9の1 上洛開始
天正十六年(1588年)七月十九日、中将様(伊達政宗公)が小田原城に戻る途中、急使が飛んで来た。
「小田原沖に南蛮船がやって来ました」
「すぐ戻ると、小十郎に伝えよ」
中将様は、早馬の急使を折り返した。
翌二十日、中将様(二十二歳)と近習の遠藤隼人(十七歳)、城主の片倉小十郎殿(三十二歳)は、下船した三〇名を引見した。
南蛮人は五名で、キリシタン代表の高山右近(三十七歳)が紹介した。
日本準管区長のコエリョ殿(五十八歳、ポルトガル出身)
記録係のフロイス殿(五十六歳、ポルトガル出身)
京都地区布教責任者のオルガンティーノ殿(五十五歳、イタリア出身)
堺住院長のパシオ殿(三十四歳、イタリア出身)
大坂教会のセスペデス殿(三十七歳、スペイン出身)
「先月、関白からバテレン追放令が出ました。南蛮人宣教師は二十日以内に国外退去しろと脅されました。どうか伊達殿にかくまって頂きたく、私たちは逃げて参りました」
高山右近は、これまでの経緯を述べた。
二年前に九州が統一され、島津氏は一向宗とキリシタンを禁止した。そこで宣教師とキリシタンたちは堺に逃れた。関白は南蛮貿易を堺に限定し、軍艦二隻を要求した。軍艦は拒否した。
一年前に関白秀吉は伊達殿と戦っていたが、この頃に日本人奴隷の存在を知ったようで、日本人売買禁止となる。
そして今年の六月十九日にバテレン追放令となった。
「かくまうとは、布教も込みだろう。隼人、どう思うか?」
中将様は隼人(未来からの転生者)に意見を求めた。
「はい、利点は、世界の知識と航海術、物資が手に入ること。悪い点は、日本人奴隷と人身売買、寺社の破壊と反乱です。
キリスト教は弱者救済の素晴らしい教えですが、異教徒は殺しても奴隷にしても良いとする、古くからの風習があります。
そして1588年の今頃、スペインの無敵艦隊がイギリスに負けます。1600年には、プロテスタントの船が日本にやって来ます」
五人の南蛮人たちが驚き、何かささやき出した。
フロイス殿は手帳に記録を始めた。
「プロテスタントとは何だ?」
小十郎殿が隼人に聞く。
「キリスト教の新派で、抗議する者たちのことです。カトリックは儀式と組織を重んじ、プロテスタントは聖書のみを重要とします」
「怖れながら隼人様はそのことを、どこで学ばれたのですか?」
日本語の上手なオルガンティーノ殿が、質問した。
答えに困った隼人。
だが、中将様が自慢げに代弁してくれた。
「この隼人には天眼があるのだ」
「ヨーロッパが見える、ということですか?」
オルガンティーノ殿は素直に驚き、コエリョ殿は悪魔を見るような遠い眼をした。
「とりあえず伊豆への居住を許す。数年間は様子を見てから、全国の話をしよう。キリシタンには、三つの約束を命じる」
中将様は政治的に現世利益をとった。注意も忘れない。
一、日本人奴隷と人身売買の禁止
二、寺社を破壊しない
三、宗教行為の強制はしない
フロイス殿が記録を取った。
「神の子イエス・キリストに誓って下さい」
隼人が念を押す。
「誓います」と五人の南蛮人は十字を切った。
「高山右近を伊達家の客将として迎える。扶持米を年二〇〇〇石与えるので、伊豆キリシタンの面倒を見るように」
「ははっ」
この日からポルトガルの商船が、頻繫に伊豆下田港に訪れるようになった。
明国のマカオから堺を経て下田への航路が確立した。
そうなると多数のキリシタンが、堺や京大坂から伊豆へと、押し寄せて来るようになった。
お金や品物も活発に動く。
洋銀(新大陸産の1ペソ硬貨27・5g)九枚を金一両とした。
もしも洋銀八枚だったら、日本の金が安くなり、海外に流出してしまう。
銀は重さで等交換とする。
隼人は、伊豆土肥金山に南蛮由来の水銀アマルガム法を導入した。




