表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/31

7の3 関東侵攻

 福島屋形を出陣した中央軍と中山道軍は、下野国の宇都宮城まで南進した。

 三月六日、六万八〇〇〇の将兵が、城を取り囲んだ。

「宇都宮城へ降服勧告せよ」

 中将様(伊達政宗公二十一歳)の命令で、閉ざされた門の奥に、文矢が何通も射込まれた。


 しばらくして若武者と壮年の武将が城門から出て来た。

「宇都宮国綱(二十歳)でござる。伊達様に降服します」

 お供には、猛将で知られた多功城主、多功綱継(四十五歳)が付いて来た。

 中将様は、中山道管轄の伊達藤五郎殿(二十歳)に預けた。


「弟の結城朝勝(十九歳)と芳賀高武(十六歳)も降服します」

 苦労せずに、宇都宮城、多功城、結城城、真岡城が、伊達家に下った。

「武装解除だ。刀槍、弓鉄砲を没収する。米、味噌、塩なども差し出せ」

 これにより、宇都宮国綱は、武器と兵糧のない形だけの城主となった。


 伊達の軍団は、次に小山城(祇園城)を取り囲んだ。

 ここはもう北条領である。

 城主の小山秀綱(五十九歳)は降服を望んだが、北条家臣が城内に多くいて、反乱が起きたようだ。

 城内で重臣たちが斬り合い、農兵たちは逃げ出した。

「城に討ち入れ。城主小山も北条家臣も斬ってしまえ」

 勇将の藤五郎殿が、味方を鼓舞した。


 すぐに決着した。小山秀綱の首は、伊達の本陣に届けられた。

「この小山城を兵糧拠点とする。屋代勘解由(二十五歳)は城代、小成田志摩守(三十五歳)は副将として四七〇〇の兵で守りを固めてくれ」

 中将様は、次々に命令を下す。

「藤五郎は西の上野国高崎城を目指せ。俺は南の武蔵国江戸城を目指す。では、小田原で会おう」

「ご武運を」

 藤五郎殿は、陣幕を出て行った。


 中将様は、岩槻城を攻略し、江戸城に入った。

 しかし、この城も抵抗は薄かった。

 城内には、侍と農兵が一〇〇から二〇〇しか居なかった。

 遠藤隼人(十六歳)が助言した。

「北条家の主な将兵は、小田原城に入ったのでしょう」

「そうか、手間が省けたな。この江戸城も兵糧拠点とする」


 三月二十五日、片倉小十郎殿(三十一歳)の東海道軍一万二〇〇〇が合流した。

「遅くなりました。途中、土浦城の守りに後藤肥前守(信康三十二歳)と五〇〇〇の兵を置いて来ました」

 常陸の多くの土豪は歴史的に独立性が高く、強かったようだ。


「よく来た、小十郎。この江戸城は城下町も何もないが、川と海と山手という立地から、拠点として良い城だ。亘理美濃守(重宗三十六歳)を城代、留守上野介(政景三十九歳)を副将として四〇〇〇の兵で守りを固めよ」

「はっ」


「小十郎は玉縄城を焼いて小田原に向かえ。左馬助は八王子城を取って小田原城へ向かえ。俺は背後の河越城を落としてから小田原に行く」


 四月二日、関白豊臣軍の先陣が、尾張と三河の国境に現れたそうだ。

 この知らせを中将様は、小田原城に向かう途中で聞いた。

 隼人は、二通りの方法があると思った。

 このまま小田原城を攻める。しかし時を失う。

 もう一つは、小田原攻めと徳川救援に兵を分ける。これでは兵力が弱い。


「隼人よ。まず小田原城を落とす。徳川が負けてから、伊達は助けて恩を売ろう。これは賭けだ。豊臣が強くなり過ぎる可能性もあるからな」

「大事なのは、伊達家が勝ち続けることですね」

 中将様は政略の渋い顔をしていた。

「そうだ。それから真田安房守に連絡。豊臣が攻めて来たら、南信濃は切取り次第にする」

「中将様、徳川との同盟は?」

 隼人は尋ねた。

「真田の裁量で戦え。死ねば終わりだからな」


 四月六日、伊達軍六万が小田原城を包囲した。

 城内の北条軍は三万人。

 武装なしの農兵なら、城から逃がしてやった。

 もし重臣たちが、城内から脱出するには、百姓に化けるか、小船で夜の海へ出て伊豆に渡るしかない。


 伊達家の戦い方は、城門に油と火を放ち、消火しようとする兵を鉄砲で撃ちまくった。

 城門は一つずつ焼け落ち、守る侍大将も、必殺のライフル射撃で討ち死にした。

 総構えは大きいが、兵の士気が落ちてしまえば、戦えない。

 逃げ出す農兵たちだった。


 真夏の五月となった。

 以前、福島屋形で会ったお坊さんが訪ねて来た。

「伊達中将様、北条家の板部岡江雪斎(五十一歳)でございます。まことに何ですが、降服の使者として、拙僧はこちらに来ました。将兵の助命をお聞きとどけ下さい」

 城を包囲して一ヶ月。割と早かった。

 中将様は、丁寧に応じた。

「ご当主の北条氏直(二十六歳)と四人の弟たちは、出羽羽黒山にて修験者になってもらいます。先代の北条氏政(五十歳)には切腹してもらいましょう。これが、城内の将兵を助ける条件です」

「わかりました」

 板部岡は、がっくりと力が抜けて帰って行った。


「徳川が押されているらしい。三河と南信濃を取られ、家康は浜松城で最終決戦するようだ」

 この噂を城内にも流してやった。

 同盟する徳川家からの救援がないことを知り、北条の腹も決まったようだ。

 坊主頭になって北条氏直が、伊達家に出頭してきたのだ。

 お供は、板部岡だった。


 五月七日、先代の北条氏政が切腹して、小田原は落城した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ