4の4 夜ノ森合戦
「この勝負、勝ったぞ」
お殿様(伊達政宗公十八歳)は、近くにいる隼人(十三歳)に言った。
今朝、二通の文が届いて、お殿様は穴が開く位にまで読んでいた。
「出陣だ。二本松を経て、須賀川城の佐竹軍と決戦する」
隼人は、控えの間に走って、諸将に「出陣」を告げた。
大森城から二本松城まで南下する。
「手紙には何が書いてあったのですか?」
隼人はお殿様に質問した。
「岩城常隆(十八歳)は戦死した。小十郎らが常陸太田城を攻めている。そして蘆名盛隆(二十四歳)は刺客に殺された。(湯目)又次郎の調略で蘆名軍は瓦解したようだ」
おおーっ、近習たちから歓声が上がった。
「お前らも油断するな。敵の刺客には注意せよ」
「はい」
皆が胆に銘じた。
二本松城で(伊達)藤五郎殿(十七歳)と合流した。
藤五郎殿から、片平親綱(三十八歳)が味方に付いたと報告される。
「大儀、毎年蔵米三〇〇石を片平親綱に与える」
三春城に先触れを送る。
「須賀川で佐竹と決戦する。参戦せよ」
そしてさらに南下すると、三春城から田村孫七郎殿(十一歳)が重臣たちと共に合流した。
お殿様は、将兵に語った。
「今宵は野営して、明朝に佐竹を叩く。味方は一万五〇〇〇、敵は一万だ」
六月十六日、佐竹連合軍が崩れた。
おそらく、岩城氏と蘆名氏が滅んだことで、兵が動揺したのだろう。
須賀川城周囲に居た一万名の連合軍だが、いつの間にか半分の五〇〇〇にまで減っていた。
たまらず、佐竹義重(三十八歳)は常陸に兵を引いた。
先陣は一門で外交担当の佐竹義久(三十一歳)、中央に当主の義重と嫡男の義宣(十五歳)、殿に一門の北家当主で家中統制役の佐竹義斯(よしつな四十歳)が布陣した。
そこに本拠の太田城が「炎上して落城」の報告が入る。
敗走する佐竹軍。
お殿様(政宗公)は追撃を命じた。
奥州と常陸国の国境は隘路だ。山々が迫り、狭いので長い列となる。
「行け、行け、大将首を取れ」
後方から、佐竹義斯、佐竹義宣、佐竹義重の首が順に討たれた。
政宗公の伯母で、須賀川城主の二階堂阿南姫(四十四歳)は会津に逃亡した。
叔父の石川昭光(三十五歳)は降服して、蔵米三〇〇石の伊達家臣となった。
佐竹義重の次男で白河不説斎(四十四歳)の養子である、白河義広(十歳)は降服して、蔵米四〇〇石の伊達家臣となった。
お殿様は、佐竹義重をやぶったことで、次男の白河義広から「屋形号」を正式に継承。奥州信夫山(独立峰275m)の南端に位置する駒山に「福島屋形」を完成させた。
夏の熱気もいくらかやわらんだ。もうすぐ稲刈りとなる。
将軍が住まう御所に次ぐ豪華な形式の邸宅で、これからお殿様は「お屋形様」と呼ばれる。
「原田左馬助の働き見事。機動隊を率いる左馬助を手放したくはないので、しばらく領地は、原田城だけで勘弁してくれ」
お屋形様が頭を下げた。
「しかたない。どこまでも付き合います」
左馬助殿が笑った。
鬼庭綱元(三十六歳)に岩城大館城と周囲一万石を与える。岩城四郡を預ける。
後藤信康(二十九歳)に常陸太田城と周囲一万石を与える。常陸三郡(多賀、久慈、那珂)を預ける。
伊達藤五郎(成実十七歳)に二本松城と一万石、安達郡に加えて、安積郡も預ける。
小成田重長(三十二歳)に白河城と周囲一万石を与える。白河郡と岩瀬郡を預ける。
飯坂宗康(四十六歳)に棚倉城と周囲一万石を与える。高野郡と石川郡を預ける。
伊達家の領域は、百二十二万石にまで拡大した。
近習で宿老の隼人(十三歳)が計画指導し、いつものように検地と五公五民で、領民をまとめた。




