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第32話: 子供に守られている

日の村の朝は…

いつだって、穏やかで単純だった。


木造の家々の間には、まだ薄い靄が立ち込めている。


鶏の鳴き声、人々の足音、そして軽やかな談笑が、

冷たい空気の中に溶けていく。


城壁もなければ、

軍隊もなく、

衛兵だっていない。


ただ、平穏に生きたいと願う、

普通の人々だけがいる。


村の外れにある小さな家の前。


一人の小さな少女が、戸口に立っていた。


髪は少し寝癖がついたままで、

瞳はまだ眠たげに潤んでいる。


ヒナ。


彼女の腕の中には――

小さな赤ん坊がいた。


ノア。


「へへ…おはよう…」


ヒナが小さく笑い、

ゆっくりと体を揺らしてあやす。


ノアは泣かない。

普通の赤ん坊とは、どこか違っていた。


ただ、静かに、

こちらを見つめているだけ。


その瞳は、

年齢に似合わず、あまりにも深すぎた。


だがヒナは、何も気づいてはいない。


彼女にとって、ノアはただ、

守らなければならない存在だった。


誰かが、この子を託してくれたから。


「…アキラ兄ちゃんが、守ってあげなさいって…」


小さくささやき、

「…だから、私が絶対に守るからね」


家の中では、おばあさんが木の椅子に腰かけ、

柔らかい眼差しで二人を見守っていた。


「ヒナ、気をつけて行くんだよ」


「うん、おばあちゃん!」


ヒナは家を飛び出す。


その朝は、

いつもと何も変わらない、普通の一日のはずだった。


だが、数分後――


一羽の鳥が、突然、パニックになったように飛び去った。


さっきまで柔らかく吹いていた風が…

ピタリと、止んだ。


沈黙。


「…え?」


ヒナが不思議そうに辺りを見回す。


何もいない。

だけど、胸騒ぎだけが、どんどん大きくなる。


腕の中のノアは、相変わらず静かだった。


だがその瞳が…

ゆっくりと、一点を見据える。


村のはずれ、小さな森の方向へ。


足音が聞こえた。


ゆっくりと、

重たい足音。


木々の間から、何者かが姿を現した。


長身で、

体つきはどこか異形。


肌は死人のように蒼白で、

瞳はただの空洞。


魔力の気配など、

微塵も感じられない。


その化物が、

ゆっくりと村の中へと入ってくる。


一体。

二体。


「…魔物…だと…?」


村人たちのざわめきが漏れる。


何人かが家から飛び出してきた。


彼らに剣などない。

持っているのは木槍と、

それだけの勇気だけ。


「武器を持て!」

「奴を止めろ!」


だが――


化物たちは、すぐに襲いかかっては来ない。


ただ、無表情に歩き続ける。


まるで…

何かを探しているかのように。


ヒナはその場に凍りついた。


足が、一歩も動かない。


腕の中のノアは、依然として黙ったまま。


だがその瞳の色が…

変わり始めていた。


わずかに。

深い紅。

そして漆黒。


化物が、ピタリと足を止めた。


首を、ゆっくりと傾げる。


まるで…

探していたものを、見つけたかのように。


次の瞬間――


化物が動いた。


速い。

一直線に、ヒナめがけて。


「――ヒナァッ!!」


誰かの叫び声。


だが、もう間に合わない。


化物の手が、目前まで迫っている。


村人の槍が届くよりも早く。


ヒナはノアをきつく抱きしめ、

目をぎゅっと閉じた。


「…やめて…」


沈黙。


衝撃も、

悲鳴も、

何も起こらない。


ゆっくりと、

ヒナが恐る恐る目を開ける。


化物は…

そこに立っていた。


ヒナのすぐ目の前で。


だが、体はブルブルと震え、

まるで…

恐怖に支配されているかのようだった。


ノアが、小さく口を開ける。


泣くのでもなければ、

声を出すのでもない。


だが――


空気が、変わった。


魔力は感じられない。

なのに、

重たい圧力だけが、辺りを覆う。


そして――


化物の体に、ヒビが入った。


パキッ…


みるみるうちに砕け、

黒い灰となって、

風に消えていく。


沈黙。


村人たち全員が、その場に固まる。


「…今のは…一体…」

「…誰が…あれを…?」


全ての視線が、

ゆっくりとヒナの方へ、

そして彼女の腕の中の赤ん坊へと注がれる。


ヒナ自身も、手が震えていた。


だけど、後ずさることはしない。

ノアを、さらに強く抱きしめる。


「…私…知らない…」


一人の村人が、声を潜めて言った。


「…あれ…昔、見たのと同じだ…」

「…そうだ…」

「…アキラさん…と、そのお嫁さんの時と…」


人々が顔を見合わせる。


「…あの二人も…魔力のない化物たちと…戦ってたんだ…」


沈黙。


恐怖心が、確かに湧き上がってくる。


だけど、それだけじゃない。


それと同じくらい、

かすかな希望も、芽生え始めていた。


ヒナはノアの顔を見つめる。


瞳はまだ震えているけれど、


「…私、気にしない…」


小さく首を横に振り、


「…絶対に守るから…」

「…だって、これは約束だもん」


彼女が抱きしめると、

ノアはまた、元の無表情な瞳に戻り、

何もなかったかのように、静かになった。





闇が降りて、

村は再び静けさに包まれた。


だが、それは以前のような、安心できる静けさではなかった。


家の中。


ヒナはノアの隣で、疲れ切って眠りに落ちていた。


おばあさんも、もう寝息を立てている。


小さな明かりだけが、ぼんやりと辺りを照らす。


ノアが、ゆっくりと目を開けた。


そして、まるで大人のように、

ゆっくりと上体を起こす。


瞳は…

ただ、空っぽだった。


窓の外、

深い闇の方へと視線を向ける。


そこには――


何かがいた。


こちらを、じっと見つめている。


黄色い、二つの瞳。


だが今回は、

それだけじゃない。


闇の中に、

いくつもの視線が存在していた。


そして次の瞬間、

全ての気配が、

一斉に消え去った。




遠い地


世界の果て。


光も届かない、深い闇の中。


広大な玉座の間の中央に、

黄金の椅子が鎮座していた。


その上に、

一人の男が腰かけている。


紅い瞳。

口元には、底の知れない笑みを浮かべて。


アルギエル・ルシファー。


彼の隣には、

一人の女が、くつろいだ様子でもたれていた。


鋭い眼光。

唇は妖しく弧を描く。


レイラー・ゼルナルダ。


「…面白いことになってきたわね」


レイラーが低く囁く。


「…あの子、ようやく動き始めた」


アルギエルがくつくつと笑う。


「…遅すぎるくらいだ」


レイラーが彼を見る。


「…あなたって、本当に呑気ね」


「…世界が、また動き出そうとしているのよ」


アルギエルは、あごに手をあてる。


「…ほっとけ」


「…動けば動くほど…」

「…壊すのは、楽になる」


レイラーが口角を上げる。


「…なら、使いましょうか」

「…あの子を」


沈黙。


アルギエルが、ゆっくりと手を挙げる。


闇の彼方から、

影が這い出てくる。


一つの人影が、

跪いた。


その瞳は燃えている。


だが、紅ではない。


深い、深い緑。


氷のように冷たいオーラ。

その身は、憎悪という感情で満たされている。


「…来たか」


影が頭を垂れる。


「…ご命令を、我が主」


アルギエルが笑う。


「…行け」

「…そして、王国を滅ぼせ」

「…奴らに、互いを憎み合わせろ」

「…お前自身のようにな」


レイラーが、冷ややかに付け加える。


「…嫉妬こそが、破滅の始まりだものね」


男が、口元を歪める。


「…心得ました」


その名は――


ヴァイア。


『嫉妬』の罪を司る者。


彼の姿が、闇へと溶けて消える。


アルギエルは前を見据える。


「…さて…」

「…見届けるとしようか」

「…最初に音を上げるのは、どちらかな」




水の都


遥か遠く、ある王国。


巨大な城壁が、そびえ立っていた。


壁の下をは、清らかな水が、ゆったりと流れている。


その城壁の上に、

一人の少女が佇んでいた。


柔らかな眼差し。

だが、その瞳の奥には、絶え間ない警戒心が宿っている。


『水』のグランドマスター。


彼女は、遥かな地平線を見つめていた。


そして、彼女自身が気づかないうちに――


何かが、

確実に、

こちらへと近づいてきていた。

「次回更新: 5月 5日 20:20」

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