第29話: 不死の遺物
丘の上の風は…生気を運んではこなかった。
ただ、灰の臭いだけが漂う。
そしてそれ以上に、
異常なまでの静寂が、空気を支配していた。
不知火明原は微動だにせず立っていた。
視線は真っ直ぐ前方へ。
ムシャフ王国。
あるいは、
かつて生きていた何かの残骸。
その隣で、ライオラ・ライゼンは震える瞳でその光景を見つめていた。
「…これは…」
言葉が続かない。
明原がゆっくりと歩き出す。
丘を下り、
その足取りに迷いはない。
ライオラもすぐに続いた。
王国の門をくぐった時、
そこには衛兵もいなければ、
声もなく、
生命の気配も完全に消え失せていた。
ただ、
砕けた石畳。
折れ曲がった武器。
そして、無意味な抵抗の痕跡だけが残されている。
二人の足音が、やけに大きく響く。
何もかもが、耳障りなほどに鮮明だ。
「…これは戦いじゃない」
ライオラが小さく呟く。
「…これは、殲滅だわ」
明原は答えない。
だがその瞳は、
全てを捉え、分析していた。
破壊の痕。
攻撃の方向。
そのパターン。
そして一つだけ確かなこと。
敵は…
焦ってなどいない。
さらに奥へと進むと、
とうとう、あの大きな建物が見えてきた。
ギルド本部。
あるいは、
その名残。
壁は崩れ落ち、
屋根は陥没し、
そしてその前には、
冒険者たちの姿があった。
動かない。
全員が死んだわけではない。
だが誰もが、
もう立つことすらできないでいた。
ライオラが息を呑む。
「…みんな…」
明原が足を速める。
視線を素早く動かし、
探す。
そして、その中で――
ただ一人、まだ立っている者がいた。
ふらつきながらも、
決して倒れまいとする姿。
女性だった。
体中が傷だらけで、
服はボロボロに裂けている。
だがその瞳だけは、
まだ、生きていた。
ズワ。
彼女は今にも倒れそうだった。
それでも、踏ん張っている。
「…来るな…近づくな…」
かすれた声。
明原は数歩手前で足を止めた。
「…まだ立っていられるのか」
ズワがゆっくりと彼を見上げる。
「…これでも…まだ…言える事はある…」
苦い笑みを浮かべ、
「…逃げろ」
明原は動かない。
「…何があった?」
ズワは低く笑う。
「…遅すぎたんだよ、あんたたちは」
激しく咳き込み、
「…絶対に…あいつとは戦うな…」
明原は真っ直ぐに見つめる。
「…奴はどんな姿だった?」
ズワは一瞬、言葉に詰まる。
思い出そうとする瞳が、恐怖に歪む。
「…やる気がなくて…」
「…何もかもどうでもいいって顔してて…」
「…だけど…」
体が小さく震えた。
「…強すぎる…」
明原がわずかに眉をひそめる。
「…今までに、似たような気配を感じたことは?」
ズワの動きが止まる。
瞳が大きく見開かれた。
「…ある…」
明原が耳を澄ます。
「…ギルドで…」
「…俺たちが昔、闘ったことがあるヤツが…」
「…闘技場で…」
唾を飲み込み、
「…完敗だった」
明原は遮らず、聞き続ける。
「…あいつは本気なんか出してなかった…」
「…なのに、俺たちは歯が立たなかった…」
ちょうどそこへ、治癒師を連れて戻ってきたライオラも、その言葉に足を止めた。
「…それは、誰?」
明原が低く問う。
ズワは頭を悩ませるように眉をひそめる。
「…名前…はっきり覚えてないんだが…」
「…だけど…」
必死に思い出そうとする。
「…確か…」
「…レイジ…」
沈黙。
明原がゆっくりと眉を上げる。
深く、考え込むように。
「…そいつには、妹がいただろ?」
「…そして、あいつは…」
ズワは虚空を見つめたまま、
「…気配が…」
唇を噛みしめる。
「…そっくりなんだ…」
「…ここを滅ぼしたヤツと…」
ライオラがはっと息を呑み、全身が硬直する。
「…そんな…まさか…」
明原は表面上は冷静だった。
だが、心の中では思考が高速で回転していた。
あの男と…
この破壊者が、同じ気配?
人間…なのか?
それとも――
「もう、これ以上はしゃべらなくていい」
ライオラがすぐに側に寄り、
治癒師がズワの手当てを始める。
ズワはライオラを見つめ、
「…あんたは…」
「…グランドマスター…だな…」
ライオラがゆっくりと頷く。
「…大丈夫、もう休んで」
明原が一歩、後ろに下がったその時、
廃墟の奥から、重い声が響いた。
「…ライオラ…か?」
巨体の男が、ゆっくりと姿を現した。
体中に傷を負いながらも、
まだ、その場に立っている。
ガルドロス。
ライオラがすぐに駆け寄る。
「…ガルドロス!」
彼は弱々しく笑う。
「…来てくれたのか…」
そして、視線が明原へと移る。
「…で、こっちのお兄さんは?」
明原がフードを少しだけ下げ、
「…アキラだ」
ガルドロスが怪訝そうに眉をひそめる。
「…お前の知り合いか?」
ライオラが即答する。
「…違う!」
速い。
あまりにも速すぎる反応。
ガルドロスがくすりと笑う。
「…ほう? では、恋人さんか?」
「…ちが―――!!」
ライオラが真っ赤になって猛反論する。
だがその時、
明原が…
ほんの少しだけ、口元を上げた。
「…ああ」
沈黙。
ライオラが完全にフリーズする。
「…はッ?!」
だが明原は何事もなかったかのように、
ゆっくりと視線を戻し、前を向く。
ガルドロスが低く笑う。
「…それも、悪くないな…」
ライオラは歯ぎしりしながら、
「…後で、絶対覚えてろよ…」
だが、そんなやり取りも
長くは続かなかった。
突然、
空気が変わる。
冷たく、
重たく、
肌にまとわりつくような圧力。
明原が即座に動きを止める。
「…来た」
ライオラの体が硬直する。
ガルドロスが地面を強く握りしめる。
「…まだ、終わっちゃいねえってのに…」
まだ座っていたズワも、
ゆっくりと顔を上げた。
「…この気配…」
闇の彼方から、
重い足音が近づいてくる。
一つ。
二つ。
そして――
四つの影が、姿を現した。
長身。
腐敗した肉体。
だが、確かにそこに在り、立っている。
アンデッド。
そして、何より異常なのは――
魔力の気配が、一切感じられないことだった。
四体。
明原が一歩、前に踏み出す。
手のひらに、炎がゆらめき始める。
隣にライオラ。
指先には雷光が走り、空気が震えている。
後ろにはガルドロス。
彼の足元からは、大地が軋み亀裂が走る。
ズワも…
なんとか体を起こそうとする。
「…私だって…まだ…」
明原が一瞬だけ彼女を見る。
「…死ぬな」
ズワがかすかに笑う。
「…私も死ぬ気はないよ、アキラさん」
四体のアンデッドが、ぴたりと動きを止めた。
そして――
一瞬のうちに、
姿が掻き消える。
次の瞬間、
彼らの目前に現れた。
戦いの火蓋は、
切って落とされた。
「次回更新: 5月 2日 20:20」




