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第27話: 上から見守る者

空が暗くなり始めていた。


夜が来たからではない…


この森が、光を飲み込む速度があまりにも速すぎるのだ。


太い根が這う湿った地面を、二人の足音が静かに響かせる。


不知火明原が、いつものように先頭を歩く。


穏やかで、


落ち着いている。


だが、一切の隙はない。


その隣を


ライオラ・ライゼンが歩調を合わせる。


今回は…いつもより、少しだけ距離が近い。


しばらくの間、二人はただ黙って歩き続けた。


言葉はなく。


そしてライオラが、ふと足を止める。


「…明原」


彼は振り返らない。


「もしも…この先」


ライオラは小さく息を吸う。


「…帰れなかったら、どうする?」


明原の足音はすぐには止まらない。


だが、ゆっくりと速度が落ちる。


「…帰れる」


答えは速い。


あまりにも、速すぎる。


ライオラは彼の背中を見つめる。


「…いっつも、そうやって強がるんだから」


明原がようやく、少しだけ横を向く。


「そしてお前は、いつもついて来る」


沈黙。


ライオラは慌てて視線を逸らす。


頬が、かすかに熱くなっていた。


「だって…それは」


言いかけて、途中で止める。


「…もう、癖になってるだけだもん」


明原は何も言わない。


だが、口の端がほんのわずかに上がった。


数秒間だけ…


世界は、ただ平和だった。


だが


それはほんの一瞬のこと。


再び二人は歩き出す。


だが…


何かがおかしい。


足音が響かない。


葉擦れの音もしない。


風の音も消えた。


自分たちの足音さえも…


まるで何かに飲み込まれてしまうようだ。


ライオラが即座に立ち止まる。


「…聞いてる?」


明原も動きを止めた。


「…何も」


それが問題だった。


何もないのだ。


この森は…


あまりにも静かすぎる。


突然


地面に伸びる影が、ゆっくりと動いた。


だが、木々は微動だにしていない。


ライオラが一歩、後ずさる。


「…こんなの、普通じゃない」


明原は答えない。


瞳を細め、周囲を睨む。


だが見れば見るほど、


確信する。


距離感が…歪んでいる。


さっきまですぐそこにあった木が、今は遥か彼方にある。


地面が不自然に長く感じる。


一歩が、異常に重たい。


「…空間の歪み…」


明原が低く呟く。


ライオラが前に進もうとする。


だが


一歩踏み出しただけで


明原の姿が、信じられないほど遠くに見える。


「…えっ?!」


たった数メートル先にいるはずなのに。


距離はまるで…数十メートル、いや数百メートル離れているかのようだ。


「明原!」


声が出る。


だが、届かない。


空気の壁に阻まれ、その場に吸い込まれてしまう。


明原がこちらを向いた。


だが彼の声も


ライオラの耳には届かない。


現実そのものが…バラバラに崩れ始めていた。


そして、その混沌の中へ


一対の瞳が現れた。


黄金色の、鋭い瞳。


もはや隠れてはいない。


高い木の枝の上に佇み、


姿は朧げだが、


確かに――そこに存在していた。


「なるほど…」


声が響く。


穏やかで、


冷たく、


感情の欠片もない声。


「…これが噂の…グランドマスター、という代物か」


明原がゆっくりと見上げる。


彼の瞳だけは、この歪みに飲み込まれてはいなかった。


「…降りて来い」


たった一言。


男は少しの間黙し、


そして


身を躍らせ、地面に降り立つ。


音もなく。


気配もなく。


まるで重力など存在しないかのように。


彼は二人の前に立つ。


黄金の瞳が


今、はっきりと見える。


真っ直ぐに、こちらを射抜く。


「…面白い」


男はわずかに首を傾げる。


「…まだ、立っていられるのか」


アルゼン。


『傲慢』の罪を司る者。


ライオラが体を動かそうとする。


だが、全身が鉛のように重い。


足の向きも、感覚も…


全てがズレている。


「…なに、これ…?!」


アルゼンは彼女の方を見もしない。


視線は、ただ明原だけに注がれている。


「…貴様だけは、完全には呑まれていないようだ」


明原が一歩、踏み出す。


ゆっくりと。


だがその一歩一歩は、


この歪んだ世界そのものに抵抗するかのような力強さを帯びていた。


「…つまらん、見せびらかしだな」


アルゼンは黙っていたが、


やがて


口元に、薄い笑みが浮かぶ。


「…これは幻などではない」


瞬間


世界が反転する。


地面が消え、


空が砕け、


森の形が崩れていく。


ライオラの視界から


明原の姿が…消えた。


「明原?!」


一方その頃


明原の視界では


ライオラが遥か彼方に遠ざかっていくのが見えた。


「…二人を引き離す…か」


アルゼンがゆっくりと歩く。


焦る様子はない。


「…貴様たちは互いに頼りすぎている」


明原の目前で足を止める。


「…私はただ、その脆さを…見せているだけだ」


明原は彼を見据える。


迷いも、怯えもない。


「…それが目的なら…」


手のひらに、炎が宿る。


今までよりも、遥かに密度の濃い、重たい炎。


「…時間の無駄だ」


一歩、踏み込む。


そして世界が


弾けるように砕けた。


炎は暴れるのではない。


圧し潰すように、周囲の歪みを打ち消す。


無理やりに、現実を元の形へと引き戻す。


ライオラの視界に


突然、明原の背中が戻って来た。


すぐそばに。


鮮明に。


「…えっ…?!」


アルゼンが、一歩だけ後ろへ下がる。


初めて


彼の表情に、僅かな変化が訪れた。


「…なるほど…」


瞳が鋭く細まる。


「…これが、貴様の力か」


明原は今、ライオラの前に立っていた。


彼女を守るように。


ライオラがはっと我に返る。


「…ごめん」


「…集中しろ」


短い言葉。


だが、それだけで十分だった。


二人は並び立つ。


アルゼンがその姿を眺め、


数秒の沈黙。


そして


「…今日はここまでにしてやろう」


予告もなく


歪みは消え去った。


森の形が戻り、


音が戻り、


風が再び吹き始める。


まるで最初から何も起こらなかったかのように。


アルゼンが背中を向ける。


「…そう簡単には死ぬなよ」


足取りは軽やかだ。


「…貴様たちへの評価は、まだ終わっていない」


そして瞬きの間に――


姿は闇へと消えた。


残されたのは、重たい空気だけ。


ライオラが大きく息を吐く。


「…あいつ…」


明原は答えない。


ただ、消えた方向を見つめたまま。


「…あれは、ただの敵じゃない」


ライオラが唾を飲み込む。


「…あれは…もっと、別の何かだ」


明原がようやく口を開く。


「…ああ」


沈黙が流れる。


そして彼は再び、歩き出す。


「…行くぞ」


ライオラもすぐに続く。


躊躇いはない。


だが今回


二人の足取りは…


確実に、重たくなっていた。


なぜなら彼らは知ってしまったから。


自分たちを見ている存在が…


単なる影や魔物ではなく、


わざと…命を奪わずにいる存在だということを。


そしてそれは


どんな脅威よりも、遥かに危険なことだった。

「次回更新: 4月 30日 20:20」

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