10の1 大決戦
天正十七年(1589年)三月末。
東海道軍の八万が尾張清洲城を攻めている時、中将様(伊達政宗公)の本隊五万は横をすり抜けて、小牧山城に迫った。
小牧山城は清洲城の北東方向で、広い尾張平野に、ぽつんと立つ独立峰である。
過去には、小牧長久手の戦いが起きた戦地でもあった。
西側には河岸段丘の長い崖があるので、攻撃はおのずと南北方向または東からに限られる。
尾張の領主である福島正則は、清洲城に居るので、小牧山城は手薄だった。
中将様は、敵の弱点を見逃さない。
小牧山城を急襲して、城を落とした。
清洲籠城の福島正則も、片倉小十郎殿による攻撃の苛烈さに驚き、夜陰に紛れて脱出した。
後を追う福島家の兵たち。
小十郎殿は鉄砲で、敵の敗走兵を一斉射撃させた。
夜間射撃だったが、かなりの手傷を負わせたようだ。
占領した清洲城に一二〇〇、小牧山城に一〇〇〇の兵を置いた。
伊達本隊五万と東海道軍八万は合流し、北の犬山城へと向かう。
犬山城代はすぐに降服し、無傷で城を獲得した。
犬山城に兵一〇〇〇の守備隊を残して、伊達軍はゆっくりと西に向かう。
中将様は、美濃の関にいる東山道軍の伊達藤五郎殿に、本隊合流を命じた。
四月八日、各務原で東山道軍二万六〇〇〇が合流した。
「藤五郎、ご苦労、久しいな」
中将様が明るく声を掛けた。
伊達の進軍が、ここまで順調すぎて、皆怖いくらいである。
「おう、中将様に隼人殿、小十郎殿も息災で何より」
藤五郎殿は、より逞しくなったようだ。
精悍な表情に自信がみなぎっていた。
「ここから岐阜城まで二里半(約10キロ)です。これを落とせば、大垣城、関ケ原、佐和山城、瀬田の唐橋。あと少しで京の都が手中に入ります」
「隼人殿、取らぬ狸の皮算用だ。遠くを見ていて転ぶなよ」
小十郎殿が注意をくれた。
「すみません。先走りました」
中将様は微笑んでいるが、隻眼は真剣だ。
「隼人には、この戦でライフル二〇〇丁を任せている。遠撃ちで敵将をやっつけろ。武士の意地を見せるがいい」
「はい」
遠藤隼人は気を引き締めた。
「黒巾脛組の報告では、秀吉は京に戻ったらしい。あと十日以内に決戦となるだろう」
中将様が、西を向いた。
「決戦は岐阜城下でござるな」
藤五郎殿が、小十郎殿と顔を合わせて、不敵に笑った。
「明朝までに軍を再編する」
中将様が宣言した。
【美濃各務原の伊達方一五万五〇〇〇】
先陣 伊達藤五郎(成実二十二歳)二万一〇〇〇。
二陣 片倉小十郎(景綱三十三歳)二万六〇〇〇。
三陣 白石若狭(宗実三十七歳)二万五〇〇〇。
四陣 亘理美濃(重宗三十八歳)二万五〇〇〇。
本陣 伊達政宗(二十三歳)四万。川崎山(標高74m)
狙撃隊 遠藤隼人(宗信十八歳)スコープ付前装ライフル二〇〇丁。
機動隊 支倉長経(十九歳)拳銃二〇〇丁、後装ライフル二〇〇丁。
右備え 真田安房守(昌幸四十三歳)五〇〇〇。
左備え 本多平八郎(忠勝四十二歳)五〇〇〇。
後備え 鬼庭石見(綱元四十一歳)五〇〇〇。
小荷駄隊 泉田安芸(重光六十一歳)三〇〇〇。
【加賀の伊達方】
湯目又次郎(景康二十六歳)の北陸道軍三万八〇〇〇。
大聖寺城に石母田左衛門(景頼三十一歳)の一四〇〇。
金沢城に浜田伊豆(景隆三十六歳)の一四〇〇。
秀吉は、岡山城から大坂まで大返しを行い、そして上洛。
京に長居することなく、近江長浜城に移動した。
ここで兵備を整え、一二万の大軍勢で美濃に入った。
【美濃の豊臣方一四万七五〇〇】
岐阜城に加藤清正(二十八歳)の一万。
大垣城に黒田長政(二十二歳)の七五〇〇。
退却して来た福島正則(二十九歳)の一万。
赤坂の岡山(現代の勝山53m)へ豊臣秀吉(五十四歳)の本隊一一万。
同盟軍で島津忠長(三十九歳)の一万。
【各地の豊臣方】
伊勢に蒲生氏郷ら二万。
越前に小出吉政ら二万。
中国四国と大坂に豊臣秀次ら三万。




