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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第6章 広がる世界
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第87話 育った場所


 目を開けると、すぐそばにルークの服の襟元があった。


 背中には、彼の腕が回っている。エルナは毛布の中で手を動かし、肩に添えていた指を少し曲げた。


 顔を上げると、ルークはまだ目を閉じていた。窓から入る明るさが、頬の端に届いている。


 エルナはもう一度、彼の胸元へ頬を寄せた。


「……起きた?」


 頭の上から声がした。


「はい」


 ルークの手が背中で動く。少し身体を離して顔を見ると、彼もこちらを見ていた。


「おはよう」


「おはようございます」


 エルナは笑った。ルークの指が、頬に掛かっていた髪を避ける。


 その手へ触れてから、エルナは毛布を少し下げた。


「起きましょうか」


「うん。朝飯、温めよう」


 先に寝台を下りたルークが、火のそばへ向かう。エルナも起き、毛布を整えた。


 昨夜のスープを温め、残していたパンと一緒に食べる。食後は二人で器を片づけ、今朝使ったものをしまった。


 棚の薬草は包んである。食料も、長く置けるものだけを残した。エルナは窓を閉め、旅の鞄を持ち上げる。


 髪を布で包み、腕輪をつけてフードを被ると、ルークも剣を腰へ下げた。


 暖炉の火を確かめ、二人で外へ出る。


 扉へ鍵を掛けたあと、エルナは一度、小屋を振り返った。閉じた窓の向こうには、昨日まで広げていた薬草も道具も収まっている。


「行こうか」


「はい」


 鍵を鞄へしまい、ルークと山道を下りた。


     *


 町では、乗合へ向かう前に道具屋へ寄った。


 貸主の老人は、台の上に並べた道具を磨いていた。エルナがセレドへ行くことを伝えると、手を止めて顔を上げる。


「しばらく空けるんだな」


「はい。戻る日はまだ決まっていませんが、小屋は引き続き借りていたいです」


「わかった。戸締まりはしてきたか」


「はい」


「なら、気をつけてな」


 エルナは礼を言い、店を出た。


 乗合には、持ち帰った薬や敷布の入った鞄を足元へ収めた。ルークも隣へ座る。馬車が動き始めると、鞄の紐を足に引っかからない位置へ寄せてくれた。


 昼過ぎ、ラーデンへ戻った。


 宿へ荷物を置き、女将に翌朝出ることを伝える。昼食を済ませてからギルドへ行くと、グレンが受付の脇にいた。


「戻ったか」


「うん。家の方は済んだ」


 ルークが答え、エルナも頷いた。


「荷馬車は押さえた。試料の方も、今日中にはまとまる」


「じゃあ、明日でいいんだな」


「ああ。一番早い乗合が出る時刻に、ここへ集合だ」


「わかった」


「私も、間に合うように来ます」


 グレンは頷き、手にしていた書類を揃えた。


「このあと、孤児院にも寄ってくる」


 ルークが言う。


「そうか。マルタさんによろしく伝えてくれ」


「ああ」


 ギルドを出てから、ルークの貸間にも短く寄った。グレタへ留守を伝え、部屋の窓を確かめる間、エルナは入口で待つ。


 やがて戻ってきたルークと、パン屋へ向かった。


     *


「明日から?」


 リリアが、包みを作る手を止めた。


「うん。セレドまで」


「そう。気をつけて行ってきてね」


「はい」


 エルナが答えると、奥でパンを並べていたハンスも顔を上げた。


「帰ったら、また寄れよ」


「ああ」


 ルークが頷く。その脚の脇から、テオが顔を出した。


「おみやげ」


「まだ出てもないのに?」


「おみやげ、ほしい」


「ニルも」


 椅子のそばにいたニルも言った。リリアが二人を見る。


「そういうのは、お願いするんでしょう」


「おねがい」


 テオが言い直す。ルークは少し笑った。


「いいのがあったらな」


 二人が頷いたところで、客が一人入ってきた。リリアはそちらへ向かい、双子も店の奥へ戻っていく。


 ルークは、切り分けられる大きめのパンをいくつか買った。


「孤児院に?」


 リリアが包みながら聞く。


「うん。このあと寄る」


「じゃあ、アニカさんにもよろしく」


「ああ」


 代金を払い、包みを受け取る。エルナも一家へ挨拶し、ルークと店を出た。


「みんなで食べる分ですか」


「うん。切ってもらえば、夕飯にも出せるから」


 ルークは包みを片腕へ持ち直した。


 市場へ向かう人の流れから離れ、住宅の並ぶ道へ入る。少し先で道が広がり、低い塀の向こうに庭が見えた。


 木の門は開いていた。


「ここ」


 ルークが言った。


 庭の奥に、横に長い建物がある。窓の下には籠が並び、そのそばで小さな子が二人、地面へ何かを描いていた。


 建物の中からも声がする。扉を出てきた女の子が、後ろの子へ振り返り、手を引いて石段を下りていた。


「ルーク!」


 庭の端から声が上がった。


 背の高い男の子が走ってくる。そのあとを、小さな男の子が追った。


「コリン。久しぶり」


「今日、遊べる?」


「少しなら」


「ダンも!」


 小さな方が、ルークの前へ回り込んだ。


「うん。先に挨拶してくるから、待ってて」


 ルークは空いている手をダンの肩へ添え、進む方を空けてもらった。エルナもそのあとに続く。


 石段の脇で、女性が洗濯物を籠へ入れていた。こちらに気づくと、手にしていた布を畳む。


「あら、ルーク」


「イダさん。これ、みんなで食べて」


 ルークがパンの包みを差し出すと、女性は籠を置いて受け取った。


「ありがとう。ちょうどアニカが夕飯の支度をしてるところよ」


「明日から仕事で街を離れるから、顔出しに来た」


「どこへ?」


「セレド」


 イダは頷き、それからエルナへ目を向けた。


「そちらは?」


「エルナ。俺の恋人」


 ルークは、パンを渡した時と同じ調子で言った。


 エルナは少しだけ頬が熱くなるのを感じながら、頭を下げる。


「エルナです。お邪魔します」


「イダです。よろしくね」


 穏やかに返ってきたところへ、建物の中から呼ぶ声がした。


「イダさん、これ、どこに置くの?」


「ああ、今行くわ。ルーク、マルタさんは奥にいるから」


「わかった」


 イダはパンを抱え、声の方へ向かった。


 ルークが先に扉を開ける。エルナも中へ入った。床を踏む音に、廊下の奥にいた子が振り返る。


 戸口の近くには、小さな靴がいくつも並んでいた。


     *


 奥の部屋で、年配の女性が帳面を開いていた。


 灰色の髪を後ろで束ね、机の脇には紙を重ねてある。ルークが声をかけると、顔を上げた。


「ルークかい」


「うん。明日からセレドに行くから、挨拶に来た」


「仕事?」


「試料と書類を運ぶ。グレンたちも一緒」


「そうかい。道中、気をつけるんだよ」


「ああ。グレンからも、よろしくって」


 女性は少し笑った。


 ルークがエルナへ顔を向ける。


「ここの院長、マルタさん」


 エルナは挨拶した。ルークが二人の関係を短く伝えると、マルタも頷いた。


「よろしくね。来てくれてありがとう」


「こちらこそ」


 廊下で何かが落ちる音がした。


 マルタはそちらへ目を向け、開いていた帳面へ紙を一枚挟む。


「何の音だい」


「箱、落としただけ!」


「だけじゃないだろう。足は大丈夫かい」


 返事を聞くと、マルタは帳面を持って椅子から立った。


「少し見てくるよ。ゆっくりしていきな」


 ルークも廊下へ出て、エルナはその隣へ並んだ。


 マルタが箱を落とした子へ向かう途中、ルークは廊下の先を指した。


「俺、あの部屋で寝てたんだ」


 開いている戸口の向こうに、寝台がいくつか見えた。畳んだ毛布がそれぞれに置いてある。


「どの辺りですか」


「窓の下」


 エルナは窓を見る。その下の寝台には、小さな枕があった。


 あそこで、ルークが眠っていた。


 今より小さい彼が毛布へ入り、朝になれば、ほかの子たちと一緒に起きる。さっき庭にいた子たちの姿を思い出すと、少しだけ想像できた。


 戸口の柱にも目が留まった。


 細い横線が、いくつも刻まれている。高いものも低いものもあり、脇には名前が書いてあった。


 ルーク。


 その下にも、同じ名前がある。


「これ、背を測った跡ですか」


「ああ。まだ残ってる」


 ルークが柱へ近づく。


「俺のは、これ。最後に測った時の」


 指した線は、今の彼の頭より低かった。エルナもその脇へ立ち、名前を見る。


 上の方にはグレン、別のところにはフィンの名前もある。


 いつも一緒にいる人たちの名前が、この柱にも並んでいた。


「ルークの印なら、そっちにもあるよ」


 戻ってきたマルタが言った。


 少し離れたところに、短い線が一本ある。


「それは、測り直したやつだろ」


「背伸びしてたからね」


 マルタが言うと、ルークは口元を緩めた。


「少しだけ」


「踵が浮いてたよ」


 エルナは、短い線とルークを見比べた。


 この柱の前で、少しでも高く測ってもらおうとしていたらしい。今は上にある彼の顔も、その時はずっと低いところにあったのだろう。


 ルークがこちらを見た。


「何?」


「いえ」


 エルナは笑った。


 マルタも笑い、手にしていた帳面を持ち直す。


「ほら、庭で待ってるよ」


 開いた窓の向こうから、コリンがルークを呼んでいた。


「今行く」


 ルークが返した。エルナも柱から離れ、彼と庭へ戻った。


     *


 コリンが、布で作った球を持っていた。


 ダンはその脇にいる。少し離れたところには、小さな女の子が立っていた。エルナが目を向けると、彼女はルークの方を見る。


「エミもやる?」


 ルークが聞くと、女の子は頷いた。


 庭の端にいた男の子が二人寄ってくる。石段へ座っていた女の子も立ち上がり、子どもが六人になった。


 ルークは剣を鞘ごと外し、石段の上へ置いた。


「じゃあ、投げて」


 コリンが離れる。大きく腕を振って投げた球を、ルークが片手で受けた。


「そっち、取ってみろよ」


 投げ返された球へ、コリンが両手を伸ばす。手に当たったが、そのまま足元へ落ちた。


「今の、速い!」


「お前も速いの投げただろ」


「次は取る」


 コリンはすぐに拾い、ルークへ投げ返した。ルークが受けると、横から小さな手が伸びる。


「ダンも!」


「じゃあ、次はダンな」


「いま!」


「これ返してから」


 ルークがコリンへ球を戻す。コリンは少し迷ってから、ダンに渡した。


 ダンは胸の前で球を抱え、ルークへ向き直る。そのまま投げた球は、彼の手前へ落ちた。


 ルークが拾ってダンへ返し、先ほどより近いところで膝を曲げる。


「ここに投げて」


 ダンは頷いた。今度は、ルークの胸へ球が届いた。


「とった!」


「取ったの俺だけど」


 笑いながら返すと、ダンも笑った。


 エルナは石段の脇へ腰を下ろし、その様子を見ていた。


 コリンはまた離れていく。別の子は、ダンより少し遠いところへ立った。ルークも投げる相手に合わせて向きを変え、ときには自分から後ろへ下がる。


 コリンが高く投げた球は、ルークの頭の上を越えた。


「あ」


 ルークが振り返る。


 球は地面へ落ち、エルナの足元へ転がってきた。拾い上げると、すぐそばにエミが立っていた。


「エルナも、やる?」


 初めて、その子から声をかけられた。


「はい。投げればいいんですか」


 エミが頷く。


 エルナは立ち、彼女へ球を渡した。


「では、先に」


 エミはルークへ投げた。彼が受け、こちらを見てから、今度はエルナへ返す。


 胸の前で受け止めた。布の下には、もう少し厚いものが詰まっている。思っていたより重みがあった。


「取れた?」


「はい」


 エルナは彼へ投げ返した。


「じゃあ、次、こっち!」


 コリンが手を上げる。


 ルークがそちらへ返す間、エミはエルナの近くに立っていた。自分に球が来ると、受け止めてからこちらへ差し出す。


「わたしに、投げて」


「どのくらい離れますか」


 エミは少し考え、三歩だけ後ろへ下がった。


 そこへゆっくり投げる。彼女は両腕で抱えるようにして取った。


 目が合うと、小さく笑った。


 またエルナへ返ってくる。今度は少し横へ逸れたので、エルナも一歩動いて受けた。


「こっちの番!」


 背の高い女の子が手を上げた。エルナはそちらへ投げる。


 彼女が受け止めると、ダンも手を伸ばした。


「ダンも!」


「終わったら回ってくるよ」


 ルークが言った。


 女の子はコリンへ投げ、返してもらった球をダンへ渡した。それから少し離れ、両手を広げる。


「ほら。ここに投げて」


 ダンは球を両手で投げた。女の子は受け止め、またコリンへ球を送った。


 ルークが向き直ると、すぐにコリンから球が飛んでくる。


 取り損ねた球を追い、庭の端まで走った。コリンが声を上げる。


「今の、取れなかった!」


「そこまで投げたらな」


 ルークが笑って球を持ち上げる。


 エルナも笑った。戻ってきた彼が、こちらへ目を向ける。そのまま球を差し出されたので、エルナは受け取り、待っていたエミへ投げた。


 建物の中から、皿の触れ合う音が聞こえ始めた。


「大きい子たち、そろそろ机をお願い」


 扉のところで女性が呼んだ。


 コリンが振り返る。


「もう?」


「もう。遊んだ分、手伝ってね」


「わかった」


 エミが持っていた球をコリンへ渡す。コリンはそれを抱え、ほかの子へ声をかけた。


 ルークがエルナの隣へ来る。


「アニカさん」


 呼ぶと、女性がこちらを見た。


「エルナです。お邪魔しています」


「アニカです。イダから聞いたわ。パンもありがとう」


「ルークが買ってきてくれました」


「ええ。今切ってるところ」


 アニカは小さく笑い、戸口を通る子へ脇を空けた。廊下の向こうには長い机があり、子どもたちが器を運び始めている。


「たくさんいるんですね」


「今は二十六人よ。街の外から来る子もいるから、増える時は続くの」


 アニカが、庭に残っていた小さな子へ手を振る。


「そっちも、手を洗っておいで」


 子どもが頷き、建物へ走った。アニカも中へ戻り、すぐに別の子へ声をかけている。


 エルナは廊下を見た。高いところから器を下ろす子と、それを受け取って運ぶ子がいる。小さな子が持とうとすると、隣の子が一枚だけ渡していた。


 ルークも、あの中にいた。


 料理や洗濯をしたと話していた時には、まだ見えなかった机や器が、今は目の前にある。


 庭からダンが走ってきた。


「ルーク、まだやる?」


「今日はここまで。俺も帰るから」


 ダンが足を止める。


「またくる?」


「戻ったら、顔出すよ」


 ルークが腰を落とすと、ダンは袖を掴んだ。


「つぎ、ダンから」


「ああ。覚えとく」


 ダンが手を離す。エミもエルナのそばへ来ていた。


「エルナも?」


 エルナは、その子の顔を見た。


「はい。また来ます」


 エミは頷き、それからダンと一緒に石段を上った。


 ルークが剣を腰へ戻す。建物の中へ声をかけると、イダが戸口まで来た。


「もう帰る?」


「うん。明日は朝早いから」


「そう。気をつけてね」


 奥からマルタも手を上げた。


 エルナは二人へ挨拶し、ルークと門を出た。


     *


 来た時より、道へ伸びる影が長くなっていた。


「少しだけって、どのくらいだったんですか」


 エルナが聞くと、ルークはこちらを見た。


「何が?」


「背伸びです」


 ルークは小さく笑った。


「あれ、見た目より高くなるんだよ」


「だから測り直されたんですね」


「うん。踵つけろって言われた」


 エルナは柱の線を思い出す。


「早く大きくなりたかったんですか」


「たぶん。測る時、みんな前の印より上に行きたがってたから」


「ルークも?」


「俺も」


 短く返ってきて、エルナはまた笑った。


 彼があの柱の前へ立ち、踵を浮かせるところを想像する。マルタに言われて足を下ろす顔は、今の彼に少し似ていたかもしれない。


 エルナは隣へ手を伸ばした。


 指が触れると、ルークの手が開く。そこへ自分の手を重ね、握った。


「エミ、途中からずっとエルナに投げてたな」


「最初は、あなたの方を見ていましたけど」


「慣れたんだろ」


「そうなら、嬉しいです」


 ルークが笑い、繋いだ手を握り返した。


 市場に近づくと、夕方の買い物をする人が増えてきた。二人で道の端へ寄り、荷車を通す。


「明日は、宿まで迎えに来るよ」


「はい」


「朝飯も、そこで食べてから行こう」


「わかりました」


 ギルドへ集まる時刻は、もう聞いてある。荷物も宿に揃っていた。


 通りの先に、宿の窓が見える。


 ルークが、ダンは次に来た時も最初に投げたがるだろうと話した。エルナも、待ちきれずに伸ばしていた小さな手を思い出す。


 宿の入口で手を離し、扉の中へ入った。ルークもすぐに隣へ並ぶ。


 エルナは彼と話しながら、食堂に二人分の席を探した。




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