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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第6章 広がる世界
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第92話 話しておきたいこと


 荷馬車が曲がると、村の屋根が木々の向こうへ隠れた。


 エルナはしばらく、遠ざかる畑を見ていた。


「その包み、箱の横へ寄せてもらえる?」


 ニーナの声で、エルナは荷台へ目を戻した。


 買い足した食料の包みだった。端が少し張り出し、ニーナが点検具のケースを置くところへ重なっている。


「ここでいいですか」


「ええ。紐も、そばにあるわ」


 エルナは包みを寄せ、紐を取った。ニーナが端を受け取り、木箱の持ち手へ回す。


 二人で留め、手を離して確かめた。ケースを置いても、包みは動かなかった。


「ありがとう。これなら出しやすいわ」


「はい」


 ニーナがケースを開く。エルナは荷台の外へ目を向けた。


 御者席にはグレンがいる。フィンは荷馬車より先を歩き、ルークは右脇、バルドは後ろにいた。


 昼に聞いた呼び名が、不意に浮かぶ。


 雪の魔女。


 店主は、白銀の長い髪をした若い魔女だと話していた。自分の名前も、顔も知らないまま。


 エルナは髪布の端へ触れた。


 そこから髪は出ていない。左手首には腕輪があり、小さな石は淡く光っていた。


 土の下から掘り出された、淡い藤色の髪の赤ん坊を思い出す。触れた指は冷たく、ロザリーが抱き続けても、温かくならなかった。


 何もしていなくても、魔女だというだけで命を奪おうとする人がいる。


 隠しているのは、そういう人から自分を守るためだった。


 車輪が石を越える。


 ニーナが木箱へ手を添え、エルナも隣で身体を支えた。


「ここ、石が多いわね」


「はい。さっきから、何度も揺れますね」


 ニーナが少し笑った。


 エルナも笑い、縁を持ち直す。


 並んで座り、必要なものを渡し、揺れれば同じように手をつく。こうして過ごす時間を、エルナは好きになっていた。


 エルナは、もう一度髪布の端へ触れた。


 あの噂と自分が結びついたら。


 隣にいる人も、知ることになる。その時、この距離や声まで変わってしまうだろうか。


 エルナは布の端を入れ直した。


 ニーナがケースを閉め、脇へ置く。エルナはそこへ紐が出ていないことを確かめてから、道へ目を戻した。


     *


 夕方、フィンが街道の脇で足を止めた。


 木立の間に細い道がある。彼が奥へ入り、グレンも馬を止めて御者席から下りた。


 ルークは荷馬車の脇に残り、バルドは後ろの道を見ている。エルナも荷台から木々の間へ目を向けた。


 少しして、二人が戻ってきた。


「ここで休もう。水も近い」


 グレンが言い、荷馬車を枝道へ入れる。


 一度曲がった先に、草の低い場所があった。街道は木立に隠れ、ここからは見えない。


 エルナは地面へ下り、来た方を見た。草の薄いところには、古い車輪の跡が残っている。


 ほかの人も、使う場所なのだろう。


 ニーナは荷台の保存筒へ向かった。グレンとフィンが馬を外し、ルークは水袋を取る。バルドも薪を探しに行った。


 エルナは食料を出し、布の上へ根菜を並べた。


 手を洗い、ナイフを取る。切ったものを鍋へ移していると、フィンが細い枝を持って戻ってきた。


「これ、火をつける方に使える?」


「はい。ここに置いてもらえますか」


「わかった」


 彼はしゃがみ、枝を揃えた。エルナが干し肉の包みを取ると、端を踏まないよう少し横へ寄る。


 いつもの声だった。


 銀白の髪を見たあと、ルークの部屋へ来てくれた時も。


 体調を気遣い、街のことを話してくれた。帰る前には、元気になったらまた一緒に仕事をしようと言っていた。


「飯、どのくらいで出来そうだ?」


 馬のそばから、グレンが尋ねる。


「もう少し切れば、あとは煮るだけです」


「なら、先に馬を見てくる」


 エルナが頷くと、彼は馬の方へ戻った。


 二人とも、自分が魔女だと知っている。


 あの部屋では、噂が自分の名前と結びついていないかも尋ねた。けれど、二人は今日も、同じ調子で話している。


 エルナは切った干し肉を鍋へ入れた。


 また一緒に仕事をしようという言葉が、今、こうして続いている。


 ニーナが点検具を収め、残りの根菜を手にして隣へ来た。


「これも入れましょう」


「はい。これ、使ってください」


 エルナが板を寄せる。ニーナは空いたところで皮を剥き、切るものを並べた。


 バルドも太い枝を抱えて戻り、フィンの揃えたものとは分けて置いている。水を運んできたルークが、鍋へ水を注いだ。


 六人で手を動かしている。


 エルナもナイフを持ち直し、残りを切った。


 話さずに、旅を続けることもできる。


 誰からも、説明を求められてはいない。


 それでも、髪を見た二人が変わらず接してくれたことは、嬉しかった。ニーナやバルドとのやり取りにも、気を張らずに返事ができる時間が増えている。


 エルナは鍋へ最後の根菜を入れた。


 この人たちには、自分の言葉で伝えてみたい。


 ニーナとバルドが、知ったあとにどうするかは分からない。午後に感じた怖さも、まだあった。


 けれど、今夜、自分から話そうと思った。


 ルークが鍋を火へ掛ける。ニーナがそばへ腰を下ろし、時々混ぜながら煮えるのを待ち始めた。


 エルナは布で手を拭いた。


 話すなら、魔女だということだけではなく。


 魔法を使う時に、何を使っているのかも知っていてほしい。


 寝具を下ろしに荷馬車へ戻ると、ルークも敷布の束を取り出していた。


「こっち、空いてるよ」


 草の低いところを指す。


「はい。……ルーク」


「何?」


 エルナは毛布を鞄の横へ置き、声を落とした。


「今夜、みんなに、私が魔女だと話したいんです」


 ルークの手が止まった。


 こちらを見てから、火のそばへ一度目を向ける。


「命紋のことも?」


「はい。使うと、疲れるだけではないことも、知っていてほしくて」


 ルークは少しの間、黙っていた。それから頷く。


「夕飯のあとなら、みんな揃ってる。俺も隣で聞くよ」


「はい」


 エルナは枝道へ目を向けた。


「ここも、ほかの人が来ることはありますよね」


「あるよ。話してる間も、周りは見てよう。近づいてきたら、一度止めればいい」


 エルナは頷き、丸めた敷布を取った。


 ルークも自分の分を下ろす。二人で寝床を整えてから、火のそばへ戻った。


     *


 食後の火は、鍋を煮ていた時より小さくなっていた。


 ニーナが器をまとめ、バルドは残ったパンの包みを閉じている。フィンは枝道へ顔を向けられるところに座り、グレンも時々、林の方を見ていた。


 エルナは自分の鞄を、膝のそばへ寄せた。


「少し、聞いてもらいたいことがあります」


 四人がこちらを向く。ルークも隣へ腰を下ろした。


 エルナは声を落とした。


「ここで話すことは、皆さんの間だけにしてもらえますか」


「わかった。外へは話さない」


 グレンが答えた。


 フィンも頷く。バルドは短く返事をし、ニーナはエルナを見て「ええ」と言った。


 エルナは膝に置いた手を、軽く開いた。


 一度話せば、知られたことは戻せない。


 ニーナとバルドの顔を見る。二人は、続きを待っていた。


 火のそばにいる五人へ届くくらいに、声を抑えた。


「私、魔女なんです。ラーデンで、魔法を使いました」


 ニーナの手が止まった。


 バルドも包みから顔を上げる。エルナはグレンとフィンへ目を向けた。


「二人には、あの時に見られていましたけど。魔法のことは、私からきちんと話していませんでしたから」


 グレンが頷く。フィンもこちらを見たまま、続きを待っていた。


 言葉で伝えたあとも、髪は布の中にある。


 今は、髪も隠さずに話したかった。


 フードを背へ下ろす。


 左手首の腕輪を外し、開いた鞄のいちばん上へ置いた。次に、髪布の端を引き出す。


 指が、少し止まった。


 エルナは一度息を吸い、布をほどいた。


 銀白の髪が肩から背へ落ちる。


 ニーナの視線が、髪へ動いた。バルドもこちらを見ている。


「……あの時の魔女、お前だったのか」


 バルドが声を落として言った。


「はい」


「白い髪だってのは聞いてたが」


 彼は髪を見てから、エルナの顔へ目を戻した。


「そうか。お前だったんだな」


 ニーナも、髪から顔へ視線を戻す。


「その腕輪も、隠すためのものだったの?」


「はい。見た人の意識を、少し逸らす魔道具です」


「そう。……気づかなかったわ」


 まだ驚きの残る顔だった。けれど、ニーナは顔をそむけず、エルナへ返事をした。


 バルドも、座っていたところから動いていない。


 エルナは息を吐いた。


 布をほどいてから、止めていたらしい。


 髪布を畳み、腕輪の下へ敷く。人が近づけば、先にフードをかぶれる。布も、すぐ取れるところにあった。


 エルナはグレンとフィンを見た。


「見舞いに来てくれた時も、二人はいつもと同じでしたよね」


 フィンがこちらへ顔を向ける。


「それが、嬉しかったんです」


「俺もさ、聞いていいのか分からなくて」


 彼は弓の端へ指を置いた。


「話したくないことまで、聞くのもなと思ってた」


「……そうだったんですね」


「ああ」


 エルナは彼を見た。


 フィンが尋ねてこなかった理由を、今、初めて聞いた。


 グレンもこちらへ顔を向ける。


「お前を信用してる。魔女だと分かっても、それは変わらない」


 エルナは膝へ目を落とした。


 指先に入っていた力を抜く。肩に触れる髪が、少し動いた。


 顔を上げると、グレンはまだこちらを見ていた。


「……ありがとうございます」


 グレンが頷き、林の方へ目を向けた。


 エルナはそのまま、しばらく座っていた。


 ニーナが、ゆっくり口を開く。


「火は、冷やして弱めたの?」


「熱を、別のところへ移しました。あの獣からは、異常に溜まっていた熱だけを。火事では、燃えているものと、火が広がる先から」


 エルナは続けた。


「人や家畜の身体には、触れないようにしました」


「それで、雪が?」


「はい。周りの空気が冷えて、そこにあった水分が雪になったんです」


 ニーナは火へ目を向け、それからエルナへ戻した。


 エルナも小さな炎を見た。


「それと、使う時の負担のことも、話しておきたいんです」


 服の上から、左胸へ手を添える。


「魔力は、休めば戻ります。でも、魔法を使う時に減るのは、魔力だけではないんです」


 グレンがこちらを見た。


「魔女には、命紋という紋様があります。年を取ったり、魔法を使ったりすると、少しずつ形が増えていきます」


 エルナは五人の顔を見た。


「一度進んだ分は、戻りません。命紋が完成した時、その魔女は死にます」


 フィンの指が止まった。


 バルドは膝に置いていた手を握る。ニーナの唇も少し動いたが、すぐには声にならなかった。


 エルナは胸元から手を下ろし、待った。


 薪の端が、小さく割れた。


 少しして、グレンが尋ねる。


「今は、大丈夫なのか」


「はい。火事のあと、目を覚ましてから確かめました。少し線が増えていましたけど、余白は、まだかなり残っていました」


「そうか」


 グレンは頷いた。


 それでも、すぐには次のことを聞かなかった。


 フィンは弓へ目を落とし、やがて顔を上げる。ニーナは膝の布を見ていた。


「知らなかったわ」


 静かな声だった。


「魔法を使うことに、そういう代償があるなんて」


「はい」


 エルナは答え、火の方へ目を向けた。


 ラーデンでは、こんな小さな火ではなかった。水を運ぶ人が走っていても、その先へ火の粉が飛んでいた。


「使ったことは、後悔していません。あの時は、ラーデンを守りたかったんです」


 顔を上げる。


「ほかの方法で止められるなら、その方がよかったですけど」


 ニーナが、ゆっくり頷いた。


 バルドも口を開く。


「……俺も、あの火は止めたかった」


 膝に置いた手を開いた。


「柵を切ってる間にも、火の粉が先へ飛んでたからな」


 エルナは彼を見た。


 燃える柵へ斧を振るっていた姿が浮かぶ。バルドも、そこで出来ることを続けていた。


「今の話は、聞いといてよかった」


「はい。知っていてほしかったんです」


 エルナが答えると、グレンがこちらへ顔を向けた。


「必要な時は、俺たちにも言ってくれ。出来ることがあるかもしれない」


「はい」


「使わずに済む方法も、一緒に考えよう」


 エルナは頷いた。


「お願いします」


 隣のルークも、黙って聞いていた。エルナがそちらを向くと、目が合う。


 彼には、前にも話した。


 今日は、ほかの四人も聞いてくれた。


 エルナは鞄の上へ目を落とした。畳んだ髪布と腕輪が、火の明かりに見えている。


「教えてくれてありがとう」


 ニーナが言った。


 エルナはその声を聞き、顔を上げる。


「……ありがとうございます」


     *


「これ、洗う水だろ?」


 バルドが桶へ目を向けた。


「はい」


「そっちへ寄せるぞ」


 彼が木箱のそばへ運ぶ。エルナも立ち上がると、ニーナがまとめた器を差し出した。


「匙も、こっちにあるわ」


「はい」


 両手で受け取り、水を少し回す。


 顔を下げた時、髪が前へ滑ってきた。エルナは背へ払い、器の底に残った汁を落とした。


 ルークが布を取って隣へ来る。


「洗ったら、渡して」


「お願いします」


 器を渡し、次のものを受け取る。


 グレンは馬の縄を見に行き、フィンは枝道の方で立ち止まっていた。バルドは残った薪を寄せ、ニーナは荷台へ点検具を取りに戻る。


 エルナは最後の器を洗い、ルークへ渡した。


 拭いたものを木箱へ重ねる。匙もまとめて収めていると、ニーナが戻ってきた。


「鍋の蓋、脇に入れてもらえる?」


「ここですか」


「ええ。そっちなら、朝も出しやすいわ」


 エルナが場所を空けると、ルークが洗った鍋を下ろした。ニーナが持ち手を倒し、エルナは蓋を脇へ入れる。


「これで、収まりましたね」


「ええ」


 ニーナが頷く。エルナも木箱を閉じた。


 髪は、まだ肩に出ていた。


 ニーナは、魔女だと知ったうえで隣に立ち、朝の支度の話をしてくれる。


 午後、荷台で聞いたのと同じ声だった。


 エルナもその顔を見て、普通に返事が出来た。


 鞄のそばへ戻り、腕輪を取る。


 眠ってからでは、人が近づいてもすぐには隠せない。エルナは左手首へ腕輪をつけ、髪布を広げた。


 髪をまとめ、包む。


 すぐそばで、ニーナが自分の毛布を広げていた。エルナも布の端を入れ直した。


 巻き直すところを、その人に見られてもよかった。


「最初は、俺とフィンで見てる」


 戻ってきたグレンが言った。


「ほかの四人は、先に休んでくれ。交代の時に起こす」


「わかった」


 ルークが答える。


 エルナも敷布へ腰を下ろし、膝へ毛布を掛けた。隣ではルークが靴についた草を取っている。


 彼がこちらを見た。


「話せたね」


「はい」


 エルナは頷き、少しして続けた。


「……怖かったです」


「うん」


「でも、話してよかったです」


 ルークはエルナを見て、少し笑った。


 エルナは、ルークの手へ自分から手を伸ばした。


 指が触れると、彼も手を開いた。重ねた指を、軽く握り返してくれる。


 エルナはしばらく、その手を握っていた。


 火のそばでは、フィンがグレンへ何かを伝えている。二人の顔が、順に枝道へ向いた。


 ニーナが鞄を置き直す音も聞こえる。


 明日の朝には、また器を出す。六人で食べ、荷を積んで、セレドへ向かう。


 また迷ったり、怖いと思ったりした時には、この人たちにも話してみていいかもしれない。


 エルナはルークの手を離し、毛布を広げた。


「おやすみなさい」


「おやすみ」


 髪布の端へ一度触れ、手を毛布の中へ戻す。


 エルナは目を閉じた。




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