第83話 白いものの名前
Side:ラーデン記録官
机の上には、朝から報告書が積み上がっていた。
焼けた家屋。壊れた柵。畑の被害。負傷者の数。
記録官は一枚ずつ目を通し、内容を整理していた。
火事から二日が経っている。
それでも、被害の全容はまだわかっていなかった。
最初に届けられた報告では、焼けた家が三軒とされていた。けれど、そのあと届いた別の報告には、四軒と書かれている。
二枚を見比べる。
片方は、屋根まで焼け落ちた家を数えているらしい。もう片方には、一部が焼けて住めなくなった家も含まれていた。
数え方が違う。
記録官は確認の取れた分だけを記し、残りは調査中として分けた。
負傷者についても、同じような作業が続いている。
重傷者が複数。軽傷者はさらに多い。
幸い、亡くなった者はいなかった。
ただ、治療が長引きそうな者もいる。住む場所を失った者もいた。
必要な支援を考えるにも、まずは被害の状況を正確に把握しなければならない。
記録官は次の紙を手に取った。
今度は、魔獣についての報告だった。
巨大な猪に似た姿。
肩や背から炎が上がっていたこと。
通常の魔獣とは明らかに異なる外見だったこと。
倒された魔獣からは、黒い牙を含むいくつかの部位が回収されているという。
現在は保管され、詳しい調査を待っているらしい。
記録官はその項目に印をつけた。
調査結果が届けば、あとで追記すればいい。
「ギルドから追加です」
声をかけられ、顔を上げる。
別の職員が、紙の束を抱えて立っていた。
「目撃証言か?」
「はい。昨日集まった分です」
「そこへ置いてくれ」
職員は机の空いている場所へ紙束を下ろした。
「今朝の分は、まだ確認中ですか?」
「ああ。先に被害の報告をまとめる」
「わかりました」
職員は頷いたが、そのまま部屋を出ていこうとはしなかった。
「それと、もう一つ」
「何だ?」
「窓口で、空から降ってきた白いものについて聞かれたんです。何だったのか、もうわかっているのかと」
「ああ……」
記録官は机の端に置いていた一枚を手に取った。
そこにも、白いものについて書かれていた。
「まだ、はっきりしていない。灰だったという報告もあるが、違うという証言もある」
「では、まだ調査中と伝えておきます」
「そうしてくれ」
職員が部屋を出ていく。
記録官は手元の紙を見た。
空から白いものが降ってきた。
その記述は、最初に届いた報告にもあった。
火事の現場だったのだから、燃えた木や草の灰が舞っていたとしても不思議ではない。
そう考えていた。
けれど、その後の報告では、灰とは思えない特徴がいくつも挙げられていた。
記録官は新しく届いた紙束へ手を伸ばした。
火事の最中、人々がどこにいて、何を見たのか。
その証言が並んでいた。
魔獣が倒れた場所。
延焼した建物。
消火に加わった者たちの動き。
同じ出来事について書かれているはずなのに、内容は少しずつ違っている。
火事の最中だ。
逃げていた人もいれば、必死に水を運んでいた人もいる。
見ていた場所が違えば、覚えていることも違うだろう。
記録官は順に目を通し、共通する内容を拾っていった。
やがて、何枚もの報告に同じ出来事が書かれていることに気づいた。
火が急に弱まった。
周囲の空気が冷たくなった。
空から、白いものが降ってきた。
記録官は手を止めた。
別の紙を読む。
そこには、白い粒が地面を覆ったと書かれていた。
さらに別の証言では、手の上に落ちたものが水になったという。
「……水に?」
小さく呟いた。
灰が水になるとは考えにくい。
記録官は、白いものについての証言だけを抜き出した。
空から降ってきた。
白く、小さな粒だった。
地面や屋根を覆った。
触ると冷たかった。
やがて消え、水になった。
それぞれの証言をした者は、別々の場所にいた。
灰のようだったという者もいる。
けれど、手に触れて水になったという話は、一人だけではなかった。
記録官は、すでにまとめていた火事の経過へ目を向けた。
炎が急に弱まり、その頃に白いものが降り始めた。
その後、人々の消火活動によって残った火も収まっている。
白いものが何だったのかは、まだわからない。
だが、灰だと決めつけて記録するわけにもいかなかった。
記録官は一度、その項目を脇へ置いた。
まずは、ほかの報告を片づけなければならない。
*
昼を過ぎた頃、記録官は再び白いものについての報告を手に取った。
急ぎの被害報告は、ひとまず整理できている。
残っているのは、火事の経過と、まだ確認の取れていない事柄だった。
白いものについては、正体不明の降下物として記録することもできる。
それでも、何か似た現象がなかったか、少し調べておきたかった。
記録官は席を立った。
部屋の奥には、古い帳面を収めた棚がある。
土地や川の様子を記したもの。
雨量や作物の収穫をまとめたもの。
古い集落の記録。
長い年月の間に書き写されたものも多く、何冊かは表紙の文字さえ読み取りにくくなっていた。
記録官は気候について書かれた帳面を探し、机へ運んだ。
最初に開いたものには、川の水量についての記録があった。
雨が多かった年。
乾燥が長引き、井戸の水が減った年。
続く頁には、強風で屋根が飛ばされた時のことが書かれている。
見慣れた内容だった。
別の帳面を開く。
こちらは、今よりずっと古い土地の記録らしい。
表紙の角が擦り切れ、頁にはところどころ染みがあった。
文字の形も、今のものとは少し違っている。
記録官はゆっくりと読み進めた。
川の名前。
すでに使われなくなった集落の名前。
土地の様子。
当時の気候についても、短い記述が残されていた。
その中に、見慣れない言葉があった。
冬季。
古い気候記録では、ときおり見かける言葉だった。
今では考えられないほど、寒さの厳しい時期だったらしい。
記録官はその下の文字を追った。
冬季、雪降る。
朝、道白し。日高くなれば消ゆ。
「……雪」
声に出してみる。
記録官はもう一度、その一節を読んだ。
雪が降った。
朝には道が白くなり、日が高くなる頃には消えていた。
たったそれだけの記述だった。
どんな形をしているのか。
何からできているのか。
そうしたことは書かれていない。
記録官は、机に広げた目撃証言へ目を戻した。
空から、白いものが降った。
地面が白くなった。
やがて消えた。
似ている。
記録官はもう少し古い頁を調べたが、雪についての詳しい説明は見つからなかった。
昔の人々にとっては、珍しいものではなかったのかもしれない。
雨が降ったという記録にも、雨そのものの説明までは書かれていない。
降ったことと、それによって何が起きたか。
残されているのは、そうした事柄だった。
記録官はもう一度、雪という文字を見る。
今回降った白いものも、同じものなのだろうか。
古い記録では、雪は冬季に降ったとされている。
今のラーデンには、そのような寒い時期はない。
あの日も、火事が起きるまでは普段と変わらない気候だった。
けれど、目撃証言には、空気が急に冷たくなったと書かれている。
白いものが降り始めたのは、その頃だったらしい。
記録官は古い帳面の横へ紙を置き、雪という言葉を書き留めた。
その隣に、目撃証言と共通する特徴を記す。
すべてが一致するわけではない。
それでも、調べてみる価値はありそうだった。
*
記録官が報告書をまとめ終えた頃には、窓から差し込む光が少し傾いていた。
古い帳面は、まだ机の上に開かれている。
その隣には、火事の経過についての報告書が置かれていた。
炎が急に弱まったこと。
周囲の空気が冷えたこと。
同じ頃、空から白いものが降ったこと。
目撃された特徴を記したあと、古い気候記録との共通点を追記した。
今回確認された白い降下物は、古い記録にある「雪」と呼ばれる現象に類似する可能性がある。
ただし、同一のものかどうかは不明。
記録官は最後の一文を読み返した。
今わかっていることは、そこまでだった。
詳しく調べるには、もっと多くの資料が必要になるだろう。
ラーデンに残る記録だけでは、判断できそうにない。
報告書をまとめ、筆を置いた。
「終わりましたか?」
顔を上げると、先ほどの職員が立っていた。
「ああ。追加の分もまとめた」
「ありがとうございます。預かりますね」
職員は書類を受け取り、軽く目を通した。
その途中で、手が止まる。
「……雪?」
記録官は顔を上げた。
「白いものについて、古い記録を調べてみたんだ」
「これが、名前なんですか?」
「まだ、そうと決まったわけじゃない」
記録官は開いたままの帳面を示した。
「昔は、雪というものが降っていたらしい。今回の白いものと、特徴が似ている」
「昔は降っていたんですか?」
「ああ。冬季という、今よりずっと寒かった時期にな」
「へえ……」
職員は報告書をもう一度見た。
「じゃあ、あの日のも雪だったかもしれないんですね」
「可能性はある。詳しいことは、まだわからないが」
「わかりました」
職員は頷き、書類を揃えた。
「そういえば、今日も白いものについて聞かれましたよ。朝とは別の人です」
「そうか」
「気になっている人が多いみたいですね」
「あれだけ大勢が見ていたからな」
記録官はそう答えた。
職員は書類を抱え、扉へ向かう。
「では、これを届けてきます」
「ああ。頼む」
扉が閉まった。
記録官は机の上を片づけ始めた。
古い帳面を閉じ、元の棚へ戻す。
それから次の報告書を手に取った。
壊れた水路についてのものだった。
場所を確かめようと地図を広げた時、廊下から声が聞こえてきた。
「あの、さっきの白いものの話なんですけど」
先ほどの職員だった。
どうやら、また誰かに尋ねられているらしい。
「何かわかったんですか?」
「いえ、まだはっきりとは。ただ、昔の記録に似たものがあったそうなんです」
「昔の?」
「ええ。雪というものです」
「……雪?」
「ずっと昔には、空から降っていたらしいですよ。白くて、地面を覆うものだそうです」
「それが、あの日の?」
「そうかもしれない、というところまでです。まだ詳しく調べている途中なので」
「雪、ねえ……」
その声が、少し遠ざかった。
記録官は地図へ目を戻す。
火事で壊れた水路は、街の外れにあるらしい。
近くの家屋にも被害が出ている。
修理を急ぐ必要がある場所だった。
記録官は地図の上へ印をつけた。
窓の外では、荷車の通る音がしている。
重いものを下ろす音。
人を呼ぶ声。
街では、今日も片づけが続いているのだろう。
記録官は次の報告書へ手を伸ばした。
明日になれば、また新しいものが届くはずだった。




