第72話 いない時間
翌朝、エルナがギルドへ着くと、ルークは掲示板の前にいた。
「おはよう」
「おはようございます」
隣へ並び、貼られている依頼を見る。
前日の調査については、まだ追加の依頼は出ていなかった。代わりに、護衛や荷運び、採取、近隣の村への配達など、いつもの仕事が並んでいる。
ルークが一枚を外した。
「これにしようかな」
近くの村まで荷を運ぶ商人の護衛だった。朝のうちに出発し、村で荷を下ろしたあと、そのままラーデンへ戻る。距離もそれほど遠くない。
「日帰りですか」
「ああ。何もなければ夕方には戻ると思う」
「そうですか」
エルナも掲示板へ目を戻した。
少し離れたところに、薬草の確認依頼がある。
ラーデンの薬屋から出されたものらしい。街外れに近い採取場所で、止血や傷薬に使う薬草の育ち具合を見てほしいという内容だった。状態がよければ、採りすぎない範囲で持ち帰る。
依頼書には簡単な地図も添えられていた。
ラーデンで採取の依頼を受けるのは初めてだった。
エルナは地図へ顔を寄せ、道順と目印を確かめる。
街を出て、畑の間を通る道を進む。小さな水車小屋を過ぎ、その先の林の手前。
昨日調べた場所よりも街に近い。人の出入りも多いようだった。
「これにします」
ルークが依頼書を覗いた。
「近いな」
「はい。昨日のこともありますし、今日は奥へ入るつもりはありません」
「ならいいか」
「昼過ぎには戻れると思います」
「そっか」
それぞれ依頼書を持ち、受付へ向かった。
手続きをしながら、エルナは念のため道も確認する。
「この水車小屋は、街道から見えますか」
「見えますよ。その手前を右です。畑沿いに行けば林があるんで、薬草が出るのはその辺りです」
「わかりました」
手続きを終えると、ルークの護衛相手はすでに街の入口で待っているらしかった。
「じゃあ行ってくる」
「はい。気をつけて」
「エルナも」
そこで別れた。
ルークは入口の方へ。エルナは反対側の通りへ歩き出す。
一人で仕事へ向かうのは、珍しいことではない。
ずっと、そうしてきた。
歩く速度も、立ち止まる場所も、自分で決められる。誰かへ声をかける必要もない。
ただ、今日歩く道は知らなかった。
エルナは時折、依頼書の地図を確かめながら進む。
街を出てしばらくすると、人家の間隔が広がった。畑が増え、その向こうに低い林が見える。
やがて、地図に描かれていた水車小屋が現れた。
エルナはそこで足を止める。
手前を右。
受付で聞いた通り、畑沿いに細い道が続いていた。
そこへ入る。
昨日歩いた森よりずっと明るい。近くでは、畑仕事をしている人の声も聞こえていた。
この辺りなら、何かあってもすぐ街道へ戻れる。
エルナは周囲を確かめながら進んだ。
目的の薬草は、しばらく探すと見つかった。何株かまとまって生えている。
しゃがみ込み、葉を確かめる。
枯れてはいない。虫に食われた跡も少ない。
ただ、株そのものが小さかった。
この薬草なら、もう少し葉が広がっていてもいい時期だ。
土へ触れると、表面は乾いていた。
少し離れた別の群生も見る。こちらも、よく似た状態だった。
「……小さいですね」
独り言が落ちる。
日当たりの強い場所ほど育ちが弱い。木陰へ入れば、少し大きな株も残っていた。
エルナは依頼に必要な分だけを摘み、残りはそのままにする。
採ることはできる。
けれど、状態がいいとは言いにくかった。
地図に記されている範囲を、もう少し見ておいた方がいい。
場所を移しながら順に確かめていく。
多少の差はあったものの、よく育った株はどこも多くなかった。
必要量を集め終えると、それ以上は採らず、場所と状態だけを覚えておく。
次の場所へ移ろうとして、足を止めた。
道の脇に、見覚えのない植物が生えている。
低い茎に、小さな薄紫色の花がいくつもついていた。
少なくとも、エルナが知っている薬草ではなかった。
指では触れず、しばらく眺める。
ラーデンの周辺では珍しくないものなのだろうか。
ルークなら知っているだろうか。
あとで聞いてみよう。
エルナは立ち上がり、そのまま確認を続けた。
昼を少し過ぎた頃には、依頼書に記されていた場所をすべて見終えた。
街へ戻り、依頼を出していた薬屋へ向かう。
店の奥にいた男へ採った薬草を渡すと、男は一つずつ状態を確かめていった。
「やっぱり小さいな」
エルナは採取した場所について説明する。
「指定された範囲は全部見ました。採取はできます。ただ、小さい株が多かったです。日陰では少し大きなものもありました」
「そうか」
男が一束を持ち上げた。
「去年なら、同じ辺りでももう少し大きかったんだよ」
「そうなんですね」
「ああ。量もあった。今年は持ってくる奴がみんな少ない」
エルナは薬草を見る。
自分の山で起きていることと、よく似ていた。
「遠いところから入る分は、もっと減ってる。急になくなったわけじゃないんだけどな」
「少しずつですか」
「そんな感じだな」
急に何かが変わったわけではない。
少しずつ減っている。
それも、これまで別の場所で聞いてきた話と同じだった。
エルナは残りの場所と状態も伝え、確認済みの印をもらった。
薬屋を出る。
昼食はまだだった。
市場へ向かう途中、前に立ち寄った屋台が見えた。
薄い生地に、肉と炒めた野菜を挟んで焼いている。ラーデンへ来て、好きだと思った味。
エルナはそのまま屋台へ向かった。
「一つください」
「あいよ」
受け取り、近くの空いている場所で食べる。
塩気が少し強く、香草の香りがする。
前に食べた時と同じ味だった。
エルナは黙って食べ進める。
ふと、
『じゃあ覚えとく』
ルークの声を思い出した。
もう一口食べる。
味は変わらない。市場も同じように騒がしい。
ただ、隣に声がない。
それだけだった。
食べ終えてからも、エルナは少し市場を歩いた。
この街へ来てからルークと通った場所が、いくつも目に入る。
パン屋へ続く通り。
石鹸を選んだ店。
ルークが知り合いに声をかけられた場所。
何となく、思い出す。
空を見る。
まだ夕方には少し早い。
ルークは、今頃どの辺りだろう。
そう考えてから、エルナは歩き出した。
ギルドへ戻り、依頼の完了を報告する。
薬屋でもらった印を確認した受付係が、報酬を渡した。
「昨日の件、何かわかりましたか」
「ああ、他の地域の報告ですよね。今、古い分も含めて見てもらってます。もう少しかかりそうです」
「そうですか」
「何かわかったら、掲示板にも出すと思いますよ」
「わかりました」
用事は終わった。
エルナは報酬をしまい、出口へ向かう。
扉の前まで来て、外を見た。
ルークの姿はない。
夕方には戻ると言っていた。
まだ少し早い。
エルナは一度外へ出ようとして、やめた。
掲示板へ戻る。
今日はもう受けるつもりはない。それでも、新しく貼られた依頼を上から順に見ていった。
荷運び。修繕。近隣の畑での手伝い。小さな荷物の配達。
一枚読み終え、次を見る。
急いで宿へ戻る必要もなかった。
しばらくして、ギルドの扉が開いた。
エルナは顔を上げる。
先に入ってきたのは、荷物を扱う商人らしい男だった。
その後ろから、ルークが入ってくる。
服に少し土埃がついている。怪我をしている様子はない。いつも通り歩いていた。
エルナは、気づけば少し肩の力を抜いていた。
ルークもこちらに気づく。
「エルナ」
「戻ったんですね」
「ああ。今戻った」
ルークが近くまで来て、エルナの前にある掲示板を見た。
「次の仕事?」
「いえ。今日はもう受けません」
「そっか」
商人が受付で話し始める。
ルークがそちらを見た。
「報告してくる」
「はい」
エルナはその場に残った。
報告はすぐに終わった。
戻ってきたルークが聞く。
「夕飯は?」
「まだです」
「じゃあ食べてく?」
「はい」
返事はすぐに出た。
二人でギルドを出る。
近くの食堂に入り、空いている席へ座った。
頼んだのは、肉と豆を煮込んだ料理とパンだった。
料理が来るまでの間、ルークが水を飲む。
「今日どうだった?」
「仕事ですか」
「うん」
「目的の薬草はありました。でも、小さい株が多かったです」
「街の近くでも?」
「はい。日陰は少しましでしたけど」
「薬屋は何て?」
「去年はもっと大きかったそうです。入ってくる量も減ってるって」
「やっぱりか」
そこで料理が運ばれてきた。
エルナはパンをちぎる。
「ルークは?」
「何もなかったよ」
「護衛です」
「うん。村まで行って荷物下ろして、帰ってきただけ」
「獣は?」
「見てない。道も普通だった」
「ならよかったです」
「俺もそう思う」
ルークが煮込みを口へ運ぶ。
エルナも食べ始めた。
しばらくして、昼間のことを思い出す。
「あ、そういえば」
「何?」
「今日、見たことのない花がありました」
「花?」
「薄紫色で、小さいものがたくさんついていて。茎は低かったです」
エルナは指で大体の大きさを示す。
「このくらいです」
ルークが少し考えた。
「街の近く?」
「はい」
「見たことはあるかも」
「名前、知っていますか」
「いや。そこまでは知らない」
「そうですか」
「薬草じゃないなら、エルナも知らない?」
「知りません」
「じゃあ、二人とも知らないな」
「そうですね」
エルナは煮込みを一口食べた。
夕食を終え、二人で店を出る。
宿までの道を歩いた。
今日受けた仕事のこと。明日、ギルドへ行くかどうか。市場で見たもの。
特別な話はしなかった。
それでも、宿まではすぐだった。
入口の前で足を止める。
「明日は?」
ルークが聞いた。
「朝、ギルドを見に行きます」
「俺も行く」
「そうですか」
「ああ」
少しだけ間が空いた。
「じゃあ、また明日」
「はい。また明日」
ルークは片手を上げ、自分の部屋のある方へ歩いていった。
エルナはその背中を見送ってから、宿へ入った。
*
部屋へ戻り、扉を閉める。
荷物を置くと、外の音が少し遠くなった。
今日は一人で仕事をした。
困ることは、何もなかった。
これまでと同じように、一人で歩いて、一人で仕事を終えられた。
それなのに、ギルドへ戻ってきたルークを見た時、ほっとした。
夕食の時間も、楽しかった。
エルナはしばらく、そのことを考えた。
会えて、嬉しかった。
それだけを認めて、灯りを消した。




