6の2 奥羽越統一
天正十四年(1586年)正月、伊達家と領地を接する大崎家で内紛が起こった。
大崎氏は足利一門として奥州探題を世襲し、陸奥国大崎地方(栗原、玉造、加美、遠田、志太の五郡)二十万石を支配していた。
当主の大崎義隆(三十九歳)は、若くて利発な近習の新井田刑部(隆景十四歳)を大そう可愛がっていた。
新井田刑部の父は、次席家老の里見紀伊守隆成である。
殿様の寵愛と父の権力を利用して、新井田刑部は政治を混乱させた。
しかし、同じ近習の伊庭野惣八郎が台頭して来て、殿様から遠ざけられた。
新井田と伊庭野の争いは、次席家老の里見と主席家老の氏家弾正吉継の争いに飛び火した。家中は大混乱。
名生城の大崎義隆は、岩出沢城の氏家に助けを求めた。
先手を打って新井田は、主君の大崎義隆を拉致し、新井田城に監禁した。
脅されて命が惜しい大崎義隆は、氏家吉継討伐の命令を出した。
主君に裏切られ、家中が敵になった氏家は、名生城に残された主君の妻子を確保し、伊達政宗に大崎領を「併合」するように求めた。
奉行の中目兵庫頭重定が、伊達家への使者となった。
中将様(伊達政宗公二十歳)は兵二万を集めて出陣した。
先陣は叔父で北の守り、利府城主の留守政景、兵二五〇〇だった。
二月二日、留守政景らは、加美郡中新田城に攻め掛かった。
ちょうど春の大雪となり、戸惑う両軍の兵士たち。
そこに突然、留守軍の小荷駄が、激しく燃え上がった。
襲ったのは、留守政景の舅である黒川晴氏(六十四歳)と養子の義康(三十七歳)であった。義康は、大崎義隆の実弟だ。
騒ぎに気付いた富塚近江守(宗綱四十四歳)の手勢が、反乱兵を討ち取った。
最初の首実検は、裏切った黒川父子のものになった。
伊達の軍勢は、中新田城を落とし、主の居ない名生城に無血入城した。
使者として大崎家奉行の中目兵庫が走り、家老の氏家弾正も降服参陣した。氏家派も続々と参陣する。
「大崎領は伊達家が併合した。嫡子の大崎義興(十二歳)には毎年蔵米五〇〇石を与える。氏家弾正吉継には、後見役として蔵米四〇〇石を与える。中目兵庫も使者ご苦労だった。蔵米三〇〇石を与える」
中将様が家臣に加えた。
囚われの大崎義隆は兵一〇〇〇で、伊達軍二万と対峙した。
三十九歳のいい大人が、利発とはいえ十四歳の新井田刑部に操られるのは、屈辱である。何とかしないといけない。
挽回の策として妹の婿、義弟である山形の最上義光(四十一歳)に救援を頼んだ。
最上氏は羽州探題で分家筋なので、きっと助けてくれるだろう。
敵対する城を一つずつ開城させて来た中将様は、黒脛巾組の知らせに微笑んだ。
「最上軍五〇〇〇が峠を越えました。あと数日で戦場に現れます」
「ご苦労」
遠藤隼人(十五歳)は気が付いた。
「大崎を餌にして、最上を釣ったのですね」
「ああそうだ。原田左馬助(宗時二十二歳)は、機動隊で先制攻撃をせよ。浜田伊豆守(景隆三十三歳)は、鉄砲隊四〇〇で大将首を狙え。さあ行け」
中将様の命令が飛んだ。
「藤五郎の三〇〇〇は右翼、小十郎の二〇〇〇は左翼に移動。本隊五〇〇〇とともに、ゆっくり前進しろ。他の者も戦に加われるよう、城を攻めつつ、体勢を整えて置け」
二月十六日、街道を縦に長くやって来た最上軍を、左馬助の機動隊が狙撃した。
見通しの良い小高い丘の上からだった。
スコープを付けてのライフル射撃はよく当たる。
最上の将兵は、伊達との戦いは数日先だと、思っていたのだろう。
奇襲成功である。
敵方の有力武将の多くに手傷を負わせた。落命した者もいる。
最上義光も歴戦の勇者だ。馬鹿ではない。劣勢なのは判っていた。
しかし、槍を合わせれば挽回できると信じている。
剛勇豪傑たちが、家臣に居たからだ。
「一騎打ちなど過去の話で、今は鉄砲の時代なのだ。高性能の鉄砲を数多く揃えた者が強者なのだ。俺は、堺や国友を押さえている秀吉が羨ましいぞ」
中将様は遥か先を見ていた。
最上軍は兵四〇〇〇に減ってはいたが、戦場に現れた。
「いざ、合戦はじめ」
中将様が軍配を振り、左右の小十郎隊と藤五郎隊が前進した。
騎馬で後方に廻り込む機動隊。
鉄砲隊や、城攻めの諸隊も戦闘に加わって行く。
五倍の兵力差は、野戦では圧倒的だった。
急に最上義光が落馬した。ライフルの弾が当たったのだ。
駆け寄った最上家の頭脳、氏家守棟(五十三歳)も撃たれて倒れた。
最上の本陣は、統率者を失った。
最前線では、剛勇の鮭延秀綱(二十四歳)も、寒河江光俊(二十代)も、槍を振るって大暴れしたが、結局は落命した。
最上軍は総崩れで、兵たちは出羽の国に逃げ帰った。
大崎義隆は喉を突いて、自害した。
元凶である新井田刑部の親子は捕らえて、磔にした。
中将様は、大崎五郡と最上二郡を版図に加えた。
山形城に整然と押し寄せる伊達の将兵二万。
降服した嫡男の最上義康(十二歳)は、蔵米六〇〇石で臣下となった。
「恩賞を授ける。富塚近江には、古川城と周囲一万石安堵。大崎五郡をうまく治めよ。
浜田伊豆は新庄城を築け。周囲一万石を安堵。出羽国村田郡を預ける。
原田左馬助には、山形城と周囲一万石を安堵。出羽国最上郡を預ける」
中将様と二万の将兵は、しばらく山形城に留まって、一揆や反乱兵に備えた。




