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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第6章 広がる世界
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第90話 残る温もり


 午後の道では、御者席にフィンが座っていた。


 昼に水場で休んでから、グレンと交代した。馬も水を飲み、エルナたちも荷馬車を下りて食事を取った。再び乗った時には楽になった腰が、今はまた、揺れるたびに少し気になっている。


 木々の間から差す日が、荷台の縁へ長く伸びていた。前を歩いていたグレンが足を止め、道の脇へ目を向ける。


「今日は、ここで止まろう」


 林の切れたところに、細い道があった。奥には草の低い場所が見える。


「前に使ったところか?」


 フィンが尋ねた。


「ああ。水も近い」


 グレンが先へ入り、フィンも荷馬車を止めて御者席を下りた。二人が草の端や木々の間を確かめるあいだ、ルークは右脇に立ち、バルドは後ろの道を見ていた。


 エルナも荷台から周囲を見た。草の低い場所の端には、黒くなった石が残っている。以前にも、ここで火を使ったのだろう。


 グレンが戻ってきて手を上げた。フィンが御者席へ乗り、荷馬車を奥へ入れる。


 車輪が止まると、ニーナが息を吐いた。


「着いたわね」


「はい」


 エルナは鞄の肩紐を外へ出し、荷台の端へ寄った。段へ足を下ろすと、ルークがそばから手を差し出す。その手を借りて地面へ下り、腰をゆっくり伸ばした。


「やっぱり、歩きたくなった?」


「今は、少し」


 ルークが笑う。エルナも笑い、彼の手を離した。


 ニーナも下りてきて、背筋を伸ばしている。向こうではバルドが肩を回し、フィンは御者席へ置いた鞄を下ろしていた。


 グレンは馬のそばへ回っていた。荷馬車から外し、少し離れた木へ繋ぐ。フィンが水の場所を確かめに行くと、ルークも水袋を持って続いた。


 ニーナは大きい筒へ点検具を当てていた。エルナはその脇から食料の包みを取り、敷布の束も地面へ下ろす。ケースを開く場所へ鞄の紐が出ていたので、内側へ収め直した。


「夕飯の鍋は、こっちよ」


 ニーナが木箱を指した。


 蓋を開けると、器や匙の間に鍋が収まっている。取り出し、そばへ置いてから食材の包みを広げた。


 干し肉と根菜。パンは布で包まれている。


「野菜、切っておきますね」


「お願い。私も、これが済んだら手伝うわ」


 点検具の光が、筒の蓋の近くで淡く灯った。ニーナは側面の覆いも開き、魔石を確かめている。エルナはその手元を一度見てから、採取用のナイフと布を出した。


 バルドが薪を抱えて戻ってきた。黒くなった石のそばへ置き、太い枝を分けている。


「水は、向こうか」


「ああ。近いよ」


 戻ってきたルークが答えた。水袋を置き、エルナのそばへしゃがむ。


「これに入れる?」


「はい。まず、手を洗いたいので」


 器へ水を受け、二人で手を洗った。ルークが板を置き、エルナは切った根菜をその上へ並べていく。


 フィンはまた、林の端へ向かっていた。グレンは馬へ水を与え、背中や脚の様子を確かめている。


 火がつくと、乾いた枝が小さく鳴った。


 ルークが鍋へ水を注いだ。エルナは干し肉と野菜を入れる。小屋で使う鍋より大きく、刻んだものを移しても、まだ底が広く見えた。


 ニーナが隣へしゃがんだ。エルナはナイフを止め、彼女へ尋ねる。


「筒の方は、もう大丈夫ですか」


「今は大丈夫。夜にも、もう一度見るわ」


 彼女は包みから残りの根菜を取り、皮を剥き始めた。


「これも使いましょう」


「全部ですか」


「ええ。六人いるもの」


 エルナは鍋と、残っている食材を見比べた。


 小屋では、ルークがいても二人分だった。朝の分まで作った時にも、これほど野菜を刻んではいなかった。


 ニーナから渡されたものを切り、鍋へ加える。ルークが火へ掛けると、バルドが薪の位置を直した。


 やがて蓋の下から湯気が漏れ始めた。エルナは木匙で混ぜ、野菜の硬さを確かめる。その間に、ルークが器を並べていた。


 六つ。


 匙も六本あった。ニーナがパンを切り、フィンが戻ってきて、その皿を受け取る。


「もう食える?」


「野菜が、もう少しです」


「じゃあ、こっち置いとく」


 フィンはパンを置き、火の向こうへ腰を下ろした。馬のそばから戻ったグレンも鞄を下ろす。


 エルナが味を見ていると、ニーナが塩の包みを差し出した。


「少し足します」


「ええ」


 混ぜ直すと、今度は根菜も柔らかくなっていた。ルークが空の器を一つ持ち、エルナのそばへ寄せる。


 よそって渡す。その器がグレンへ渡り、次の器が差し出された。


 最後の器をよそってから、エルナもルークの隣へ腰を下ろした。鍋の中は、ずいぶん減っている。


 パンの皿が、火を囲む人の間を回っていた。


 バルドが一切れ取り、ニーナへ渡す。ニーナはエルナへ寄せ、エルナが取ると、隣のルークが皿を受け取った。


 湯気の向こうで、グレンがスープを飲んでいる。フィンは器を膝へ置き、靴についた土を払っていた。


「午後は、ずっと座っていられたな」


 バルドがフィンへ言った。


「あれも、楽ってわけじゃないよ。石を避けたくても、馬車ごとだから」


「避けてくれていたんですか」


 エルナが聞くと、フィンは顔を上げた。


「大きいやつはね」


「それでも、あんなに揺れるんですね」


「全部避けてたら、道の端へ行っちゃうからな」


 グレンが言った。


 エルナは頷き、器を両手で持ち直した。火から少し離れた足元には、夕方の空気が下りてきている。温かいものが腹へ入ると、腰も少し楽になった。


 パンの皿が戻ってきた。さっきは重なっていた切れ端が、もう少ない。


 ルークは自分の分を取る前に、エルナへ皿を寄せた。


「もう一つ、食べる?」


「はい」


 エルナが取ると、彼も一つ取り、残りをフィンへ渡す。フィンは火の向こうへ手を伸ばし、グレンのそばへ置いた。


 小屋では、皿は二人の間にあった。


 今日は、手を伸ばす先が何度も変わる。誰かの器が空くと、鍋がそちらへ寄せられた。バルドが自分でよそい、まだ残っていると隣へ声をかける。


 エルナも器を差し出した。


「少し、お願いします」


「このくらいか?」


「はい」


 戻ってきた器には、野菜と肉が一つずつ入っていた。エルナは礼を言い、パンを浸して食べた。


 食後は水を分け、器を洗った。ルークが渡してくれるものを拭き、ニーナが木箱へ収める。バルドは残った薪を火のそばへ寄せていた。


 グレンが荷馬車の固定を確かめ、戻ってきた。


「夜番は二人ずつにしよう。最初はニーナとバルド、次がルークとエルナ。最後は俺とフィンでやる」


「ああ」


 バルドが返し、ニーナも頷いた。


「馬と荷、それから道と林を見ていてくれ。何かあったら、すぐ起こしていい。交代は、次の二人が起きてからだ」


「わかった」


 ルークが答える。エルナも頷いた。


 敷布を広げる場所には、草が薄く残っていた。石を避けて敷き、鞄を頭の方へ置く。ルークも隣へ自分の寝床を作った。


「こっち、少し下がってる」


 彼が地面を指した。エルナは布の端をずらし、手をついて確かめる。


「この辺なら、大丈夫そうです」


「うん」


 エルナは髪布の端を入れ直し、フードを外した。毛布を出して横になると、小屋の寝台より、地面の硬さが近かった。


 火のそばで、ニーナがケースを開いている。バルドは荷馬車の向こうへ回り、馬の方を見ていた。


 隣でルークが横になる。


「おやすみなさい」


「おやすみ。あとでね」


 エルナは笑い、毛布を肩まで掛けた。


 あとで、話そう。


 そう思って目を閉じると、身体の下の硬さより、一日の疲れの方が強かった。


     *


「ルーク。エルナ。交代だ」


 声で目を開けた。


 バルドが二人の寝床のそばに立っていた。エルナが身体を起こすと、隣でも毛布が動く。


「うん。起きた」


 ルークが返した。


 空は暗く、木々の上に星が見えた。火は眠る前より小さくなっている。エルナは毛布を畳み、外套を着直した。


 ルークは剣を腰へ戻していた。エルナもナイフの位置を確かめ、立ち上がる。


「何かあった?」


「いや。馬が一度、動いたくらいだ。道も静かだった」


 バルドは答え、荷馬車の方へ顎を向けた。


 ニーナが点検具を収めていた。エルナが近づくと、ケースを閉じて顔を上げる。


「荷も筒も大丈夫よ。次に交代する時、私も起こしてもらえる?」


「はい。声をかけますね」


「お願い」


 ニーナが寝床へ戻り、バルドも最後に道を見てから横になった。


 ルークが馬のそばを確かめている間に、エルナは荷の縄を見た。木箱も、鞄も収めたところにある。荷馬車の脇から街道を見渡し、林の暗いところへも目を向けた。


 枝が揺れていた。風が草を撫で、やがて弱くなる。


 ルークが戻ってきた。


「馬も落ち着いてる」


「こちらも、荷は動いていません」


 二人で火のそばへ戻った。エルナは薪を一本足す。細い炎が上がると、ルークが小鍋へ水を入れ、火へ掛けた。


「少し、湯を沸かそうか」


「はい」


 腰を下ろした場所からは、荷馬車の脇を通して街道が見えた。向こうの木々にも隙間がある。ルークは少し横へ座り、林の側を見ている。


 エルナもその先を確かめてから、小さく声をかけた。


「ルーク。昼間の筒のことなんですけど」


 彼が顔を向ける。


「ニーナが、長く落ち着いていると言っていましたよね」


「うん。合わせ直さなくてよかったって」


「あの筒に、私も少し触れていたんです」


 エルナは自分の指を見た。今朝、金属へ触れていたところを、親指で軽く押す。


「布を避けていた時に、整ったところが、そのまま保ってくれればと思って。そうしたら……何かを押さえたような感じがしました」


 ルークは黙って聞いていた。


「熱を動かした?」


「いいえ。そのつもりはありませんでした。熱を移す時の感じも、なかったんです」


 鍋の底で小さな泡が鳴った。ルークは一度林へ顔を戻し、それからエルナを見た。


「前にも、似たことがありました。山小屋へ移る前、宿で薬瓶を水に入れていたんです。熱に弱い薬だったので、水を少し冷やして」


「魔法で?」


「はい。でも、すぐに止めました。それなのに、眠る前にも、思っていたより冷たく残っていて。部屋はまだ暑かったんですけど……」


 エルナは鍋の方へ目を向けた。


「あの時は、気のせいかと思っていたんです。でも、今日の感じが、少し気になって」


「筒が落ち着いてたのも、それかもしれないってこと?」


「……わかりません。ニーナが、うまく合わせてくれただけかもしれないですし」


 エルナは荷馬車を見た。大きい筒は、昼間と同じところに収まっている。いくら気になっても、運んでいる試料で何度も試す気にはなれなかった。


 ルークが鍋を火から外した。


 同じ形の器を二つ出し、同じくらいずつ湯を分ける。どちらにも、細く湯気が立っていた。


「まだ、熱いね」


「はい」


 エルナはそばの板へ布を広げた。ルークがその上へ二つの器を並べる。二人とも道へ顔を戻し、しばらく火の音を聞いていた。


 木の奥で枝が擦れた。


 エルナはそちらを見る。ルークも話をせず、音のした方を見ていた。枝の先が揺れ、少しして、また静かになる。


 エルナが器へ手を添えると、もう、持てるくらいの温かさになっていた。


「話しているうちに、冷めてしまいそうですね」


「うん。さっきは、持ちにくかったのに」


 ルークも器へ触れた。


 エルナは湯の表面を見た。火で温まった水が、今はこの器にある。手のひらへ届く温かさが、もう少し残ってくれればいい。


「……これでも、試せるでしょうか」


「昼間の感じを?」


「はい。熱を動かさずに、今の温かさを、そのままにできたら」


 ルークの手が、器から離れた。


 彼はエルナを見て、少し間を置いた。


「魔法を使った時とは、違うの?」


 その声を聞いて、エルナも彼の顔を見た。


 魔法を使えば、命紋も進む。


 ルークには、そのことも話してある。


「はい。あの時は、違いました。今も、熱を動かそうとはしていません。あの感じだけ、もう一度確かめてみたいんです」


 ルークは頷いた。


「うん。何か感じたら、教えて」


 エルナも頷き、器へ目を戻した。指の下に、器の温かさがある。


 湯の表面を見て、今ある温かさをここへ残そうと意識した。


 昼間と似た、小さな手応えがあった。熱を移す時の流れはなく、指の下で何かを押さえたように感じる。


 エルナは指を止め、顔を上げた。


「さっき、少し……ありました」


「昼間と同じ?」


「似ています」


 ルークは器を見てから、エルナへ目を戻した。


「じゃあ、少し置いてみようか。俺のも、ここにあるし」


 エルナは手を離した。二つの器は、火から離れた同じ板の上に並んでいる。


 荷馬車の向こうで、馬が足を踏み直した。


 ルークが立ち上がる。エルナは道と林へ目を向けたまま、近づいていく彼の足音を聞いた。馬へかける低い声がして、少しして足音が戻ってくる。


「繋いだところは、大丈夫だった」


「はい」


 エルナは馬の方も見てから、二つの器へ順に触れた。自分の分の方が、少し温かい気がする。指を戻してみたが、まだはっきりした違いとまでは言えなかった。


 エルナは手を引き、周囲へ顔を戻した。道の向こうは暗いままだった。葉の擦れる音がしている。寝床の方からは、一度だけ布の動く音が聞こえた。


 林から風が来ると、火の明かりが細く伸びた。ルークは薪を足し、荷馬車の向こうと林の側を確かめに行く。エルナは道を見て、戻ってくる足音を待っていた。


 彼が隣へ腰を下ろしてから、エルナは二つの器へ手を添えた。


 今度は、はっきり違った。


 ルークの分は、もうぬるい。自分の分には、最初に保とうと思った時の温もりが残っていた。


「ルーク」


 声を落として呼び、器を少し寄せる。


「両方、触ってみてもらえますか」


 彼は自分の器へ指を添え、エルナの分にも触れた。もう一度、順に確かめる。


「……こっち、まだ温かいね」


「はい」


 ルークが顔を上げた。


「置いた時は、同じくらいだったよな」


「そうでした」


 エルナは自分の器へ目を落とした。


「熱は、動かしていないんです」


「うん」


「でも、残ってます」


 水が冷たく残った夜には、自分の感触しか確かめられなかった。今夜はルークも器へ触れ、同じように温かいと言ってくれた。


 彼がこちらを見て笑った。


 エルナも笑い、器から手を離した。板の上に置かれた彼の手へ、自分の手を重ねる。


 ルークはエルナを見てから、その手を軽く握った。


「……話してよかったです」


「うん。俺も、聞けてよかった」


 エルナは繋いだ手を膝の上へ置き、道へ顔を戻した。ルークも林の方へ目を向ける。


 風が来ると、火の煙が横へ流れた。向こうの寝床で誰かが寝返りを打ち、毛布の端が動く。


 エルナはそちらを一度見た。すぐにまた静かになり、二人もしばらく黙っていた。


 空いている手で器を取ると、残っていた温もりは先ほどより少し薄くなっていた。


「これも、冷め始めています」


 ルークが器へ触れ、頷いた。


「さっきよりは、そうだね」


 エルナは湯を一口飲んだ。まだ温かかった。口の中から喉へ、その温もりが下りていく。


「また、試してみたいです」


「俺も、もう一回見たい」


 ルークは自分の器を取り、湯を飲んだ。


 エルナは器を膝へ戻し、道の曲がるところへ目を向けた。遠くの草が風で動いている。耳を澄ませると、その向こうで葉の音が続いていた。


 隣ではルークも、林の方を見ていた。


     *


 ルークが空を見上げ、エルナへ顔を向けた。


「そろそろ、交代しようか」


「はい」


 ルークは手を離して立ち上がった。彼がグレンとフィンを起こしに行くあいだ、エルナは火のそばに残り、馬のいる方と道を見て、林にも目を戻す。


 寝床で布が動き、低い声が聞こえた。グレンが起き、フィンも身体を起こしている。


 二人がこちらへ来ると、ルークが馬と荷の様子を伝えた。


「道も、誰も通っていません。林は、風で枝が動いていたくらいです」


 エルナも続ける。


「わかった。二人とも、休んでくれ」


 グレンが言った。フィンが林の方へ目を向けたのを見てから、エルナはニーナの寝床へ向かう。


 小さく名前を呼ぶと、ニーナが目を開けた。


「……交代?」


「はい。グレンとフィンが起きました」


「ありがとう。今、見るわ」


 ニーナは身体を起こし、外套を羽織った。エルナがケースを取りやすいところへ寄せると、彼女は点検具を出して筒へ当てる。


 光が灯る。


 エルナはその手元を見た。今夜の湯と、昼間の筒。同じことが起きていたのかは、まだわからなかった。


「大丈夫よ。あとは朝に見るわね」


 ニーナが道具を収め、グレンへ伝えた。ケースを戻し、エルナへも頷いてから寝床へ帰っていく。


 ルークは使った器を片づけていた。エルナも布を畳み、木箱へ戻す。


 二人で寝床へ戻った。


 敷布は、眠る前と同じところにある。エルナが横になると、隣でもルークが毛布を広げた。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 エルナは返し、肩まで毛布を掛けた。


 指を軽く曲げると、器へ触れた時の小さな手応えが思い出された。


 明日の休憩には、残った温もりが薄れていく様子を、もう少し見てみたい。


 隣から、寝返りを打つ音がした。エルナはそちらへ顔を向け、暗がりに見える彼の肩を見た。


 エルナはゆっくり指を開き、掌を毛布の中へ収めた。




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