第73話 一緒にいる時間
翌朝、エルナがギルドへ着くと、ルークは昨日と同じように掲示板の前にいた。
「おはよう」
「おはようございます」
隣へ並び、貼られた依頼に目を通す。
昨日まで確認していた森や獣について、新しい依頼は出ていなかった。古い報告についても、まだ調べている途中らしい。
代わりに並んでいるのは、荷物の配達や商人の護衛、店の修繕、家具の運搬といった、いつもの仕事だった。
エルナは上から順に見ていく。
「今日は、あまり遅くならないものがいいです」
「何かある?」
「明日の支度をしておきたいので」
「ああ」
ルークはそれだけ答えた。
明日の朝、エルナが山へ帰ることは知っている。
エルナもそれ以上は何も言わず、次の依頼へ視線を移した。
少し下の方に、二人以上を推奨する仕事があった。
古道具を扱う店の倉庫整理。
店の裏にある倉庫がいっぱいになり、新しく仕入れた品を置く場所がなくなったらしい。箱や家具を移動させ、同じような物をまとめ直してほしいと書かれている。
危険のある仕事ではない。昼過ぎまでには終わる見込みともあった。
「これ」
ルークが依頼書を指す。
エルナも内容をもう一度見た。
「いいと思います」
「じゃあ、これにする?」
「はい」
依頼書を外し、二人で受付へ向かった。
*
古道具屋は、市場から少し離れた通りにあった。
店先には古い椅子や小さな机が並び、軒下からは金属製の燭台がいくつか吊られている。扉を開けると、乾いた木と古い布、それにわずかな埃の匂いがした。
棚には食器や瓶、箱、置物。壁には額に入った絵や、用途のわからない金属器具まで掛けられている。
「いらっしゃい」
奥から出てきたのは、白髪の混じった男だった。
エルナが依頼書を見せる。
「ギルドから来ました」
「ああ、倉庫の。二人で来てくれたか。助かるよ」
男はそのまま店の奥へ二人を案内した。
細い廊下の先にある扉を開ける。
エルナは中を見て、少しだけ黙った。
部屋そのものは、そう狭くないらしい。
ただ、壁際だけではなく中央近くまで箱や家具が積まれ、歩ける場所がほとんど残っていなかった。奥にある棚も、上の方がわずかに見えるだけだ。
「……これを全部ですか」
「全部じゃない。奥の棚を二つ空けたいんだ」
男が箱の向こうを指す。
「そこまでの物を一度動かして、似たような物をまとめてもらえればいい。壊れてる物は別にしてくれ」
「わかりました」
「ただし、勝手に捨てないでくれよ」
ルークが倉庫の中を見回す。
「壊れてても?」
「壊れててもだ。直せる物もある」
「何かわからない物は?」
「聞いてくれ」
「わかった」
男はそれだけ説明すると、店へ戻っていった。
エルナは改めて倉庫を見る。
「どこからにしますか」
「とりあえず、奥まで通れるようにしないとな」
「そうですね」
まずは、手前に積まれている箱から動かすことにした。
最初の箱には、古い食器が布に包まれて収まっていた。エルナが中身を確認して種類ごとにまとめ、その間にルークが空いた箱を壁際へ運ぶ。
次は古い布。その次は金属の器。
いくつか片づけるうちに、二人が通れる程度の隙間ができた。
「これ動かす」
「はい」
ルークが低い棚の片側を持つ。
エルナも反対側へ回った。
「そっち大丈夫?」
「大丈夫です」
「上、ぶつけないように」
「はい」
二人で少し持ち上げ、そのまま横へずらす。
棚の陰から、新しい箱が二つ現れた。
エルナがその箱を見る。
「……増えましたね」
「最初からあった」
「見えていなかっただけです」
「じゃあ増えてないな」
「そうですね」
エルナは一つ目の箱を開けた。
中に黒いものが見える。
持ち上げると、顔を覆うための仮面だった。
大きく開いた口。尖った歯。額から伸びた二本の角。
ずいぶん恐ろしい顔をしている。
ルークが横から覗き込んだ。
「面?」
「だと思います」
「何に使うんだろうな」
「さあ」
裏返してみると、革の紐がついていた。
エルナは店の方へ声をかける。
「すみません」
「何だ?」
「仮面は、どこへ置けばいいですか」
「仮面?」
男が店から顔を出した。
エルナが見せる。
「ああ。それは壁際の細長い箱だ」
「わかりました」
「壊すなよ。それ、意外と値がするから」
男はそう言って、また店へ戻った。
ルークが仮面を見る。
「これが?」
「値がするそうです」
「へえ」
あまり納得していない声だった。
エルナは指定された箱へ仮面を収め、次の箱を開けた。
今度出てきたのは、小さな甲冑のようなものだった。ルークの腕ほどの高さしかない。
「子供用?」
ルークが持ち上げる。
エルナは少し考えた。
「この重さでは、着られないと思います」
「じゃあ飾りか」
「たぶん」
それはひとまず脇へ置いた。
続いて、細長い金属の道具が出てくる。
二人でしばらく眺めたが、用途がわからない。
「これも聞きますか」
「まとめてあとで聞こう。毎回呼んでたら進まない」
「そうですね」
わからない物をまとめる場所を一つ作ることにした。
そこへ小さな甲冑と金属器具を並べ、作業を続ける。
しばらくして、今度は薄い板状のものが箱の隙間から出てきた。
引き抜くと、額に入った古い絵だった。
エルナが表面の埃を払う。
四本足の動物らしいものが描かれている。背景には木と空。動物には長い耳があり、頭の上から細いものが二本伸びていた。
ルークが隣から覗き込む。
「鹿?」
「……尻尾が長いです」
「じゃあ馬?」
「角があります」
「馬じゃないか」
「たぶん」
二人で少し眺めた。
どちらにも見えるし、どちらにも見えない。
「これも、わからない方ですね」
「そうだな」
ルークが額を持ち上げる。
ちょうどその時、店主が店の奥から戻ってきた。
「それは、そっちじゃなくて絵の方に――」
そこまで言って、男が額を見る。
「ああ……それか」
「何の絵ですか」
エルナが聞いた。
男は少し黙った。
「たしか鹿だったと思うが」
そう言ってから、もう一度見る。
「……いや、馬だったかもしれんな」
そのまま額を指す。
「まあ、絵の方へ置いといてくれ」
「わかりました」
男は気にした様子もなく、また店へ戻っていった。
ルークとエルナは、もう一度絵を見る。
しばらくして、ルークが言った。
「どっちでもいいんだな」
エルナの口元が緩んだ。
さっきまで二人で真面目に考えていたのが、急におかしく思えた。
「……ふ」
息が漏れる。
ルークがこちらを見た。
目が合う。
それだけで余計におかしくなり、エルナは今度は隠さず笑った。
「ふふ……」
ルークもつられるように笑う。
エルナは絵を見た。
「何の絵か、わからなくても売るんですね」
「古い物だからいいんじゃない?」
「そんなものですか」
「俺に聞かれても」
また少し笑った。
そのまま額を絵の置き場へ運ぶ。
作業へ戻ったあとも、用途のわからない物はいくつか出てきた。
けれど、そのたびに店主を呼ぶことはしなかった。わかる物はまとめ、わからない物だけ別にしていく。
気づけば、最初は見えなかった奥の棚まで辿り着いていた。
*
作業が終わったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
店主が倉庫を確認し、空いた棚を見て満足そうに頷く。
「十分だ。これなら入る。助かったよ」
依頼完了の印をもらい、二人で店を出た。
外は朝より明るく、通りを歩く人も増えている。
ルークが腕を伸ばした。
「腹減った」
「私もです」
「何か食う?」
「はい」
そのまま二人で市場の方へ歩き出した。
近くの店で遅めの昼食を取る。
焼いた肉と野菜、それに硬めのパン。
食べながら、午前中に出てきた物の話になった。
「あの小さい鎧、結局何だったんでしょうね」
「聞くの忘れたな」
「金属の道具もです」
「絵も結局わかってない」
「馬か鹿です」
「どっちだと思う?」
エルナは少し考える。
「……鹿で」
「じゃあ俺、馬」
「答えは、たぶんわかりませんけど」
「勝負にならないな」
「そうですね」
エルナは少し笑い、パンをちぎった。
食事を終えて外へ出る。
「このあとどうする?」
ルークが聞いた。
「パン屋へ寄ってもいいですか」
「いいよ」
「明日、持って帰ろうと思って」
「ああ」
二人で歩き出す。
何度か通った道だった。
最初に来た時にはどこへ続いているのかわからなかった通りも、今は少し覚えている。
角を曲がれば市場。その先を曲がれば、ハンスとリリアの店。
パン屋へ入ると、焼いた小麦の匂いがした。
客が二人ほど並んでいる。
順番を待ち、エルナは棚を見る。
以前にも買った、木の実の入ったパンがあった。
「これを二つください」
リリアがエルナを見る。
「二つ?」
「はい。一つは明日持って帰ります」
「あ、そっか。もう帰るのね」
「はい」
リリアはそれ以上何も言わず、二つを包んだ。
代金を払い、鞄へしまう。
店を出ると、ルークが隣から言った。
「二つ買ったんだ」
「好きなので」
「そっか」
それだけだった。
二人はそのまま市場へ向かった。
明日の帰りに必要なものは、ほとんど揃っている。急いで買わなければならない物もない。
それでもエルナは、店先に並ぶものを見ながら歩いた。
乾燥させた香草。色の違う瓶。籠。山の町ではあまり見ない布。
何か気になるものがあれば足を止める。
ルークも止まる。
「これ、前に見たものと少し違います」
エルナが店先の籠を見る。
「何が?」
「編み方です。こっちの方が細かいですね」
ルークは二つを見比べた。
「俺には同じに見える」
「全然違います」
「そう?」
「はい」
エルナは籠を持ち上げ、底まで確かめる。
「でも今日は買いません」
「見るだけ?」
「見るだけでも参考になるので」
「ああ。前にも言ってたな」
籠を戻し、また歩き出した。
それからも、少し気になる店があれば立ち止まり、見終えれば次へ行った。
何かを買うためでも、仕事のためでもない。
ただ歩いていた。
途中で午前中の店にあったものによく似た仮面を見つけ、二人で一度顔を見合わせる。
それだけで、また少しおかしくなった。
そんなふうに歩いているうちに、いつの間にか日の傾き方が変わっていた。
「そろそろ飯にする?」
ルークが聞く。
エルナは空を見る。
「そうですね」
夕食も、近くの店で取ることになった。
*
食事を終えて外へ出る頃には、通りに灯りがつき始めていた。
二人で宿へ向かう。
特別な話はしなかった。
今日の仕事のこと。店で見たもの。市場のこと。
それから、明日の朝のこと。
「乗合、いつもの便?」
「はい」
「じゃあ、そんなに早くないな」
「そうですね」
それで会話は終わった。
少し歩くと、宿が見えてくる。
入口の前で足を止めた。
「じゃあ、明日気をつけて」
「はい」
ルークが片手を上げる。
「また」
エルナも答えた。
「はい。また」
次の日の時間も、場所も決めなかった。
ルークはそのまま背を向け、自分の部屋がある方へ歩いていく。
エルナは少しだけその背中を見てから、宿へ入った。
*
部屋へ戻り、明日の支度を始める。
着替え。仕事道具。使わなかった薬。
今日買ったパンも、潰れないように鞄の上の方へ入れた。
何日も過ごした部屋には、来た時より少しだけ自分の物が広がっている。
一つずつ片づける。
明日の朝は、乗合に乗る。
山へ戻る。
いつもの道を歩いて、小屋へ帰る。
そこまで考えたところで、エルナの手が止まった。
明日の朝は、ギルドへ行かない。
この数日は、そこへ行けばルークの姿があった。
一緒に仕事をした日もあれば、別々に動いた日もある。
夕方になって、また顔を合わせた日もあった。
明日は、そうではない。
エルナは鞄の中を見る。
木の実のパンが、包みの中に入っている。
しばらくそのまま見てから、蓋を閉じた。
次に会う日は、決まっていなかった。




