5の4 上杉臣従
夏季に新潟港を浚渫整備した伊達軍は、北前船を調達して、八月に佐渡国の両津に上陸した。
冬になると日本海は荒れるので、戦える時間は秋までと短い。
数往復で、兵四〇〇名が上陸した。
佐渡を支配していた本間氏は抵抗するも、歴戦の伊達家の敵ではなかった。
「鈴木和泉守(元信三十一歳)に両津と一万石を与える。佐渡国を上手く治めよ」
お屋形様(伊達政宗公十九歳)に抜擢された鈴木は、武士となる以前は金山経営の豪商で、鉱山と経理に優れていた。
遠藤隼人(十四歳)はお屋形様に、伊達家本拠の福島と金銀山のある佐渡に、金座、銀座、銭座を置くことを進言した。
お屋形様は了承した。
「隼人よ。金銭、銀銭、銅銭の形を考えろ」
「十進法で良いですか? 四文銭でなく、五文銭を考えています」
「良く分からんな。先ず紙に書き出してくれ」
そこで隼人は金銭案をまとめた。
考えたのは一〇種類。
鐚銭、銅や鉄で古く欠けたもの=10円
一文銭(一匁)銅製=50円
五文銭(一匁二分)銅製=250円
十文銭(一匁四分)真ちゅう製=500円
五十文銭(一匁六分)真ちゅう製=2500円
一匁銀(銀800/銅200)小粒型、銭百文=5000円
五匁銀(銀800/銅200)中粒型、銭五百文=2万5000円
十匁銀(銀800/銅200)大粒型、銭一貫文=5万円
小判金(四匁四分)(金750/銀250)=30万円
大判金(四十四匁)(金750/銀250)=300万円
公定相場は、金一両=銀六十匁=銭六貫文とする。
まだこの世にない金の小判である。西国の銀より貴重であろう。
「五十文銭は、偽金が出回るかも知れませんが、薪代と手間賃が多く掛かるでしょう」
「よし。鈴木と詳細を決めるが良い」
お屋形様から試作許可が出た。
九月の晩秋となり、お米の収穫も無事に終わった。
越後は水も美味しくて酒処である。
隼人は、にごり酒にかまどの灰を入れて作った「清酒」を皆に披露した。
「美味いな。見た目も澄んでいて新しい」
お屋形様や宿老たちから足軽兵に至るまで、勝利の祝い酒として喜んだ。
まもなく冬となり、越後や会津は大雪となる。
「地震が来ます。記憶が曖昧なのですが、今年の十一月に白山大地震が来ます。たぶん今年です」
隼人はお屋形様に知らせた。
「昔、テレビという芝居で見ました。前田利家の弟が、越中木舟城で圧死します。近江の長浜城や京も大揺れだったようです」
「例の天眼、前世の記憶だな。かたじけない、助かる」
お屋形様は、穏やかに微笑んだ。
「上杉景勝に伝令。十一月に白山大地震が起こる。京の近衛に伝えてやれ。陛下の御身を守れ、とな」
新津の本陣から春日山城に伝令の馬が駆けた。
「寒くなって来た。福島に戻るぞ」
伊達の本隊は、守備の兵を残して福島へと向かった。
近衛前久は、かつて上杉謙信の盟友であった。
謙信が亡くなると、織田信長と親交を重ねて来た。
本能寺の変の前日も、前久は他の公家たちと共に、信長と歓談している。
しかし、本能寺で信長が殺されると「明智勢が近衛邸から銃撃していた」との流言が出て、羽柴秀吉に詰問を受けた。
髪を剃って「竜山」と号し、徳川家康を頼って浜松に身を寄せた。
その後、秀吉が誤解だったと折れたので、帰京した。
今年、天正十三年(1585年)七月、近衛家の猶子として秀吉が関白になった。
近衛竜山(五十歳)は、謙信、信長、秀吉、家康など、多くの人物を見て来た。
秀吉は、脅したり、許して歓待したりと、恐ろしく腹黒い男だと思った。
左大臣で息子の近衛信輔(二十一歳のちの信尹)では、相手にならないだろう。
上杉謙信のような、武将としての清らかさが懐かしかった。
十月末、銀閣寺にいる竜山の下へ、謙信の後継である上杉景勝から文があった。
「十一月に白山大地震が起こる。陛下をお守り下され」というもの。
短く潔い文章である。
添え書きに「伊達左京大夫の指示でこの文を書いた」とある。
確か伊達とは、奥州で勢力を拡大している若武者である。
「上杉家を使うほどの人物なのか」
嘘か真か。ただの勘であるが、新しい風を信じてみようと思った。
「急ぎ御所へ向かう。陛下にお伺いの先ぶれを出せ」




