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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第6章 広がる世界
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第97話 祈る者たち

Side:セレドの聖職者


 乾いた豆が、木の升から袋へ落ちた。


 イレーネは袋の底を軽く揺すり、収まりを確かめた。向かいで口を支えていたクラウスが、脇へ置いた木札を取る。


「粉は、これで全部か」


「今日出せるのは、それだけね。ほかの村へ送る分も残さないと」


 クラウスは壁際の袋へ目を向けた。


 セレドの聖環教会には、周辺の村から救援の要請が届いていた。井戸から汲める水が減った。作物の育ちが悪い。手紙に書かれていることは、どこも少しずつ似ている。


 机の端には、今朝読み直した書簡が開いてあった。


 そこには、畑へ向かう道で魔獣を見かけることが増えたとも記されている。働きに出るのを控える日が続き、残っていた食料だけでは足りなくなりそうだという。


「畑に出られないのでは、次も困る」


「ええ」


 イレーネは頷き、木札に記された届け先を確かめた。


 頼まれた分を、全部は揃えられない。それでも、ここに置いたままでは、誰の腹も満たせなかった。


「まずは、これを送ってもらいましょう」


 クラウスが袋の口を寄せ、紐を巻いた。イレーネも隣の袋を引き寄せ、布の継ぎ目に破れがないか確かめる。


 窓は開けてあった。庭から入る風が、机の上の紙の端を持ち上げた。


 荷をひとまとめにしたところで、イレーネは昼の便で届いた書簡へ手を伸ばした。


「ラーデンからか」


「ええ。向こうの教会からよ」


 火事があったという知らせは、先に届いていた。被害の詳しい様子については、まだわからないことが多かった。


 イレーネは紙を広げた。


 巨大な猪のような魔獣が現れ、身体から火を噴いた。乾いた草や柵に燃え移り、家を焼かれた者もいる。


 現地の教会では、被災した人々の食事や寝場所の世話を続けているという。


 その下の一行を読み、イレーネは小さく息をついた。


「亡くなった方は、いなかったそうよ」


「そうか」


 クラウスの声も、少し緩んだ。


「それはよかった」


「怪我の治療が続いている方は、いるみたい。でも……」


 続きを読んでいた目が止まる。


 白銀の長い髪をした、若い魔女。


 消火に加わった者たちから、その魔女に助けられたという話を聞いたと記されていた。


 炎が急に弱まり、近くの空気が冷たくなった。同じ頃、空から白い小さなものが降り、地面や屋根を覆ったという。


「……白いもの?」


「何だ?」


 クラウスが顔を上げる。


「火事の最中に、空から白いものが降ったとあるわ」


「雨ではなく?」


「ええ。触れると冷たくて、手の上で水になったそうよ」


 クラウスは結び終えた袋から手を離した。


 イレーネは、袋の口に残った粉へ目を向けた。あんなふうに、さらさらしたものだったのだろうか。


 窓の外には、薄い雲が浮かんでいた。あの空から庭を覆うほど降ってくる様子を思い描こうとしても、うまく形にならなかった。


 書簡の後ろには、見慣れない名が添えられていた。


 雪。


 役所で古い記録を調べたところ、似たものが見つかったという。その名から、街では魔女を「雪の魔女」と呼ぶ者がいるらしい。


「雪の魔女、と呼ばれているそうよ」


「雪……」


 クラウスが、その言葉を繰り返した。


 イレーネは書簡を差し出した。彼は手を拭って受け取り、目を通し始める。


 机には、村から届いた要請も開いたままになっていた。


 水が足りない。畑へ出られない。次に食べるものを、何とか送ってもらえないか。


 イレーネは、その紙を窓から入る風の届かないところへ寄せた。


「火へ近づけるようになったと、ここにあるな」


 クラウスの声に顔を上げる。


 彼が指しているのは、消火に加わった者の話だった。


「ええ。水を運んでいた人たちも、助かったのでしょうね」


 イレーネは頷いた。


 燃える家の前で、水を運び続ける。熱に阻まれ、近づけない時のことは、想像できた。その熱が和らいだのなら、どれほどほっとしただろう。


「力を貸してくれたのね」


 口にしてから、書簡の中の「魔女」という文字をもう一度見た。


 クラウスは紙を机へ戻した。その指が、村から届いた要請の端へ触れる。


「あの村の者たちがこの話を聞けば、魔女に来てほしいと思うかもしれん。井戸の水を増やしてくれ、畑を元に戻してくれと」


「……そうね」


「だが、魔女が人々を殺したという記録も残っている。助かったという話だけで、警戒を解いてよいのか」


 イレーネも、教会で学んだ時に読んだ覚えがあった。遥か昔のことで、記述はわずかしか残っていないという。


 魔女が迫害に抗って人々を害したのか、人々を害したことで迫害が始まったのか。どちらが先だったのかは、その記録からは分からなかった。


「また人が害されてからでは、遅い」


 クラウスは、村からの書簡を手元へ寄せた。


「水が足りず、畑から糧が得られない。獣の出方まで変わってきている。女神の定めた巡りが、どこかで乱れているように思える」


 イレーネは、壁際に残った食料へ目を向けた。


 以前と同じだけ送れれば、それで足りるという話ではなくなっていた。前の便を出したばかりの村から、また要請が届くこともある。


「そんな時に、こういう力の話が届く。巡りの乱れと、無関係なのだろうか」


「この魔女が、水や畑の異変に関わったという話はないわ」


 クラウスは、すぐには答えなかった。


 イレーネにも、何が起きているのかは分からない。


 魔女の力に頼ってはいけない。


 何度も教わり、自分でも人へ伝えてきた言葉だった。クラウスが案じていることは、イレーネにも分かる。人々が危険な目に遭わないようにするのも、自分たちの務めだった。


 それでも、書簡には助けられた人たちの話が残っていた。


 火へ近づけるようになった。


 その短い一文へ、もう一度目を落とす。


 魔女だと知っていても、その場にいた人たちは、助かったと話している。


「向こうへ、もう少し詳しく聞いてみましょう」


 イレーネは言った。


「魔女のことをか」


「ええ。あの場で何があったのか。助けられた人たちが、何を見て、どう感じたのか」


 クラウスが書簡へ目を戻す。


「向こうの教会で話を聞いてくれた人に、頼んでみるわ」


「……そうだな。私も、詳しく知りたい」


 イレーネは頷いた。


 返事を書くための紙を取り、机の空いているところへ置く。書簡をそばへ寄せた時、村からの要請が目に入った。


「役所へも、今の不足を知らせておこう」


 クラウスが言った。


「この量では、次の便まで持たないかもしれん」


「ええ。来ている要請も添えるわ」


 イレーネは、村の書簡を手前へ寄せた。


 まず、食料の不足を知らせるために、必要なことを書き出す。頼まれた量と、今日送れる量。ほかの村からも要請が届いていること。


 その隣では、クラウスが荷の結び目を確かめていた。


 役所へ出すものを整えてから、ラーデンへの返事に取りかかった。被災した人々への支援を続けている相手を労い、魔女に救われたという人たちの話を、もう少し聞かせてほしいと添える。


 書き終えて筆を置くと、クラウスが袋を一つ持ち上げた。


「運び手が来た。これも出しておく」


「お願い」


 イレーネは紙が乾くのを待ち、宛先を添えた。


 それから立ち上がり、彼の後を追って、残った荷の運び出しに加わった。


     *


 作業場へ戻ると、壁際の袋が減っていた。


 空いたところを眺め、イレーネは机に残した書簡を揃えた。返事と役所への要請は、次の便に渡す束へ収めてある。


 ラーデンから来た紙の端を整え、ほかの書簡の上へ重ねた。


 そのあとで、礼拝堂へ向かった。


 扉を押すと、作業場に残る物音が少し遠くなった。高い窓から入る光が、長椅子の端へ落ちている。


 イレーネは前へ進み、両手を組んで頭を垂れた。隣にクラウスが立つ気配がして、衣の擦れる音が止まる。


 村で食料を待つ人たちに、今日の荷が無事届くように。


 残る糧が尽きる前に、次の支援を送れるように。


 ラーデンで怪我をした人々のことも祈った。家を失った者が、落ち着いて眠れる場所を得られるように。火のそばで働いた者が、また自分の暮らしへ戻れるように。


 書簡にあった言葉を思い返す。


 白銀の長い髪をした、若い魔女。


 まだ想像もつかない白いものを降らせ、火の近くにいた人たちを助けたという。


 イレーネは、組んだ指をわずかに動かした。


 書簡には、その後のことまでは書かれていなかった。


 その人も、無事だったのだろうか。




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