第66話 聞きたかったこと
数日後。
エルナは机の上に、乾かした薬草を種類ごとに並べていた。
先日の採取地で見たものを思い出しながら、葉の状態を一枚ずつ確かめる。日当たりの強い場所では育ちが悪く、湿り気の残る岩陰にはまだ状態のいいものがあった。
あれがこの辺りだけのことではないなら、もう少し広い範囲の話を知りたい。
そう考えているところで、外から足音が聞こえた。
もう、誰なのか確かめる必要はなかった。
少しして、戸を叩く音がする。
「エルナ?」
「います」
立ち上がって扉を開けると、ルークが立っていた。
「こんにちは」
「こんにちは」
エルナは身体をずらす。
「どうぞ」
「お邪魔します」
ルークが小屋へ入り、剣と荷物をいつもの場所へ置く。
エルナは水を一杯出してから、向かいの椅子へ戻った。
ルークが机の上を見る。
「まだ薬草見てた?」
「はい。この前の採取地のことを少し」
「やっぱり気になる?」
「気にはなります」
エルナは葉を一枚手に取った。
「同じようなことが、ルークの街の近くでも起きてるんですよね」
「ああ。場所によるけど」
「それなら、やっぱり行ってみようと思います」
ルークが水を飲みかけたまま止まった。
「街?」
「はい」
「ほんとに?」
「前は、考えておくと言っただけです」
「そうだけど」
ルークが杯を置く。
少しだけ、表情が緩んだ。
「行くんだ」
「そのつもりです」
「いつ?」
エルナは頭の中で予定を確認した。
急いで片づけなければならない仕事はない。乾燥中の薬草も、あと数日あれば区切りがつく。
「五日後なら」
「五日後」
ルークが少し考える。
「朝の乗合使う?」
「そのつもりです」
「なら、昼頃には着けると思う」
「そうですね」
ルークは一度頷いた。
「じゃあ、その日は仕事入れない」
エルナが顔を上げる。
「普段通り仕事しててもいいですよ」
「せっかく来るのに?」
「着いたらギルドで会えばいいでしょう」
「それでもいいけど」
ルークは少しだけ笑った。
「俺が一緒に回りたいんだよ」
エルナは黙った。
そうなのではないかとは、もう思っている。
けれど、これから自分はルークの街へ行く。彼が暮らしている場所へ、自分から足を踏み入れる。
その前に、このまま曖昧にしておくのは違う気がした。
「ルーク」
「何?」
エルナはまっすぐルークを見る。
「私のこと、好きなんですか」
ルークが、一度だけ瞬いた。
少しの間があった。
「……うん」
短く答える。
「好きだよ」
小屋の中が静かになった。
外では風が葉を揺らしている。
エルナは、すぐには言葉を返せなかった。
そうなのではないかとは思っていた。
けれど、そう思うことと、本人の口から聞くことは同じではない。
「……そうじゃないかとは思ってました」
ルークがわずかに眉を上げる。
「わかってた?」
「でも、聞くのとは違うので」
エルナは一度、机の上へ視線を落とした。
自分へ向けられていたものに、はっきりと名前がついた。
それだけのはずなのに、さっきまでとは少し違って感じる。
「あなたが、どういうつもりで私に時間を使ってるのか、知っておきたかったんです」
エルナは少し迷ってから続けた。
「街にも行くことにしたので」
ルークはしばらく何も言わなかった。
それから、小さく頷く。
「そっか」
そこで、会話が途切れた。
聞きたかったことは聞いた。
答えももらった。
けれど、その先にあることを考えようとすると、言葉が続かなかった。
さっきまでは、ルークがどう思っているのかを知りたかっただけだった。
知ってしまえば、その先には自分の気持ちがある。
そこへは、まだすぐには踏み込めなかった。
エルナは机の上へ視線を落としたまま、少しだけ指先を動かす。きれいに揃えてあった薬草の端を、意味もなくもう一度揃えた。
向かいで、ルークが杯を持ち上げる。
水を飲み、静かに机へ戻す。
普段なら気にも留めない小さな音が、妙にはっきり聞こえた。
「……私は今、まだ、そこから先のことは考えられません」
言ってから、エルナはルークを見る。
ルークは少しだけ黙っていた。
それから、一度頷く。
「わかった」
それ以上は何も言わなかった。
エルナも、続ける言葉を持っていなかった。
小屋の中に、もう一度沈黙が落ちる。
どちらも、すぐには次の言葉を出せなかった。
それでも、ルークは帰ろうとはしなかった。エルナも、席を立たなかった。
しばらく机の上を見つめたあと、エルナは小さく息をつく。
「……五日後なんですけど」
「ああ」
「朝の乗合で行きます」
「じゃあ、着く頃に乗り場の近くにいる」
「ギルドで待っていてもいいですよ」
「最初くらい案内させて」
エルナは少しだけ間を置いた。
「……お願いします」
「うん」
「三泊くらいは滞在するつもりなので、宿も探します」
「それなら、知ってるところあるよ。冒険者がよく使う宿」
「そこも教えてください」
「ああ」
一つずつ、予定を決めていく。
乗合を降りる場所。
ギルド。
泊まる宿。
話しているうちに、先ほどまでの張り詰めた感じは少しずつ薄れていった。
それでも、まったく元通りになったわけではない。
ルークの顔を見るたび、さっき聞いた言葉が頭のどこかに残っている。
「好きだよ」
それを、もう知らなかったことにはできない。
ルークが机の上の薬草を見る。
「これ、まだやる?」
「はい」
「何か手伝う?」
エルナは机の上を見て、乾いた薬草を一束取った。
「じゃあ、これを分けてください」
束を渡す。
ルークはそれを受け取り、茎を一本ずつ確かめ始めた。
少しして、一つを持ち上げる。
「これは?」
「残します」
「こっちは?」
「それは除けてください」
ルークは言われた通りに脇へ置き、また別の一本を手に取る。
「これは?」
「さっきと同じです」
「見分けつかないんだけど」
「見ればわかります」
「だから、その見方を聞いてる」
エルナは少しだけ口元を緩めた。
「葉の付け根を見てください」
「ここ?」
「もう少し下です」
「ああ。これ?」
「はい」
「やっとわかった」
「次は間違えないでくださいね」
「努力する」
そんなやり取りを重ねるうちに、張りつめていた空気は少しずつほどけていった。
さっきのことが消えたわけではない。
忘れたわけでもない。
ただ、それを抱えたままでも、二人で同じ机に座っていられた。
*
夕方になる前に、ルークは帰る支度を始めた。
鞄を背負い、剣を腰へ下げる。
「じゃあ、五日後」
「はい」
「昼頃、乗り場で」
「わかってます」
ルークが扉を開ける。
「じゃあ、また」
「はい。また」
扉が閉まる。
しばらくして、山道を下りていく足音も遠ざかっていった。
エルナは机へ戻り、残っていた薬草を一つ手に取る。
次に会う日は、もう決まっている。
今度は、ルークがこちらへ来る日ではない。
エルナが、ルークの街へ行く日だった。




