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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第5章 好きになった街
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第76話 二度目


 昼前、乗合馬車がラーデンへ入った。


 窓の外に並ぶ建物が増え、行き交う人の声が近くなる。荷車の車輪が石畳を鳴らし、通りの向こうには見覚えのある店先が見えた。


 数日前まで、六日間を過ごした街だった。


 エルナは足元の鞄を持ち上げた。馬車が止まり、降りる人のあとに続いて地面へ下りる。背負い直した鞄の紐を引き、周囲を見た。


 前に来た時は、少し離れたところにルークがいた。


 今日は、いない。


 わかっていたことだった。来るとは伝えていない。そもそも、ルークが今日ラーデンにいるかどうかも知らなかった。


 エルナは一度だけ周囲を見てから、歩き出した。


 まずは、ギルドへ行く。


     *


 昼前のギルドは、それほど混んでいなかった。


 依頼を終えて戻ってきたらしい冒険者が受付で話している。掲示板の前には何人か立っていたが、見覚えのある姿はない。


 エルナは中へ入り、もう一度だけ室内を見回した。


 いない。


 そのまま受付へ向かう。


「すみません」


「はい」


 顔を上げた受付係に、エルナは尋ねた。


「ルークは、今日は来ていますか」


「ルーク?」


 受付係は少し考えてから頷いた。


「ああ。朝、来てましたよ。依頼を一つ持って出ました」


「まだ戻っていませんか」


「さっきまでは。近場の仕事だったと思いますけど、戻る時間までは聞いてませんね」


「そうですか」


「急ぎなら、戻ったら伝えましょうか?」


 エルナは少し考えた。


「いえ。大丈夫です」


「わかりました」


「ありがとうございます」


 受付を離れ、掲示板の前まで行く。貼られているのは、護衛、荷物運び、店の手伝い、採取。前にいた時と、大きく変わってはいない。


 ルークが戻るまで、ここで待つこともできた。


 けれど、いつ戻るかはわからない。


 エルナは掲示板から視線を外し、ギルドを出た。


 外は明るかった。


 人の流れに沿って歩く。以前なら、どの道がどこへ続いているのかもわからなかった。今は、少しわかる。


 この先を行けば市場。途中の道を曲がれば、ハンスとリリアのパン屋がある。反対へ行けば、自分が泊まっていた宿の方角。


 ルークに教えてもらった場所もあれば、自分で何度か歩いて覚えた道もある。


 エルナは市場の方へ向かった。


 探す、といっても、どこにいるのかはわからない。仕事先へ行くつもりもなかった。


 ただ、歩きながら人の中を見る。


 剣を腰へ下げた男。背の高い冒険者。荷物を抱えて歩く人。視線が向いて、違うとわかればまた前を見る。


 市場へ入る。


 以前食べた屋台があった。乾燥させた香草を並べる店も、籠を積んだ露店もある。数日前と同じように人が行き交っていた。


 エルナは歩く。


 用事はない。買うものもない。それでも足は止まらなかった。


 市場を抜け、別の通りへ出る。


 もう一度ギルドの方へ戻ろうかと考えたところで、


「エルナ?」


 声がした。


 足が止まる。


 顔を上げた。


 少し先に、ルークが立っていた。


 剣を腰へ下げ、肩には小さな鞄を掛けている。服の裾には少し土がついていた。


 こちらを見ている。


 驚いた顔をしていた。


 エルナは、その顔を見た。


 胸の奥が、ふっとほどけた。


 会えた。


 それだけで、嬉しかった。


 ああ。


 エルナは思った。


 私は、ルークが好きなんだ。


 不思議なくらい、すぐにわかった。


「どうした?」


 ルークがこちらへ歩いてくる。


「何かあった?」


「何もありません」


「何もない?」


「はい」


 ルークはエルナの鞄を見る。それから、もう一度顔を見る。


「じゃあ、なんでラーデンに?」


 エルナは答えた。


「会いたかったので」


 ルークが止まった。


 エルナも、その場に立っている。


 通りでは人が行き交い、少し離れたところを荷車が通り過ぎた。


「……俺に?」


「はい」


 エルナは頷く。


「ルークに」


 また少し沈黙があった。


 やがて、ルークの口元が緩んだ。


「……そっか」


「はい」


「それは」


 一度だけ視線を逸らしてから、また戻ってくる。


「かなり嬉しいな」


 エルナは少しだけ瞬いた。


「そうですか」


「うん」


 ルークが笑う。


「一昨日、見送ったばっかりだろ?」


「はい」


「昨日は?」


「家にいました」


「で、今日また来た?」


「そうです」


 ルークが小さく息を吐いた。笑っている。


「そっか」


 同じ言葉だった。


 けれど、さっきよりずっと嬉しそうだった。


「今、仕事の帰りですか」


「ああ。荷物運ぶだけのやつ。ちょうどギルド戻るところ」


「そうだったんですね」


「エルナは?」


「さっきギルドへ行きました」


「え」


「いなかったので、少し歩いていました」


「俺、探してた?」


 エルナは少し考えた。


「はい」


 今度は、ルークが黙った。


「……今日、すごいな」


「何がですか」


「いや」


 ルークは少し笑った。


「なんでもない」


「そうですか」


「とりあえずギルド戻っていい? 報告だけしてくる」


「はい」


 二人で歩き出した。


     *


 ギルドへ戻ると、ルークは受付へ向かった。


 エルナは少し離れたところで待つ。


 依頼の札と、何か書かれた紙を渡し、受付係と短く話している。見慣れた光景だった。この街にいた六日間、何度も見た。


 仕事を受けて、戻って、報告して、報酬を受け取る。


 その背中を見ながら、エルナはさっきのことを思い返した。


 ルークを見つけた瞬間。


 嬉しかった。


 それだけだった。


 けれど、それで十分だった。


 やがて手続きを終えたルークが戻ってくる。


「終わった」


「お疲れさまでした」


「飯は?」


「まだです」


「俺も。食べる?」


「はい」


 自然に答えた。


 二人でギルドを出る。前にも入ったことのある食堂へ向かった。


 昼を少し過ぎていたため、店の中には空いている席がいくつかあった。二人で向かい合って座る。


 エルナは野菜と肉を煮込んだものを頼んだ。ルークは焼いた肉とパン。


 料理が来るまでの間に、ルークが聞く。


「山、どうだった?」


「いつも通りです」


「水は?」


「まだ少ないままでした。大きく変わってはいません」


「そっか」


「薬草も少し見ました。前より小さいものが多いです」


「こっちも、昨日また採取の報告来てた」


「どこですか」


「西側の村。前に見たところとは別」


 エルナは少し眉を寄せた。


「また増えたんですね」


「ああ。まだ、何が原因かまではわからないけど」


「そうですね」


 料理が運ばれてくる。


 食べ始める。


 話していることは、前と変わらなかった。


 水。薬草。仕事。街。


 何か特別なことを話しているわけではない。


 それでも、時々ルークの顔を見るたびに、さっき気づいたことが浮かんだ。


 好き。


 自分は、この人が好きなのだ。


 それだけで、同じ会話が少し違って感じる。


 ルークがパンをちぎる。その手が目に入った。


 指。手の甲。剣を握るせいか、皮膚の硬くなっているところがある。


 以前にも見たことはあるはずだった。怪我をしていた頃には、もっと近くにいた。腕を肩へ回したこともある。傷を確かめるために身体へ触れたこともある。


 けれど、あれは必要だったからだ。


 今は違う。


 エルナは、ルークの手を見る。


 触れてみたい。


 ふいに、そう思った。


 自分の指で、その手に。


 けれど、手は伸ばさなかった。


 ただ、そう思ったことだけが残った。


 エルナは自分の手元へ視線を戻し、スープを一口飲んだ。


 温かかった。


     *


 食事を終えたあと、エルナは前に泊まった宿へ向かった。


「またそこにする?」


 隣を歩くルークが聞く。


「場所もわかってますし、不便もなかったので」


「何日いる?」


「決めてません」


「決めてないんだ」


「はい」


 宿へ入り、エルナは部屋を取った。荷物を置くだけ置いて、すぐに外へ戻る。


 入口の脇で待っていたルークが顔を上げた。


「もういい?」


「はい」


「このあと何かしたいことある?」


 聞かれて、エルナは考える。


 買い物はない。仕事を受けるつもりも、今日はない。見たいものも、特には思いつかなかった。


「特にはありません」


「じゃあ、どうする?」


 エルナは少し考えてから、ルークを見る。


「……少し、歩きませんか」


「うん」


 ルークが歩き出す。


 エルナも隣へ並んだ。


 目的地は決めなかった。


 市場の方へ向かいながら、店先を眺める。


 以前と同じだった。


 気になるものがあれば、エルナが足を止める。ルークも止まる。見終われば、また歩く。


 ただ、少しだけ違う。


 隣を歩くルークが、前より近く感じた。


 実際の距離は、何も変わっていない。


 肩が触れるわけでもない。手が触れるわけでもない。


 いつもと同じくらい離れて歩いている。


 それなのに、歩くたびにルークの手が視界へ入った。


 手を伸ばせば、届く距離。


 触れたい。


 また思った。


 けれど、手は伸ばさなかった。


 今は、それでよかった。


 しばらく歩いたところで、通りの人が少なくなった。市場の喧騒も少し遠い。


 エルナは足を止めた。


 数歩先へ進んだルークが振り返る。


「エルナ?」


「ルーク」


「うん」


 エルナは彼を見る。


 山小屋で、以前ルークに聞いたことがある。


『私のこと、好きなんですか』


 その時、ルークは答えた。


『好きだよ』


 自分は、そこから先のことはまだ考えられないと言った。


 今は違う。


「前に、私のことが好きだと言いましたよね」


「ああ」


「あの時、私は、その先のことはまだ考えられないと言いました」


「うん」


 エルナは一度、息を吸った。


「今は、わかりました」


 ルークが何も言わず、こちらを見ている。


 エルナも目を逸らさなかった。


「私も、ルークが好きです」


 ルークが動きを止めた。


 しばらく、何も返ってこなかった。


「……ルーク?」


「ちょっと待って」


「はい」


「いや、待たなくていいけど」


 ルークが一度顔を伏せた。


 それから、もう一度エルナを見る。


「……本当に?」


「嘘は言いません」


「それは知ってる」


 ルークが息を吐く。


 笑っていた。


 でも、いつもの軽い笑い方とは少し違った。


「そっか」


「はい」


「……嬉しい」


 その言葉を聞いて、エルナの胸の奥がまた少し緩んだ。


 言ってよかった。


 そう思う。


 ルークが何か言おうとする。


「じゃあ――」


「でも」


 エルナが言った。


 ルークが止まる。


 自分はルークが好きだ。


 そのことは、もうわかった。


 伝えたことを後悔してもいない。


 だからこそ、何も言わないまま、その先へ進むことはできなかった。


 エルナは彼を見る。


「恋人になる前に」


 一度、言葉を切る。


「話しておきたいことがあります」




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