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5の2 上杉臣従

 天正十三年(1585年)正月、福島屋形で新年会が行われた。

 お屋形様(伊達政宗公十九歳)は、家臣たちの挨拶にも応える。

 伊達家の隆盛は、飛ぶ鳥を落とすようだ。

 奥羽や関東の大名も、名代を立てて挨拶に来ていた。


 目立ったのは、北条家の外交僧である板部岡江雪斎(四十九歳)であった。

「伊豆の蜜柑でござる。伊達様とは今後とも良しなに願います」

「伊達と徳川は同盟している。北条家とは徳川を仲立ちにして、上手くやって行こうではないか。蜜柑は美味そうだな」

 お屋形様は、堂々と江雪斎をあしらった。


 伊達家の関東侵攻は、もう始まっている。

 常陸国の三郡と、下野の那須郡は、すでに伊達の支配地となっている。

 二十四歳の若き当主、北条氏直はお屋形様を恐れているに違いない。江雪斎を探索に寄越したのが、その証拠だ。


「小田原は澄んだ湧き水が出でて、海の魚も美味しいのです」

「それは良い。小田原の酒も美味いのではないか?」

「はい。近くに温泉があります。湯上りの一杯は極上だとか。拙者は坊主ですけど、がはははっ」

 お屋形様は、奥州土産として「石けん」を贈った。


 遠藤隼人(十四歳)は、すぐに二本松城下に確保した工房に戻って来た。

 こゆい温泉で作った火薬を二本松城下に運び、この工房で金属薬莢に装填するのだ。

 薬莢は亜鉛30%、銅70%の真ちゅう製。

 12ミリのライフル弾の前に、まず、8ミリ拳銃弾を作ってテストする。


 伊達藤五郎殿や奉行の遊佐殿の全面協力で、拳銃も製作していた。

 リボルバー式拳銃で、六連発だった。

 一寸(3センチ)ほどの8ミリ拳銃弾を装填して、撃ってみる。

 威力が弱く、正確に当てるには一〇間(18m)が限界かもしれない。


「ともかく、お屋形様に報告だ」

 隼人は、福島屋形に参上した。

 主殿は六間×八間で、九十六畳の広さがある。

 しかし、通されたのは奧の茶室で、床の間付きの七畳間だった。

「京や堺では、茶道が流行りの文化らしいな」

 お屋形様は、得意げにお茶を振舞ってくれた。


「不躾ながら、拳銃と弾を持参致しました」

 隼人は木箱を手渡した。

「どうやって使うのだ?」

「蓮根のような所を左に引き出し、弾を六発入れます。元に戻して、引き金を引けば発射します。当てるには十間(18m)まで近づいて下さい」

「つまり十間なら六人撃てるのだな」

「はい。徒歩でも馬上でも片手で撃てます」


 お屋形様は、しばらく手に取って眺め、にっと笑った。

「隼人、機動隊の馬上用に、もっと作れ」

「ははっ。それから暴発することも在るので、懐には絶対入れないで、右腰に革ベルトで装着して下さい」

 身振り手振りで説明してから、隼人は茶席を辞した。


 三月の雪解けと同時に、伊達軍は会津に攻め込み、猪苗代湖の北方にある摺上原で合戦となった。

 乳飲み子の蘆名亀王丸に求心力はなく、重臣の金上盛備(五十九歳)と同志一五〇〇名が戦った。


 蘆名一門の針生盛信(三十三歳)と猪苗代盛国(五十歳)は、伊達家に内通していたので、早々に降服した。

 お屋形様は、降服した針生を蔵米四〇〇石、猪苗代を蔵米三〇〇石で家臣に加えた。


 会津黒川城で、二人の伯母と亀王丸は自害していた。

 お屋形様は、城内を清めさせて若松城と改名した。

「この会津若松城を桑折摂津守(政長二十五歳)に任せる。城の周囲一万石を安堵するので、会津四郡をよくまとめよ」


 桑折は義兄である。

 政宗公側室の飯坂猫姫の姉が、桑折政長の嫁である。

 さらに伊達家が米沢城に移る前は、桑折西山城が伊達家の本拠であった。

 伊達の要地から会津の要地へ、大事な国替えであった。


 四月三日、伊達軍は越後北部に攻め込んだ。

 この地域は阿賀野川流域から北にあるので揚北(阿賀北)と呼ばれる。

 四年前から新発田重家が上杉家に反乱を起こしていた。

 上杉景勝の身内びいきに怒り、戦で新発田家の恩賞がなかったことに端を発する。

 揚北衆は十五家以上あるが、各自、独立心に富み、精強であった。

 つまり、混乱地域に介入したのだ。


 新発田重家(三十九歳)に伊達家の使者が走った。

「無駄な戦いは好まず。降参すれば許すので、開城せよ」

 そのような書状であった。

 新発田が無視したので、お屋形様は三万の軍勢で新発田城を囲んだ。


 驚いたのは新発田重家で、すぐに降服を願い出た。

「城主が切腹すれば、家臣や兵の命は許す」

 威勢が良い新発田も馬鹿ではない。

 勝ち目がないと判ると切腹して果てた。


 お屋形様は、湯目又次郎(景康二十二歳)に新発田城と周囲一万石を安堵した。

 湯目殿は、上杉家を含む北陸道を担当している。

 さらに南方で、信濃川の須頃島にある三条城と周囲一万石を、石母田左衛門(景頼二十七歳)に与えた。


 返す刀で、越後北部にある本庄城(のちの村上城)を攻めた。

 城主の本庄繁長(四十六歳)は、庄内進出に野心があり、たびたび兵を起こしていた。

 お屋形様は怒ったらしい。


「俺に降服せず、参陣もしないのは、敵だろう。討ち滅ぼせ」

 伊達軍が一斉攻撃をして、本庄はライフルの弾丸に倒れた。

 会津と北越後を傘下に収め、伊達領は百七十五万石となった。


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