7の4 関東侵攻
勝利した伊達軍は、堂々と小田原城に入った。
武器を没収し、米蔵を確認する。
「それがしの前世では、秀吉の小田原攻めは三年後で、兵力二〇万でした。それを三年も前に兵六万で落とした中将様は凄いです」
近習で宿老の遠藤隼人(十六歳)は、素直な驚きを口にした。
「城の守りが弱かったな。各地の城主も伊達家に臣従した。房総の里見義康(十五歳)も臣従したので安房九万石を安堵した」
中将様(伊達政宗公二十一歳)は、一番よい部屋を執務室にすると決めた。
「南は海、北西に山を背負い、東海道を押さえる良い城だ」
「はい。西は箱根で、天下の険ですから」
この頃、真田氏は徳川に喧嘩を売り、小縣と佐久郡を征して、十六万石となった。
「大変です。徳川家康(四十五歳)が浜松城で戦死しました」
五月十三日、中将様は徳川の敗北を知った。
各地で情報収集をする黒脛巾組からの第一報だった。
「徳川三万に対し、豊臣の第一軍は三万八〇〇〇。初めに浜名湖の隘路に陣を敷いた家康ですが、敵の第二軍四万三〇〇〇が浜名湖北岸を廻り込んだので、浜松城まで後退。その直後に南北から攻められて討ち死にしました」
「戦上手の家康が、こんなに呆気ない最後とは。常に引際こそ難しいのだ。だが、このまま豊臣軍を野放しには出来ない。我ら伊達家は、全力で押し返すぞ。出陣だ!」
中将様は鎧をまとい、握り飯を頬張った。
「先陣は原田左馬助の二万二〇〇〇。二陣は片倉小十郎の八〇〇〇。三陣は伊達藤五郎の一万一〇〇〇。本陣は俺の一万九〇〇〇。江戸城から亘理重宗の一四〇〇を小田原城に移す。江戸城は留守政景の二六〇〇が守れ。いざ西へ」
五月十五日、中将様は箱根を越えて、東駿河の沼津城に入った。
先陣の左馬助は富士川まで進出している。
ここで徳川の小部隊を保護した。
名将の本多忠勝(四十歳)が、徳川家三男の長丸(九歳)を守って、東に逃げて来たのだ。
人質だった伊達小次郎(政道二十歳)も同行していた。
中将様は富士川まで進軍した。
「これは舅殿(政宗の側室は本多の娘)、ご無事でありますか?」
「徳川の殿は、浜松城で死にました。それがしは長丸様を守って落ち延びました。婿殿、それがしに兵をお貸し下され」
本多忠勝は頭を下げた。
「兵を貸すには、伊達の家臣となることが条件です。それでも戦いますか?」
中将様は、もっともな話をした。
「長丸様、今は伊達のお殿様だけが頼り。秀吉と戦うために一兵卒となりましょう」
「はい」
話は決まった。
「伊達家臣の本多忠勝と徳川長丸に、兵一〇〇〇を任せる。甲斐二五万石を安堵。甲府に城を築いて、攻めて来る豊臣軍に備えよ」
「ははっ」
名将と言っても弱った義父の本多忠勝である。
最前線にまわさなかったのは、中将様なりの情けであろう。
一方、身内には厳しい。
「小次郎、久しいな。兵一〇〇〇を預けるので、前線に立て」
「はい」
弟の小次郎殿が、味方に加わった。
敵の第一軍大将は福島正則で、三万五〇〇〇。負傷兵は後方に下げたようだ。家康相手に無傷の筈はない。
福島正則は、清水港に陣を張った。
富士川と清水港の間には難所の薩埵峠がある。
海岸まで薩埵山の断崖がせまり、東海道を行き交う人々は、細い波打ち際を一列になって進むしかない。
伊達、豊臣の両軍とも薩埵峠を越えられなかった。
うかつに前に出れば、少数ゆえに全滅である。
豊臣の第二軍大将は加藤清正で、四万が駿府城に入った。
秀吉は、本隊二万で浜松城に居る。
秀吉の弟・秀長が別動隊二万で、信濃へ北進した。
豊臣軍において、信濃攻め以外は、手詰まりだった。
豊臣方の九鬼水軍が西伊豆を攻めたが、伊達軍は、敵が船から上陸したところを襲って、撃退した。
徳川の残党が各地で、百姓一揆と結びついて豊臣軍の兵糧を襲っているそうだ。
主要な武将こそ無事だったが、家康との戦いで、兵の損失は大きい。
戦が長引くと、九州の島津家が毛利攻めを開始するかも知れない。
「徳川家康を討取ったし、戦地に長居は無用じゃ。九州が動く前に官兵衛、伊達と和睦を決めて来い」
秀吉は、黒田官兵衛に任せた。
「ははっ、お任せ下さい」
薩埵峠の東が由比宿で、西が興津宿だ。
伊達の陣地へ、豊臣方から矢文で「停戦したい」と飛ばして来た。
「油断させて攻める作戦では?」
隼人は中将様に進言した。
「難所ゆえ、お互いに手が出せない。陣僧を呼べ」
中将様の命令で良覚院栄真が、停戦交渉にあたった。
豊臣方から小船で黒田官兵衛(四十二歳)がやって来た。
お互いに名を名乗り、寺の一室で会談となった。
「停戦したい。豊臣は、三河と遠江に南信濃。伊達は、甲斐と駿河で手を打ちましょう」
官兵衛が譲歩して来た。
「駿河とは大井川以東でありますが、我ら欲を出さずに薩埵峠を国境と決め、三里(12キロ)四方を非武装としましょう」
良覚院が応じた。
「では、伊達殿は甲斐と東駿河で、矢止めは明朝からとします」
黒田官兵衛は小船で帰って行った。
良覚院は、中将様に報告した。
「良いだろう。秀吉は嘘もつくし、計算の速い怪物だ。今夜は警護を怠るなよ」
七月一日、停戦となった。
伊達軍は、四ヶ月ちょっとで北条家を潰し、徳川家を分割して、領地を七二二万石にまで拡大させた。




