3の4 相馬狙撃戦
信夫郡大森城は、伊達藤五郎(成実十六歳)殿の城だ。
五月末の夏日に入城したお殿様(政宗公十七歳)は始めに、藤五郎殿の父上に挨拶をした。
伊達兵部大輔実元殿(五十七歳)は伊達一門の長老であった。
「兵部殿、ご機嫌よう。この度はお城をお借り申す。仙道から関東をにらむには、この城がとても大事ですから」
「十七代ご当主就任おめでとうござります。城は好きなようにお使い下され」
実元殿は快諾してくれた。
第一番に亘理重宗殿(三十二歳)が、伊達家当主の就任祝いに来城した。
「亘理、ご苦労」
お殿様と藤五郎殿、左馬助殿、又次郎殿、隼人が広間で迎えた。
亘理重宗殿は伊達一門で、藤五郎殿と従兄弟、お殿様(政宗公)の大叔父にあたる。長年の心配であった相馬氏の圧力が消えて、一番助かった人物であろう。
「十七代伊達家ご当主、おめでとうござります。名産品として海の塩を持参いたしました」
「感謝する。亘理城と周囲一万石を安堵する。さらに亘理、伊具の両郡を預ける。統治が悪かったら帰してもらうからな」
短く言葉を交わして、お殿様は席を立った。
平伏する亘理殿だった。
次に現れた白石宗実殿(三十一歳)には、白石城と一万石安堵。刈田、柴田の両郡を預けた。
来城した泉田重光殿(五十五歳)には、岩沼城と一万石安堵。名取郡を預けた。
来城した叔父の留守政景殿(三十五歳)には、利府城と一万石安堵。宮城、黒川の両郡を預けた。実弟の国分盛重(三十一歳)と舅の黒川晴氏(六十一歳)を留守氏の配下とした。
お殿様と正室愛姫様は、はとこである。
伊達の血族で舅にあたる田村清顕殿(五十八歳)からは、祝いの使者が来た。
姫の従兄弟で田村孫七郎宗顕殿(十歳)を名代に、一族重臣の田村月斎(顕頼)殿が付き添いであった。
「将軍坂上田村麻呂から続く三春の田村家だ。老齢の舅殿を助けて孫七郎殿が盛り立ててくれると有り難い。三春城と周囲一万石を安堵する。田村郡を預けるので今まで通りの友好を願う」
智将である月斎の眼が光ったが、何も言わなかった。
この会談で、田村家は舅の立場から家臣に決まった。本人が来ても同じだったろう。
秋の七月初め、稲刈りもまもなく始まる頃、お殿様は藤五郎殿に命じた。
「南隣の安達郡を攻めよ。大内定綱と畠山義継は伊達と会津に良い顔している賊だ。一ヶ月で滅ぼして稲刈りを行う」
「承知した」
勢いよく藤五郎殿は出て行った。
翌日、塩松城を三〇〇〇の伊達軍が包囲した。火蓋を切る直前に大内定綱(三十八歳)は降服する。
大内定綱は捕らえられて大森城に送られた。死を前にしても堂々として交渉して来る。
「伊達家に帰参したい。一兵卒となって働きます」
「それでは、毎年蔵米三〇〇石を与えるので俺の為に働け」
お殿様は大内定綱を配下に加えた。
「斬らなくても良かったのですか?」
隼人は質問した。
「やつの弟は片平親綱という。会津攻めの入口にある片平城を持っている。やつの命と三〇〇石、これは安い買い物になるだろう」
二本松城の畠山義継(三十二歳)は、家臣を残して会津に逃げた。
隼人の前世では、輝宗公をだまし打ちした男である。
藤五郎殿は二本松城に無血入城した。
知らせを受けて即日、お殿様は藤五郎殿に二本松城と一万石を安堵。安達郡を預けた。
隼人はお殿様から検地の方法を任された。
災害のないときは五公五民。
守護地頭、荘園、寺社領を廃止し、一村一領主とする。
●長さは曲尺を基本とする。
一尺は一〇寸(30・3センチメートル)
一間は六尺(1・8メートル)
一町は六〇間(109メートル)
一里は三六町(3927メートル)
●面積は一坪が六尺四方(3・3平方メートル)
一畝は三〇坪(99平方メートル)
一反は一〇畝で三〇〇坪(992平方メートル)
一町は一〇反(9917平方メートル)
●容積は新京枡を定める。
一升は四寸九分四方で深さ二寸七分(1・8リットル)
一斗は一〇升(18リットル)
一石は一〇斗(180リットル)
●重さは一匁(およそ銭一枚の重さで、3・75グラム)
一斤は一六〇匁(600グラム)
一貫は一〇〇〇匁(3・75キログラム)
ちなみに米一俵は四斗で60キログラム。半俵は30キログラム。
●石盛(収量のランク付け)
坪刈りを行い、何升何合取れたかで、一反当たりの収量を知る。
例えば一坪から籾一升とれたなら、一反は三〇〇坪だから、籾三〇〇升となる。籾から玄米を得るなら嵩は半分になるから、玄米一五〇升。これは上田の一五斗と同じだ。一反あたり一石五斗の玄米収穫となる。
この時代の平均的な収穫量は、化学肥料を用いる後世の三分の一だ。
上田一五斗
中田一三斗
下田一一斗
上畑一二斗
中畑一〇斗
下畑八斗
〇棟別銭は、一家屋につき年一〇文(500円)とした。




