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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第5章 好きになった街
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第71話 森から下りてくるもの


 翌朝、エルナがギルドへ着いた時には、ルークはすでに中にいた。


 掲示板の近くで、三人の男と話している。


 昨日までも何度か見た場所だったが、誰かと並んでいるルークを見るのは初めてだった。


 エルナに気づき、ルークが片手を上げる。


「おはよう」


「おはようございます」


 そばにいた三人もこちらを見た。


 一人は盾と長剣を持った男。もう一人は弓を背負った若い男。そして最後の一人は、三人の中でもひときわ大柄で、背に大きな斧を負っている。


「エルナ」


 ルークが三人へ向けて言った。


「四級。採取と山仕事に慣れてる」


 それから、盾と長剣を持った男を示した。


「グレン」


「グレンだ。ルークとはよく組んでる」


 落ち着いた声だった。


「よろしく」


「エルナです。よろしくお願いします」


 次に、ルークが弓を背負った青年へ目を向ける。


「フィン」


「俺、フィン。よろしく」


 フィンが軽く手を上げた。


「はい」


 最後に、大斧を背負った大柄な男。


「あっちがバルド」


 バルドがエルナを見た。


「ああ。最近ルークと組んでるっていう」


「そうですね」


「山慣れしてんなら助かるな」


「普段はもう一人いる」


 グレンが言った。


「ニーナ。今日は市場で材料見たいってさ」


「ああ、買い出しか」


 ルークもそれだけ返した。


 普段はもう一人、ニーナという仲間もいるらしい。


 それ以上の説明はないまま、バルドが掲示板へ視線を戻した。


「で、今日は何見るんだ?」


 グレンが一枚の依頼書を外す。


 ラーデン近郊の農地で、ここ数日、作物を荒らされる被害が続いているらしい。近くの荷車道でも鹿や猪を見たという話が出ている。


 何が来ているのか。


 魔獣が混じっていないか。


 どこから人里側へ入ってきているのか。


 通行人に危険がある状態か。


 それを確認してほしいという調査依頼だった。


 大斧を背負ったバルドが紙を覗き込む。


「痕跡調査?」


「ああ」


「俺いらねえだろ」


 グレンは少し考えた。


「たぶんな」


「だよな」


 バルドはあっさり頷いた。


 ちょうどその横に、畑の柵を直す仕事と資材運びの依頼が並んでいる。


「俺そっち行くわ。足跡見てるより役に立つ」


「その方が早いな」


「だろ?」


 迷いもなかった。


 バルドはその依頼書を外すと、受付へ向かっていった。


 残った四人で、グレンが地図を広げる。


「まず被害が出た農家へ行く。話を聞いて、そこから痕跡を追う。荷車道まで出てるなら、そっちも確認」


「わかった」


 フィンが答える。


 ルークも短く頷いた。


「了解」


 エルナは地図の位置を覚え、四人でギルドを出た。


 農地までは、街からそれほど遠くなかった。


 人の多い通りを抜け、街道をしばらく歩く。そこから脇道へ入ると、建物が減り、代わりに畑が増えていった。


 フィンはいつの間にか少し前を歩いている。グレンは道を確認しながら進み、ルークはその少し後ろを歩いていた。


 誰かが役割を決めたわけではない。


 それでも、歩いているうちに自然と位置が決まっていった。


 依頼主の農家へ着くと、畑の端に壊れた柵があった。


「昨夜ですか?」


 グレンが尋ねる。


「昨夜も来た。でも、その前からだな」


 農家の男が答えた。


「最初は鹿だと思ってたんだが、畑を掘り返されるようになってな。猪もいるんじゃないかって」


「人に向かってきたことは?」


「今のところない。見かけても向こうが逃げる。ただ、荷車道の方でも見たって話があるからな」


 グレンが話を聞いている横で、フィンはもう柵の外へ出ていた。


 地面へしゃがみ込む。


「これ猪」


 指先で跡を示す。


「こっちは鹿」


 ルークが近くまで行った。


「何頭くらい?」


「猪は最低二頭。鹿は……こっちは古いな」


 フィンが少し場所を変える。


「新しいのは三頭分くらい。でも重なってるから、もっといるかも」


 ルークは一度、畑の向こうへ続く斜面を見た。


 エルナは二人の会話を聞きながら、畑の外側へ目を向ける。


 柵のすぐ外にも草が生えている。


 けれど、先端を食いちぎられたものが多い。低い木の若葉も減っていた。


 畑へ入らなくても、食べられるものはある。


 それでも獣は柵を越えている。


 エルナは少し離れた場所へ移動した。


 地面へしゃがむ。


 若い草の根元に、ちぎられた跡がある。


「何かあった?」


 フィンの声がした。


「食べられた跡が多いです」


「畑じゃなくて?」


「はい。こっちも」


 グレンも農家との話を終え、近くまで来た。


「いつもこんなもんじゃないのか?」


 エルナは周囲を見る。


「一か所なら、そういうこともあります。でも、この辺りは少し多いと思います」


「草が?」


「食べられた跡が、です。畑へ入る前からかなり食べています」


 フィンが辺りを見回した。


「じゃあ、腹減って来てる?」


「それだけでは、まだわかりません」


「そりゃそうか」


 フィンはすぐに足跡へ戻った。


 痕跡は畑の外から、緩やかな斜面の方へ続いていた。


 四人でそれを追う。


 フィンは地面を見る。


 エルナは道脇の植物を確認する。


 少し先でフィンがしゃがみ込むと、ルークはその横を通り過ぎ、斜面の先を見た。グレンが地図を開けば、今いる場所を覗き込む。


 途中、エルナが道脇の低木を見るため数歩外れた。


「そこ、根出てる」


 後ろからルークの声がする。


 足元を見ると、土から太い根が浮いていた。


「ありがとうございます」


 避けて進み、枝先を確かめる。


 実はほとんど残っていなかった。


 しばらくして、フィンが片手を上げた。


「こっち」


 細い獣道が斜面を横切っている。


 ルークが少し先を見る。


「このまま行くと、低い尾根越えて荷車道に出る」


 フィンが顔を上げた。


「近い?」


「そんなに遠くない」


 グレンが地図を見る。


「なら、先にそっち確認するか」


「うん」


 ルークが答える。


「人が通るところまで来てるなら、そっち見た方がいい」


 フィンはまた先へ出た。


 四人で尾根を越える。


 道を下り始めて少しすると、荷車道が見えてきた。


 荷車が二台並べるほどの幅がある。今は誰も通っていない。


 その手前で、フィンがしゃがんだ。


「ある」


 土の柔らかいところに、いくつもの跡が残っている。


 鹿。


 猪。


 古いものに混じって、輪郭のはっきりした新しい跡もあった。


 少し離れた草地にも踏み荒らされた跡が続いている。


 フィンはそこまで歩き、地面から黒い粒を拾い上げた。


「鹿の糞。そんなに古くない」


 その先では、低い木の樹皮が剥がされている。


 グレンが眉を寄せる。


「ここまで出るもんか?」


「出ないわけじゃない」


 フィンが答える。


「でも、この数は多いな。何回も通ってる」


 ルークも荷車道を見る。


「俺もここは何度も通ってるけど、前はこんなじゃなかった」


「最近か」


「たぶん」


 フィンが足跡の向きを追う。


 どれも森側から出てきて、道の近くまで来ている。


 一頭が迷い込んだだけではない。


 何度も。


 何頭も。


 人の暮らす方へ近づいている。


「来た方、少し見るか」


 グレンが言った。


「深追いはしない」


 四人は森側へ戻った。


 そこから先は、獣道がいくつか枝分かれしている。


 エルナは道脇の植物を見ながら歩いた。


 若い葉が少ない。


 実のなる低木も、枝の割に実がついていなかった。


 食べられた跡が重なっている場所もある。


 さらに進んだところでは、木の樹皮まで齧られていた。


 エルナは足を止めた。


「どうした?」


 ルークが聞く。


「これ」


 幹を示す。


「食べられてます」


 フィンが覗き込む。


「鹿?」


「たぶん」


 エルナは周囲を見る。


「私の住んでいる山でも、今年は薬草が減っています」


 グレンが顔を向けた。


「ここみたいに?」


「似ています。日当たりのいいところは特に。いつもなら残る場所でも少なくなっていました」


「水もだったな」


 ルークが言う。


「はい」


 前に二人で調べた水路。


 詰まりも崩れもなかったのに、上流まで流れは細かった。


「こっちでも水関係の依頼、増えてる」


 ルークが続ける。


「水を運ぶ仕事とか。前に行った村でも似た話は聞いた」


 グレンが少し黙った。


「北から来る連中も、今年は採れるものが少ないって言ってたな」


「薬草?」


 フィンが聞く。


「それだけじゃない。山で採れる木の実とか、その辺も」


 エルナはゆっくり周囲を見る。


 目の前にあるものだけなら、珍しいとは言えない。


 雨の少ない年もある。


 暑い年もある。


 獣が人里へ出ることだってある。


 けれど、自分の山でも。


 この街の周辺でも。


 さらに別の村や、北の方でも。


 似たことが起きている。


 フィンが足元の獣道を見る。


「水が減って、食うものも減って。それで下まで来てる?」


 エルナはすぐには頷かなかった。


「それだけなら、この辺りだけの話でもおかしくありません」


「そっちの山も同じなんだろ?」


 グレンが聞く。


「はい。少なくとも、似たことは起きています」


「他の村でもある」


 ルークが言った。


 少し、誰も話さなかった。


 風が通る。


 木の葉が擦れた。


 夏から続いている暑さの中で、葉の色はどこか乾いて見える。


 エルナは木々の奥を見る。


「……森そのものが、弱っているのかもしれません」


 グレンがこちらを見る。


「森そのもの?」


「水が減って、植物が育ちにくくなって。そのせいで、そこで暮らしていた獣まで下へ来ているなら」


 そこまで言って、エルナは一度言葉を切った。


「ただ、原因はわかりません」


「雨が少ないから、とかじゃなく?」


 フィンが聞く。


「それもあると思います。でも、それだけで離れた場所まで同じようになるのかは」


 答えられない。


 ルークが森を見たまま言う。


「山一つの問題じゃないのかもな」


 グレンが小さく息を吐いた。


「戻ったら、他の地域の報告も確認してもらおう」


「ああ」


 誰も、それ以上の答えは持っていなかった。


 けれど、今日ここへ来る前とは違う。


 水。


 植物。


 獣。


 別々に起きているように見えたものが、完全に無関係とは思えなくなっていた。


 帰り道では、確認したことを順に整理した。


 魔獣の痕跡はない。


 確認できたのは普通の鹿と猪。


 ただし、人里側へ出ている数が増えている。


 山側では植物の食害が多く、育ちも悪い。


 水不足や植物の減少が、獣の移動に関係している可能性がある。


「獣だけ追い払って終わる話じゃなさそうだな」


 グレンが言った。


「また戻ってくるかもしれないし」


 フィンが答える。


「そうですね」


 エルナも頷く。


 獣が悪いわけではない。


 そこにいられなくなって、下りてきているのなら。


 追い払うだけでは、何も変わらない。


 ギルドへ戻る頃には、午後もだいぶ過ぎていた。


 受付で報告をする。


 グレンが概要を話し、フィンが足跡について補足する。エルナは植物の状態を伝えた。


「原因まではわかりません。でも、私の住んでいる山でも似たことが起きています」


 受付係が帳面へ書き込む。


「こっちにも、水や採取関係の報告は増えてます」


「他の地域は?」


 グレンが聞いた。


「確認してみます。商隊からの話も入ってるので」


「頼む」


 報告を終えたところで、後ろから大きな声がした。


「終わったか?」


 振り返ると、バルドが戻ってきていた。


 服の裾に土がつき、肩には細かな木屑が乗っている。背の大斧は朝と変わらずそのままだ。


「そっちは?」


 グレンが聞く。


「終わった。柵立て直して、杭運んで、ついでに壊れかけてたところも補強した」


「早いな」


「俺向きだったからな」


 バルドは満足そうだった。


 それからフィンを見る。


「で、そっちは? 何いた?」


「鹿と猪」


「殴った?」


「殴ってない」


 バルドが一度瞬く。


「じゃあ俺、行かなくて正解だったな」


「途中で飽きてただろ」


 グレンが言う。


「絶対飽きてた」


 バルドは即答した。


 フィンが笑う。


 ルークも少しだけ口元を緩めていた。


 エルナも、その場に立っていた。


 誰かに説明を求められるわけでもない。


 特別に気を遣われるでもない。


 同じ依頼から戻ってきた一人として、そこにいる。


 少し話したあと、グレンたちとはギルドの中で別れた。


「また似た依頼あったら頼む」


 グレンがルークへ言う。


「予定合えば」


「エルナも、またな」


 フィンが片手を上げる。


「はい。また」


 バルドも、


「次はもっと殴れる仕事にしろよ」


 と言ってから、別の冒険者に呼ばれてそちらへ行った。


 ルークがエルナを見る。


「帰る?」


「はい」


 二人でギルドを出る。


 朝より日差しは傾いていた。


 通りにはまだ人が多い。


「疲れた?」


 歩きながら、ルークが聞いた。


「いえ」


「結構歩いたけど」


「普段と変わりません」


「そっか」


 会話はそこで途切れた。


 二人でしばらく歩く。


 朝からずっと誰かと一緒に動いていた。


 それなのに、一人になりたいとは思わなかった。


 エルナはそのことに気づいて、隣を歩くルークを一度だけ見た。




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