7の1 関東侵攻
天正十四年(1586年)十二月の大晦日。
遠藤隼人(十五歳)は、福島屋形の中将様(伊達政宗公二十歳)に呼び出された。
「それがしの前世では、大晦日に蕎麦切りを食べる風習がありました」
「よし、料理人に作らせよう。その間に茶でも一服しよう」
中将様と二人で茶室に入った。
茶釜で湯沸かし中に、中将様からご質問があった。
「西国担当のそちから、天下の大名家を聞きたい。五〇万石以上で良い」
「以前から、勢力図を考察して来ました。概略で良いですか?」
「よい、ここだけの茶飲み話だ」
隼人は、懐から帳面を取り出して開いた。
豊臣秀吉(五十歳)一〇八二万石。関白太政大臣
伊達政宗(二十歳)三六五万石。奥羽越統一
島津義久(五十四歳)三四七万石。九州統一
北条氏康(二十五歳)二五〇万石。関東の覇者
徳川家康(四十五歳)一三三万石。東海五ヶ国
「天下の五強です。伊達家と徳川家は同盟中で、徳川家と北条家は同盟しております。他に南常陸と南下野に合わせて六五万石の緩衝地帯があります」
「丹羽長重(十六歳)一二三万石。豊臣傘下で若狭、越前、南加賀。父の遺領を継いだばかりで年若いです」
「毛利輝元(三十四歳)一一〇万石。豊臣傘下で中国六ヶ国。凡庸ですが、九州への備えとなりましょう」
「前田利家(四十八歳)九九万石。豊臣傘下で能登、越中、北加賀。槍の又左と呼ばれる勇将で、算盤も得意です」
「織田信雄(二十九歳)七八万石。豊臣傘下で尾張、北伊勢。信長の次男というだけの愚将です」
「豊臣秀長(四十七歳)七三万石。秀吉の弟で大和、紀伊。秀吉の右腕で知将です」
「宇喜多秀家(十五歳)五七万石。秀吉の猶子で、備前、美作、東備中。まだ年若いです。家中に騒動があります」
中将様が茶を立てて呉れた。飲むと温かくて、抹茶の苦みと甘味が心地よかった。
「隣国越中の前田利家は優秀そうだな。調略で味方に出来ないものか?」
「秀吉の盟友です。秀吉存命中は、無理かも知れません」
「そうか。来年は小田原を取るぞ。正月休みをやるので、米沢に一度帰って来い」
「はい、ありがとうございます」
「では、蕎麦切りを食おう」
土佐のようにカビを使った鰹節は、奥州にはない。
提供されたのは、干し魚で出汁を取り、たまり醤油で塩気を調整した、温かい蕎麦切りだった。
「美味しいです」
隼人は中将様と笑った。
天正十五年(1587年)正月五日、米沢城下の遠藤屋敷に帰って来た。
福島で同居の中間頭・松吉と女中頭のお菊も一緒に帰って来た。
「ただいま帰りました」
新春とはいえ、峠や米沢には雪があった。
「兄上、お帰りなさい」
孫六郎(十三歳)が玄関に出て来た。
「背が伸びたな。家のこともありがとう。父上は?」
「お城です。もうすぐ帰って来ます。さあ上がって」
部屋は火鉢で少し温かい。
「お菊も松吉も、お帰りなさい」
「孫六郎様もお元気でしたか?」
お菊が、はらりと涙を流した。
「うん」
孫六郎とともに、女中の紅葉と小梅も頑張ってくれているようだ。
玄関から父の基信(五十六歳)の声が聞こえた。
「帰ったぞ」
「父上、お久しぶりでございます。隼人正宗信です」
父上は明るい笑顔となった。
「四年振りか、元気そうでなにより。お殿様に忠義を尽くしておるか?」
「はい。中将様は奥羽越と佐渡の四ヶ国を統一なされました」
「聞いている。大殿様(輝宗公四十四歳)もお喜びだ」
「もうすぐ孫六郎も元服ですね」
「大殿様に烏帽子親をお頼みしようと思う。名前は玄信だ。わしも五十を六歳も越えた。今年中に家督を譲って隠居する」
父は心中で、いろいろ決めているようだ。
確かに髪は白くなり、少し痩せたようにも見える。
「ちなみに、それがしは中将様から三〇〇〇石を頂いております。遠藤家の二〇〇〇石は、孫六郎に継いで欲しいのですが?」
「近習で宿老か、偉くなったな。忠勤を忘れるなよ。家のことは、孫六郎に継がせよう」
五日ほど滞在して、大殿様と最上御前(政宗公の御生母)にご挨拶し、硝石作りを確認した隼人は、福島へ戻った。




