第95話 焔獣という名
Side:セレドの研究者
「ラーデンのギルドから、第一報の写しです」
若い研究員が差し出した紙を、ヘルマンは受け取った。
机に広げていた骨格図を寄せ、窓の方へ紙を向ける。折り目のついた数枚には、魔獣の出現と、それに伴う火災について記されていた。
「被害の詳しい報告は、あとから届くそうです。先に、魔獣のことをと」
「ああ」
ヘルマンは目を通した。
巨大な猪に似た姿。肩や背から炎が上がり、走り回りながら周囲へ火を撒いた。乾いた草や柵に移った火は、街外れの家屋にも及んでいる。
紙を押さえていた指が、止まった。
次の行を読む。
牙は黒く、焼け焦げとは異なる。表面は滑らかで、光を受けると金属のように鈍く反射した。
倒された個体からは、いくつかの部位を回収している。詳しい記録とともに、後送する予定だと添えられていた。
「鹿の報告を、出してくれるか。解体後の所見が付いている方だ」
「国外から届いたものですね」
「ああ」
研究員が棚へ向かった。
ヘルマンはラーデンの報告を最初へ戻した。
猪の身体から火が出ていた。
その一文を、もう一度読む。
研究員が紙の束を運んできた。机の上に残っていた骨格図を巻き、空いたところへ広げる。
こちらも、街の近くへ現れた魔獣についての記録だった。
鹿に似た姿。街の北側に連なる岩壁から駆け下り、人を襲った。身体から撒かれた火は家屋へ移り、亡くなった者も出ている。
討伐までの経過に続き、解体したあとの所見が綴じられていた。
ヘルマンは、横から描かれた個体の図を開いた。
体の大きさが書き添えられている。通常の鹿型魔獣と比べても大きい。その脇にある、討伐者の証言を確かめた。
「やはり、最初は成獣と見ていたんだな」
「はい。こちらに、あとから訂正が入っています」
研究員が、別の紙を指した。
幼体と考えられる。
その下には、判断の根拠がいくつか記されていた。
ヘルマンは骨の図へ目を移した。それから椅子を引き、壁際の棚へ立った。
背表紙の擦れた綴りを一冊抜く。鹿の骨格と歯を調べた時の記録だった。
机へ戻り、成獣の図を開いた。国外から届いた図を、隣へ寄せる。
骨のつなぎ目を、順に見比べた。
「この辺りか」
現地の調査者が印をつけた箇所を、指で押さえる。
成獣の図とは、違っていた。骨の成長が終わっていないという所見もある。
「体の図だけだと、大きな鹿に見えますね」
研究員が言った。
「私も、最初はそちらを見た」
ヘルマンは答え、もう一枚を開いた。
顎と歯列を写した図だった。歯の状態についての所見も、細かく添えられている。
ヘルマンは手元の資料を数頁戻し、成獣の歯列と見比べた。骨の成長度合いと歯の状態、その両方から、現地の調査者は幼体と判断していた。
ヘルマンは、最初の図へ戻った。
通常の鹿型魔獣よりも大きな身体。その内側には、まだ育ちきっていない骨があった。
「どのくらいの間に、ここまで大きくなったんでしょう」
「それが知りたいな」
ヘルマンは、図に添えられた所見を追った。
変化する前を知る者がいたのか。いつからこの姿になっていたのか。
そこに、答えはなかった。
代わりに、蹄についての記録がある。
彼はその紙を手前へ引いた。蹄の外形と、調べた箇所を示す図が添えられている。
現地の調査では、鋼鉄化が確認されていた。
ヘルマンはラーデンの報告へ手を伸ばした。
黒い牙。滑らかな表面。金属のような反射。
研究員も、二つの紙へ目を落とす。
「猪の牙も、同じなんでしょうか」
「まだ、そうは書けない。こちらは見た目の記述だ」
ヘルマンは、牙についての一行を指した。
「硬くなること自体は、普通の魔獣にもある。何がどう変わっているのかは、現物を見たい」
紙の端へ、確かめることを書き添える。
蹄の所見と比較。
書いてから、その横に線を引いた。
「地図を頼む」
研究員が棚から地図を取り出した。
二人で紙を寄せ、机の中央へ広げる。巻かれていた端へ文鎮を置き、ヘルマンはセレドの位置を確かめた。
そこから、ラーデンへ指を移す。
国外の街は、ずっと離れた場所にあった。地図の上で国境を越え、報告に記された街の名を探す。
二つの場所へ、小さく印をつけた。
離れた土地で、異なる姿の魔獣が、身体から火を噴いていた。
「この二つ、合わせてギルドへ回しましょうか」
研究員が言った。
ヘルマンは、二つの印を見た。
国外の報告を受け取ってから、こちらに残る記録も探している。あの鹿の変質を説明できるものは、まだ見つかっていなかった。
そうしている間に、ラーデンで猪が現れた。
鹿の姿だけを伝えても、次に現れるものを見落とすかもしれない。
「ああ。役所にも送ろう。今のうちに、共通する危険を知らせておきたい」
ヘルマンは、国外の被害を記した紙へ目を戻した。
魔獣が倒れたあとも、移った火によって被害が広がっている。ラーデンの第一報にも、家屋への延焼が記されていた。
「火は、魔獣を倒しても残る。討伐に出る者だけが知っていればいい話じゃないな」
「避難や消火の方にも、伝わるようにします」
「頼む」
ヘルマンは新しい紙を引き寄せた。
研究員も椅子を運び、机の横へ座った。二つの報告を手元へ寄せ、出現した場所を書き出している。
ヘルマンは冒頭へ、身体から炎を噴く魔獣、と記した。
筆を止める。
今後、別の姿をした個体の報告が来るかもしれない。そのたびに異なる呼び方で記録されては、似た事例を探す時に拾いきれなくなる。
「呼び名を、揃えておこうか」
研究員が顔を上げた。
「鹿も、猪もですか」
「ああ。身体から火や異常な熱を出す個体の報告を、まとめて比べたい」
ヘルマンは、空けていたところへ文字を書いた。
焔獣。
研究員が、その文字を読んだ。
「焔獣……」
「ひとまず、そう呼ぼう。原因が同じかどうかは、これから調べる」
名称の横へ、仮称と添えた。
判明した性質を書き出していく。
鹿の蹄については、国外の調査所見によるものと記す。ラーデンの牙は、外観の記述を写した。
共通しているところと、まだ比較できないところを確かめ、二件の報告を添付する旨を書き足す。
研究員は、注意事項の文案を作っていた。
「炎や異常な熱を出す個体には、単独で近づかないこと。それから、乾いた草や建物への延焼に注意すること……」
途中で、筆が止まった。
「『単独で』だけだと、人数がいれば近づいてもいいように読めますね」
ヘルマンは、その行を覗いた。
「そうだな。不用意に近づかず、ギルドへ知らせること、としよう。討伐する時にも、周囲へ火が移る危険を見込んでもらう」
研究員が頷き、文面を直す。
「出現場所と、姿や大きさも残してほしいですね。火がどこから出ていたかも」
「実際に見たことと、あとで調べたことは、分けて書いてもらおう」
成獣と記された証言と、幼体という解体後の所見。
両方が残っていたから、体格を見た時の判断まで、たどることができた。
ヘルマンは、その二枚を研究員の方へ寄せた。
研究員も目を通し、求める記録の項目へ短い説明を書き足す。
「試料の採取も、依頼しますか」
「できる範囲で。現場を片づけて、余裕があればだ」
ヘルマンは答えた。
「持ち帰るために怪我をされては困る。採れたものがあれば、採った時の状態も添えてほしい」
研究員は、書き終えた文案をヘルマンへ渡した。
目を通す間に、机の上の光が少しずつ動いていた。文鎮の影が、地図に記した印の近くまで伸びている。
ヘルマンは残りを読み、最後に頷いた。
「これでいい。写しを作って、ギルドと役所へ」
「所見の方も、一緒に」
「ああ」
研究員は清書用の紙を取り出した。
ヘルマンは地図の端を押さえていた文鎮を外した。机の上を片づけ、書きやすい場所を空ける。
二つの印は、遠く離れていた。
その間にある土地で、同じものが出ているのか。まだ、ほかにも報告があるのか。
それを知るためにも、記録が集まる先を作る必要がある。
清書が終わるのを待つ間に、彼はラーデンの報告をもう一度開いた。
回収した部位は、後送予定。
牙を調べれば、蹄と似た変化が見つかるだろうか。
牙の表面と内側で、変わり方に違いはあるだろうか。蹄についての所見には、比較したい箇所がいくつも残っている。
ヘルマンは書き添えた項目を確かめ、蹄についての所見を、その隣へ収めた。
「こちら、お願いします」
研究員が、清書した紙を差し出した。
ヘルマンは二通とも綴じる順番を確かめ、最後の頁へ名を記した。
研究員が宛先を添える。
「では、届けてもらってきます」
「ああ。頼む」
書類を抱えた研究員が、部屋を出ていった。
ヘルマンは扉が閉まるのを見届け、机へ向き直った。
国外の報告を綴じ直す。その表紙へ挟む紙に、焔獣、と書いた。
同じ名を、ラーデンの報告にも添える。
二つを重ね、手の届く棚へ収めた。




