本陣が俺(右府様)の三万三〇〇〇だ」
「右府様、ひとつ心配があります。薩摩の示現流です。諸国武者修行した若い開祖が、薩摩に帰っている筈です」
近習で宿老の遠藤隼人(十八歳)が、西への進軍中に話した。
「示現流とは何か?」
「剣術です。八相に構えたまま走り寄り『一の太刀を疑わず』と全力で斬り込みます。一撃必殺の剣術です」
馬上の右府様は、少し考える様子だった。
「そうか。伊達は、騎馬や鉄砲で遠距離攻撃に優れるが、島津は斬り込みなのか。戦いの前に良い話を聞いたぞ」
「一般的に夜は接近戦です。連戦連勝で、油断なきよう」
隼人は注意を促した。
八月十二日、岡山城付近に着いた。
城から使者が走って来た。
「城外で、蒲生隊九三〇〇と立花の一万二三〇〇が激突し、蒲生氏郷殿がお討ち死に。宇喜多の殿様は、城に戻って籠城しております」
右府様は、使者に詫びた。
「遅くなって済まぬ。俺たちは土地勘がないので、案内を頼む」
「ははっ」
岡山平野の真ん中を流れる旭川。その西岸に岡山城がある。
伊達の大軍が陣を張るには、上流側で川を渡って、小高い丘の上がよい。
案内によると地名は、半田山(標高88m)であった。
遠藤隼人が、望遠鏡で岡山城を観る。南方に3キロちょっと。周囲は平野だ。
南西に3キロの京山(標高80m)には、旗が上がっていた。立花宗茂の一万だ。
南西に5キロ弱の山(富山城、標高131m)には島津が入った様子だった。山の麓には一〇万の兵がいるのだろう。
右府様は、重臣と臣下の大名を集めて、気勢を上げた。
「雪解けの二月から丁度半年、皆の衆よく戦って来た。この東西決戦で天下が決まる。必ず勝って、各自の武名を、天下に響かせよ」
「おおーう!」
武将たちが、気合いで応える。
「各自、持ち場に着け」
「遠藤隼人に狙撃隊二〇〇名を任せる。支倉長経(十九歳)に機動隊四〇〇名を任せる。敵の大将を狙い撃て」
「ははっ」
隼人は、返事をして右府様を見た。この人に天下を取らせたい。やんちゃな田舎の若様が、出会って七年で右大臣になった。あとは将軍しかないだろう。
隼人は、支倉殿と作戦を立てた。
「敵陣、富山城の近くまで寄ります。狙撃隊は前方から、機動隊は騎馬で廻り込んで後方から、敵将を狙い撃ちしましょう」
「おう、生きてまた会おう」
八月十三日の未明に、月明りを頼りにして移動した。
「敵の大物らしいのが居ました」
城の麓の朝、およそ二万の大将が、近習たちと飯を食べていた。
「みんな静かに大将を狙え。準備はよいか。では、撃て」
隼人の命令で、二〇〇人の鉄砲名人が、一斉に撃った。
当たった。
隼人は、望遠鏡で確認した。武将が倒れ、近くにいた重臣たちも守ろうとして撃たれ死んだ。
撃たれて死んだのは、いくさ上手の四弟、島津家久と息子たちだった。
知らせを聞いた総大将の島津義弘は、鬼の形相で怒った。
「油断したな家久。仇はワシが取ってやる」
そこに新たな知らせが来た。
「島津忠長様、お討ち死に」
後方の二万を任せていた従兄弟の忠長が、伊達の騎馬鉄砲隊に襲われたそうだ。
「無傷の六万は、混乱した兵を落ち着かせよ。総大将のワシは無傷だ」
敵の島津軍に乱れが出た。
最初に伊達藤五郎殿(二十二歳)の兵二万が、突撃したようだ。
斬り合いが始まる。
中でも黄色い母衣で槍の後藤殿が、目立って強かった。
伊達軍の四分の一が「鉄砲隊」だ。
各地で、雷鳴のような一斉射撃が響いた。
伊達軍一五万と島津軍一〇万がぶつかり、戦場は混とんとしていた。
隼人たち狙撃隊は二〇〇名しかいない。戦いに巻き込まれないように、ときには隠れて、遠距離の狙撃に徹する。
狙撃隊は、見通しの良い山中に退避した。
ここで敵将と鉢合わせする。島津家の「十字の旗」を揚げていた。
「うわっ、敵将だ。撃て、うてーっ!」
隼人の指令で、狙撃隊二〇〇名は、顔の見える距離で敵の部隊三〇〇名と撃ち合った。
伊達の鉄砲名人たちだ。狙いは正確。敵将を撃ち殺した。
撃たれて死んだのは島津三弟の歳久だった。
「歳久も死んだか。ワシはこれから伊達政宗の本隊に突っ込む。最後に生きていた方が、勝ちである。薩摩隼人の意地を見せよ」
総大将の島津義弘は騎乗し、本隊三万を前に進めた。
「目指すは、日の丸の伊達本陣。進め!」
周囲が前進突撃した時、後方から騎馬の小隊が寄せて来た。
「うわっ、敵だ」
義弘の馬廻りの中馬大蔵が叫んだ。
敵の騎馬隊二〇〇名は、馬上から短筒の鉄砲を連射しながら、総大将の義弘に迫った。
大将をかばって長寿院盛淳が、撃たれて落馬した。
義弘は勇ましく、馬上で太刀を抜いたが、数発の命中弾を受けて落馬した。
絶命は間違いない。
伊達の騎馬隊は、颯爽と引いて行った。




