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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第6章 広がる世界
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第81話 知っていてほしい


 目を開けると、見慣れない天井があった。


 木の板が並んでいる。窓からは明るい光が差し込み、遠くで人の話し声が聞こえた。


 エルナはしばらく、その天井を見つめていた。


 山小屋ではない。ラーデンで借りていた宿の部屋とも違う。


 顔を横へ向けると、小さなクローゼットが目に入った。ほかには、ほとんど何もない。


 ルークの部屋だ。


 以前、仕事に使う縄を取りに来たことがある。あの時も、ずいぶん物が少ないと思った。


 どうして自分がここにいるのだろう。


 身体を起こそうとして、エルナは眉を寄せた。


「……っ」


 腕に力を入れても、思うように身体が持ち上がらなかった。肘が震え、わずかに浮いた肩が寝台へ戻る。


 身体が重い。


 どこかが痛むわけではない。ただ、力を入れようとしても、うまく入らなかった。


 そこで、昨日のことを思い出した。


 黒い魔獣。燃える家。水を運んで走り回る人々。広がる炎を止めるために、周囲から熱を奪った。


 そして、雪。


 白いものが空から降ってきた。


 最後に見たのは、ルークの顔だった。自分を抱き上げた彼の焦げ茶の髪へ、白いものが一つ落ちた。


 そのあとは、何も覚えていない。


「……エルナ?」


 声がした。


 顔を向けると、寝台のそばでルークが身体を起こすところだった。壁にもたれて座っていたらしい。


 エルナと目が合うと、すぐに立ち上がった。


「起きた?」


「……ルーク」


「ああ」


 ルークは寝台のそばまで来ると、エルナの顔を覗き込んだ。


 しばらく目が合う。


「気分は?」


「身体が重いです。あまり力が入りません」


「痛いところは?」


「ありません」


「気持ち悪くはない?」


「大丈夫です」


「そっか」


 ルークは寝台の端へ手を置いたまま、しばらくエルナを見ていた。


 いつもと大きく変わらない顔だった。けれど、目の下に少し疲れが見える。


「……よかった」


 小さな声だった。


「私、どのくらい寝てました?」


「ほぼ一日」


「……一日?」


「ああ。昨日の午後から、ずっと」


 エルナは窓へ目を向けた。外はまだ明るい。


「そんなに……」


「何度呼んでも起きなかったから」


 ルークはそこで言葉を切った。


「今は、頭ははっきりしてる?」


「はい。昨日のことも覚えてます」


「ならよかった」


 エルナは自分の身体へ意識を向けた。


 魔力はまだ十分には戻っていない。昨日ほどではないものの、身体には強い疲労が残っていた。少し動くだけでも、ひどく疲れる。


 これほど大きな魔法を使ったのは、初めてだった。


「……火は?」


 エルナが聞くと、ルークは頷いた。


「消えたよ」


「全部?」


「ああ。残ってた火も、みんなで消した。もう広がってない」


 エルナはゆっくり息を吐いた。


「……そうですか」


 よかった。


 あの時、自分ができるところまではやった。あとは街の人たちが消してくれた。


「被害は……」


「まだ全部はわかってない。昨日のうちに火は収まったけど、今も片づけをしてる」


 そう言われて、エルナは窓の外へ耳を澄ませた。


 人の声に混じって、時折、木材を打ちつけるような音が聞こえる。


 街は動いている。


 昨日、火が広がっていた場所でも、人々がまた仕事をしているのだろう。


「……私も、何か」


 言いかけて、エルナは自分の身体を見た。


 起き上がることさえ難しい。


 今の自分にできることは、あまりなさそうだった。


「動けるようになってからでいいよ」


 ルークが言った。


「……そうですね」


 エルナは頷いた。無理をしても、今はかえって迷惑をかけてしまう。


「喉、渇いてない?」


「渇いてます」


「じゃあ、水飲もう」


 ルークはクローゼットから杯を取り出し、床の隅に置かれた水差しから水を注いだ。


 戻ってきて、寝台の端へ腰を下ろす。


「起きられる?」


「少し、手伝ってもらえますか」


「ああ」


 背中へ腕が回り、ゆっくり上半身を起こされた。自分でも姿勢を保とうとしたが、すぐに肩が揺れる。ルークは何も言わず、そのまま支えてくれた。


 杯へ口をつける。


 冷たい水が喉を通った。


 思っていたよりも渇いていたらしい。一口飲むと、もう少し欲しくなった。


 ルークは急かさず、エルナが飲み込むのを待ってから杯を傾ける。


 半分ほど飲んだところで、エルナは顔を離した。


「ありがとうございます」


「もういい?」


「はい」


 杯を脇へ置き、ルークはエルナの背中を支え直した。


 その腕へ少し身体を預けながら、エルナはふと思った。


「……前と逆ですね」


「ん?」


「山小屋では、私がルークの世話をしました」


 ルークが小さく笑った。


「ああ。そうだな」


「あの時は、なかなか寝台から出られませんでしたよね」


「出ようとすると止められたからな」


「まだ傷が治ってませんでしたから」


「わかってるよ」


 エルナも少し笑った。


 あの頃は、ルークを寝台から椅子へ移すだけでも気を遣った。脚に体重をかけないように、何度も確かめながら支えた。


 今は、自分が支えられている。


「……私も、しばらく動けそうにありませんね」


「まあ、今日は寝てた方がいいんじゃない?」


「そうします」


 エルナが答えると、ルークは少し笑った。


「素直だな」


「無理しても、動けませんから」


「それもそうか」


 エルナは部屋を見回した。


 寝台のほかには、小さなクローゼットが一つ。以前来た時と変わらない。


「ここへ運んでくれたんですか」


「ああ。宿へ戻すと、昨日の魔女と結びつくかもしれないだろ」


 ルークの視線が、エルナの銀白の髪へ向いた。


「頭は隠して運んだよ。ここの裏口から入ったし」


「そうでしたか」


「グレタさんには会ったけど、火事で倒れた子を連れてきたって言ったら、それ以上は聞かれなかった」


 あの家主なら、確かにそうかもしれない。


「ありがとうございます」


「いいよ」


 ルークはそう答えてから、エルナの顔を見た。


「まだ起きてる?」


「……もう少しだけ」


「わかった」


 背中を支える腕は、そのままだった。


 エルナは少しだけ身体を預ける。


 しばらくすると、また外で木を打つ音がした。ルークも窓の方を見る。


 昨日は、彼もあの街で戦っていた。魔獣を倒し、最後には自分をここまで運んでくれた。


 そのあと、ずっとそばにいたのだろうか。


「……ルークは、寝られました?」


「少しは」


「どこで?」


「そこ」


 ルークが床を指した。


 寝台の横。さっき、彼が座っていた場所だった。


「ずっと、そこに?」


「まあ、ほとんど」


 エルナは少し眉を寄せた。


「身体、痛くなりませんか」


「慣れてるよ」


「慣れてても、疲れるでしょう」


「それはそうだけど」


 ルークは小さく笑った。


 エルナはその顔を見る。


 まだ、疲れが残っている。


 けれど、今は何を言っても休まない気がした。


「何か食べられそう?」


 ルークが聞いた。


「……少しなら」


「じゃあ、何か買ってくる」


「乾パンなら、ありましたよね」


「よく覚えてるな」


「食べ物がそれしかなかったので」


 ルークが笑う。


「今のエルナには硬いだろ。柔らかいの買ってくるよ」


「……お願いします」


 ルークはエルナが横になるのを手伝い、毛布を掛け直した。


「すぐ戻る」


「はい。行ってらっしゃい」


 扉が閉まる。


 足音が廊下を遠ざかっていった。


     *


 一人になると、部屋は静かだった。


 窓から入る風が、寝台へ広がった銀白の髪をわずかに動かす。


 エルナはしばらく天井を見ていた。


 身体の重さは、まだ残っている。


 魔力をこれほど使ったのは初めてだ。休めば戻ることは知っているが、元通りになるまでどれくらいかかるのかはわからなかった。


 それから、もう一つ。


 エルナは毛布の下で、ゆっくり服の襟元を緩めた。


 左胸。


 心臓より少し上の肌に、淡い色の線が浮かんでいる。


 命紋。


 見慣れた紋様だった。


 以前にはなかった細い線が、端の方へ伸びている。


 少し進んだ。


 それでも、完成にはまだ遠い。何も描かれていない部分が、ずいぶん残っていた。


 エルナは息を吐いた。


 よかった。


 そう思ってから、ふと、別の紋様が浮かんだ。


 蔓のような、枝のような線。


 ロザリーの胸元にあった命紋。


 最後に見た時、そこにはもう余白がなかった。


 エルナはしばらく、自分の胸を見ていた。


 あの時は、使わないでほしかった。


 ロザリーに、生きていてほしかった。


 けれど昨日、自分は魔法を使った。


 燃えるラーデンを見て、使わずにはいられなかった。


 もし同じ場面へ戻ったとしても、きっと使うだろう。


 エルナは服を元へ戻した。


 魔法を使うことが、怖くないわけではない。ただ、使わないことで失うものもあると知っている。


 昨日は、ラーデンを守りたかった。


 それだけだった。


 エルナは天井を見上げた。


 ルークには、まだ命紋のことを話していない。


 魔法を使えば疲れることは知っている。以前にも、自分が魔法を使ったあと、身体が重くなるところを見ている。


 けれど、それだけではない。


 昨日、ルークは自分が魔法を使うと決めた時、止めなかった。何をするのかを確かめ、周囲の人を下がらせてくれた。


 彼は、自分がどんな代償を払おうとしているのかまでは知らなかった。


 エルナは胸元へ手を置いた。


 話しておこう。


 あの時と同じようなことが、また起こるかもしれない。


 その時、ルークが何も知らないままでは嫌だった。


     *


 ルークが戻ってきた時、エルナは目を開けていた。


「起きてた?」


「はい」


「食べられそうなの、あったよ」


 包みの中には、柔らかい白いパンが二つ入っていた。


「これならどう?」


「食べられそうです」


「じゃあ、起きようか」


 ルークに支えてもらい、上半身を起こす。


 パンを小さくちぎって口へ運ぶと、ほんのり甘かった。思っていたより食べやすい。


「おいしいです」


「よかった」


 ルークもパンを一つ取り、隣で食べ始めた。


 エルナはその様子を見る。


「ルークも、まだ食べてなかったんですか」


「朝は食べたよ。でも、そろそろ腹減ったから」


「そうでしたか」


 二人でパンを食べる。


 エルナは半分ほどで手が止まった。まだ食欲は戻っていないらしい。


 ルークは残りを包み直し、あとで食べられるように置いてくれた。


「もう横になる?」


「はい。……でも、その前に少し話してもいいですか」


 ルークがこちらを見る。


「何?」


「魔法のことです」


 エルナは少し姿勢を直した。ルークはそれに気づいて、背中へ添えていた腕を動かし、座りやすいように支え直してくれる。


「前にも、魔法を使うと疲れると話しましたよね」


「ああ」


「魔力は、休めば戻ります。今も少しずつ回復していますから、身体の重さはそのうち治ります」


「そっか」


「でも、魔法を使う時に減るのは、魔力だけじゃないんです」


 ルークがこちらを見る。


 エルナは左胸の辺りへ手を当てた。


「魔女には、命紋という紋様があります。年を取ったり、魔法を使ったりすると、少しずつ形が増えていくものです」


「……それも、休めば戻る?」


「いいえ。一度進んだ分は、戻りません」


 ルークは黙って聞いていた。


「命紋が完成した時、その魔女は死にます」


 ルークの視線が止まった。


 エルナを見たまま、しばらく何も言わなかった。


「……じゃあ、昨日も?」


「はい。進んでいます」


「どれくらい?」


「さっき確かめました。少し線が増えていましたけど、大きく変わったわけではありません。まだ余白はかなりあります」


 ルークは一度、エルナの胸元へ視線を向けた。


「……あと何年とか、わかるの?」


「正確にはわかりません。魔女によって進み方が違うので」


「そっか」


 ルークはそれだけ言った。


 窓の外で、荷車の通る音がした。


 エルナはその横顔を見ていた。


 ルークは何かを考えているようだった。けれど、何も聞いてこない。


「……昨日」


 しばらくして、ルークが口を開いた。


「前より疲れるって言ったよな」


「はい」


「だから、また倒れるかもしれないとは思ってた」


 ルークは自分の手を見る。


「……命まで使ってるとは、思わなかった」


「話していませんでしたから」


「そうだな」


 短い返事だった。


 ルークはしばらく黙っていた。


 エルナも、急かさなかった。


 昨日、自分は魔法を使うと決めた。ルークはそれを止めなかった。


 その選択を後悔しているわけではない。けれど、今の話を聞いて、彼が何を思うのかはわからなかった。


「……昨日のことは、後悔していません」


 エルナが言うと、ルークが顔を上げた。


「ラーデンを守りたかったんです」


「うん」


「これからも、魔法を使うことはあると思います。もちろん、使わずに済むなら、その方がいいですけど」


 ルークは頷いた。


「……昨日は、ほかにどうにもならなかったしな」


「はい」


 また、少し沈黙があった。


 ルークは窓の外へ目を向ける。


 遠くで、誰かが大きな声を出していた。何かを運ぶために、人を呼んでいるらしい。


「……昨日は、怖かったよ」


 ルークが言った。


 エルナはその顔を見る。


「倒れてから、全然起きなかったから」


「……はい」


「何度呼んでも、返事がなくて」


 ルークはそこで口を閉じた。


 しばらく窓の外を見てから、もう一度エルナへ向き直る。


「やっと目を覚ましてくれたと思ったら、今度は命紋の話だろ」


 エルナは何も言わなかった。


 ルークは少しだけ息を吐く。


「……俺は、できるだけ長くエルナと一緒にいたい」


 静かな声だった。


 エルナはその言葉を聞いていた。


 自分の命をどう使うかは、自分で決めたい。


 その考えは変わらない。


 けれど、ルークが自分と長く一緒にいたいと思ってくれている。


 それが嬉しかった。


「……私もです」


 エルナは答えた。


「だから、何でもかんでも魔法を使うつもりはありません。昨日も、ほかに方法があれば、そうしていました」


「うん」


「でも、昨日は使いたかったんです」


「わかってる」


 ルークは頷いた。


 それから、少し考えるようにエルナを見る。


「昨日みたいなことがまたあったら、何をするつもりなのか、教えてほしい」


「……はい」


「俺にも、できることがあるかもしれないから」


 エルナはルークを見る。


「昨日だって、人を下がらせるくらいはできただろ」


「そうですね」


「魔法を使わずに済む方法も、探せるかもしれないし」


 ルークはそこで言葉を切った。


 エルナは少し考えた。


 昨日、魔法を使うと決めたのは自分だ。


 それを変えるつもりはない。


 けれど、何もかも一人でやらなければならないわけではない。


 ルークは、何をするのかと聞いてくれた。必要な場所を空け、人々を下がらせてくれた。


 それも、魔法を使うために必要なことだった。


「……わかりました」


 エルナは頷いた。


「何かある時は、お願いします」


「ああ」


 ルークも頷いた。


 それきり、しばらく何も言わなかった。


 エルナは彼の手へ視線を向けた。


 膝の上に置かれている、大きな手。


 自分から手を伸ばす。


 指先が触れると、ルークがこちらを見た。


 エルナはそのまま手を握った。


 少しして、握り返される。


 ルークはまだ何かを考えているようだった。


 エルナも、無理に言葉を探さなかった。


 今すぐ、何もかも納得できる話ではない。


 それでも、話してよかったと思った。


     *


 窓の外の光が、少しずつ弱くなっていた。


 エルナは小さく息を吐く。


 身体が重い。思っていたより長く話していたらしい。上半身を起こしているだけでも、かなり疲れていた。


「そろそろ横になる?」


 ルークが聞いた。


「……そうします」


 背中を支えられ、ゆっくり寝台へ横になる。


 ルークは毛布を肩まで掛け直してくれた。


「水は?」


「今は大丈夫です」


「じゃあ、寝てて。起きたらまた何か食べよう」


「はい」


 ルークは立ち上がろうとした。


 エルナは、その手を離さなかった。


「……ルーク」


「ん?」


「一緒に寝ませんか」


 ルークが止まった。


 エルナは寝台の端へ目を向ける。


 狭い。


 二人で寝るには十分な広さとは言えない。


 けれど、少し寄れば、もう一人くらい横になれそうだった。


「ここ、空きますよ」


 ルークは寝台を見た。


「……狭いだろ」


「少しなら入れます」


「エルナ、まだ具合悪いんだから。ちゃんと休めないんじゃない?」


「寝ているだけなら大丈夫です」


 ルークは少し困ったように息を吐いた。


「俺は床でいいよ」


「でも、毛布もないでしょう」


「別になくても寝られるし」


「眠れるのと、休めるのは違いますよ」


 ルークが黙った。


 エルナはその顔を見る。


 昨日から、ほとんど眠れていないのだと思う。


 自分が目を覚ますまで、ずっとそばにいてくれた。そのうえ、命紋の話まで聞かせた。


 今もまだ、気持ちは落ち着いていないのかもしれない。


 だからこそ、少しでも休んでほしかった。


「……私も、一緒にいたいですし」


 エルナが言うと、ルークはしばらくこちらを見ていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「……わかった」


 エルナは少し口元を緩めた。


「どうぞ」


「俺の寝台なんだけどな」


「今は私が使ってますから」


 ルークが笑った。


「そうだった」


 腰の剣を外し、壁際へ置く。


 それから寝台の端へ腰を下ろした。


 エルナは少し身体を動かし、壁の方へ寄る。


「そんなに寄らなくていいよ」


「でも、狭いでしょう」


「落ちなきゃ大丈夫」


 ルークは毛布の端を見た。


 エルナの身体を肩まで包んでいる毛布。その外側に、わずかに余った部分がある。


 ルークは毛布をめくることなく、その端の上へ横になった。


 身体を横向きにし、片腕を曲げて枕代わりにする。寝台の縁ぎりぎりへ身体を収め、エルナの方を向いた。


 毛布の中には入ってこなかった。


「……狭くないですか」


「ちょっとな」


「もっとこっちへ来てもいいですよ」


「いい。これで十分」


 ルークがエルナを見る。


 思っていたより、顔が近かった。


 少し手を伸ばせば、頬にも触れられる距離。


 エルナは毛布の外へ片手を出した。


 ルークがそれに気づき、手を伸ばしてくる。


 指が重なり、ゆっくり握り返される。


 エルナはその手を見て、もう一度ルークへ目を向けた。


 さっきより、少しだけ表情が和らいでいる。


 それを見て、エルナも安心した。


「……おやすみなさい」


「おやすみ、エルナ」


 エルナは目を閉じた。


 手は繋いだままだった。


 身体の重さは、まだ残っている。魔力も、十分には戻っていない。


 それでも、少し楽になった気がした。


 隣から、ルークの呼吸が聞こえる。


 繋いだ手が温かい。


 昨日、意識を失う前にも、ルークがいた。


 今日も、目を開けた時からそばにいてくれた。


 エルナはその温かさを感じながら、眠りに落ちた。


     *


 エルナの寝息が、少しずつ深くなっていく。


 ルークは目の前の寝顔を見つめたまま、しばらく動かなかった。


 昨日は、何度名前を呼んでも返事がなかった。


 呼吸は落ち着いていた。身体に目立った異常もなかった。魔法を使う前、エルナ自身が前より疲れると言っていたことも覚えている。


 だから、まずは休ませた。


 それでも、朝になっても目を開けない彼女を見ているのは、落ち着かなかった。


 今は、こうして眠っている。


 少し前まで、普通に話していた。水を飲み、パンを食べ、自分のことまで心配していた。


 それがわかっていても、昨日のことは簡単には頭から離れなかった。


 命紋。


 魔法を使うたび、進んでいくという。


 昨日も進んだ。


 エルナは、まだ大丈夫だと言った。


 それを疑っているわけではない。


 ただ、今日聞いたことを、すぐに受け入れられそうにはなかった。


 ルークは繋いだ手へ目を落とした。


 自分より小さな手。


 眠っても、まだ指が触れ合っている。


 そっと持ち上げる。


 エルナは起きなかった。


 その手の甲へ、静かに唇を寄せた。


 短く触れて、離れる。


 それから、繋いだ手を元の場所へ戻した。


 指は離さない。


 目の前では、エルナが静かに眠っている。


 ルークはその寝息を聞きながら、ようやく目を閉じた。




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