6の1 奥羽越統一
天正十三年(1585年)十一月二十七日の夜に長く強く揺れる大地震が発生した。(M7・0クラス、越中国庄川付近)
京都銀閣寺に居た近衛竜山(前久五十歳)は、上杉景勝から聞いていた白山大地震だなと思った。
翌朝の二十八日に参内して、正親町天皇(六十九歳)に拝謁を賜った。
「お上に置かれましては、ご無事で何よりです。下京では崩れる民家もあり、心配でおじゃりました」
陛下も宮中も被害はないようだった。
「近衛が、前もって知らせてくれたので、用心しておりました」
「もともとは奥州の伊達左京大夫が、大地の異変に気付き、上杉弾正少弼が文をくれたのです。麻呂はお上にお伝えしたまでで」
「そうか」
陛下は、忠臣たちにお喜びであった。
ところが油断していた二十九日の夜半、もっと強い地震が来た。(M8・0クラス、美濃国養老付近)
亥の刻(22時)で竜山は床に入っていた。
地響きがずんずんと来て、背中から三寸は宙に浮くくらい、縦揺れ横揺れが、凄まじく感じた。
きしむ家屋の柱や屋根。
竜山は思わず、寝殿を飛び出て、庭の砂州にうずくまった。
「皆の者、大事ないか」
同様に飛び出して来た家人に声を掛けた。
ゆれも収まり、裸足に冬の冷たさを感じた。
やれやれと、ロウソクを灯し、部屋に入った。
片付けなどは、朝になってからだ。
竜山は、屋根が軽く被害の少ない庵で、朝まで寝ることにした。
二度あることは三度あるという。用心に越したことはない。
先の大地震から二刻(4時間)の後に、三十日の深夜、再び大きく揺れた。(M7・0クラス、養老断層の余震)
まるで神罰かと怖れ、京都中の皆が震えて朝を迎えた。
東寺の講堂が傾き、三十三間堂の仏像は全て倒れていた。
越中木舟城倒壊で、城主前田秀継ら多数が圧死。
飛騨白川郷で、三百戸が倒壊。山崩れで家屋三百戸が生き埋め。
美濃大垣城が全壊全焼した。
伊勢では、長島城倒壊。桑名は液状化。亀山城も倒壊した。
近江長浜城全壊で、山内一豊の娘が圧死。
琵琶湖、若狭湾、伊勢湾で津波があった。(ウィキペディア参考)
お屋形様(伊達政宗公十九歳)は、朝廷にお見舞い金を送った。
最初から地震を予知していたので、徳川領の三河まで使節団を送っていた。
十二月初めには、清酒一斗、石けん六〇個、金一〇〇両(3000万円)を朝廷に寄付できた。
天正十四年(1586年)正月、京都から使節団が、重要な土産を持って福島に帰って来た。
団長の富塚近江守(宗綱四十四歳)が書状を読む。
【 伊達政宗を従四位下、参議、右近衛権中将、陸奥守に任じる 】
伊達家の皆が喜んだ。
「これからはお屋形様を改めて、中将様(伊達政宗公二十歳)とお呼びいたします」
家臣を代表して(片倉)小十郎殿が宣言した。
「たしか、坂上田村麻呂が四十歳で征夷大将軍になったとき、従四位下、陸奥出羽按察使、陸奥守でした。
一方、北畠顕家が十八歳で鎮守府将軍になったとき、従二位、参議、右近衛中将、陸奥権守でした」
原田左馬助殿が立ち上がった。
「中将様は二十歳。あと数年で将軍になられるだろう。乾杯じゃ」
京都の報告会が、宴会のようになった。
「丁度昼時だ。軽い膳でいい、用意しろ」
中将様も機嫌が良かった。
握り飯に大根の漬物、魚介の汁。少ないが清酒も出た。
相馬中村から福島屋形までの街道は、塩や干し魚、いろいろな産物を馬で運んでいた。
「隼人、この先をどう見る?」
中将様から隼人(十五歳)は質問を頂いた。
「はい。古来、勝って兜の緒を締めよ、と言います。新年なので、刑罰と税を領地に公示します。民は税を払い、安全を買うのです」
中将様は厳しい顔をした。
「武士の在り方が決まるな。よし、やれ」
隼人は全面的に許可を頂いた。
【死刑】火付、盗賊、殺人、関銭を取ること、一揆打壊し。
【鞭打ち】博打、盗み。
【税】
国民の棟別銭は、一棟年十文(500円)
農村は検地を行い、年貢は米で五公五民。ただし飢饉では減税する。
山村の小物成は、材木、薪炭、薬草、紙など。
漁村の小物成は、魚介、干物、海藻、塩など。
海港の津料は、千石船の入港で銭五百文(2万5000円)
鉱山の鉱物は、すべて御当主のもの。ただし鈜夫には、正当な賃金を払う。
百姓は、労役の義務を負う。
職人は、生産物の一部を物納する。
商人は、座を廃止し、五段階の営業許可を取ること。
【営業許可証】
棒手振りは、年百文(5000円)
露店は、年二百文(1万円)
小店は、年一貫文(5万円)
中店は、年五貫文(25万円)
大店は、年十貫文(50万円)
【武士は国家の治安を守る】
中将様の最終確認後に、各地方で高札にて公示した。




