↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第5章 好きになった街
64/122

第64話 隠さないまま


 ルークが山を下りてから、四日が過ぎた。


 朝、エルナはいつものように水を汲みに行った。


 湧き水は相変わらず細い。桶が満ちるまでに、以前より少し時間がかかる。それでも枯れてはいなかった。


 岩の隙間を伝う水へ手を入れる。冷たさを確かめてから、エルナは満ちた桶を持ち上げた。


 火事の翌日、町へ下りた時には、焼けた畑の端で何人かが土を掘り返していた。


 火は林まで届かなかった。飛んだ火の粉も、途中で勢いを失ったらしい。


 どうして止まったのかを知っている人はいない。


 あの斜面の上で何が起きたのかを知っているのは、エルナと、もう一人だけだった。


 桶を持って斜面を上りながら、その一人のことを考える。


『待ってます』


 別れ際、自分からそう言った。


 だからといって、いつ来るのかは聞いていない。


 考えたところで、来る日が早まるわけでもなかった。


 エルナは小屋へ戻った。


 桶を置き、髪を包んでいた布を外す。腕輪も外して、机の上へ置いた。


 町へ行く予定はない。


 窓を開け、乾かしていた薬草を机へ広げる。


 葉の色を見る。指先で茎を曲げ、乾き具合を確かめる。十分なものは分け、まだ少し水分の残っているものは窓辺へ戻した。


 外から入る風が、肩へ落ちた髪を揺らした。


     *


 昼前だった。


 乾かした葉を選り分けていると、斜面の方から足音が聞こえた。


 土を踏む音。


 時々、小石が転がる。


 この小屋へ続く道を、迷わず上ってくる足音だった。


 エルナは手を止めた。


 誰なのか、姿を見る前にわかった。


 机の端へ置いた腕輪へ、手が伸びる。


 指が触れる、その前で止まった。


 扉の外でも足音が止まる。


 少しして、戸を叩く音がした。


 こん、こん、と二度。


「エルナ?」


「います」


 返事をして、もう一度腕輪を見る。


 そのまま手を下ろした。


 髪にも触れない。


 エルナは立ち上がり、扉へ向かった。


 鍵を外す。


「こんにちは」


「こんにちは」


 戸口にルークが立っていた。


 剣を腰へ下げ、小さな鞄を背負っている。山道を上ってきたせいか、額には少し汗が浮いていた。


 片手には、布で包まれたものを持っている。


 目が合う。


 ルークの視線が一度だけエルナの髪へ向いた。


 それから、すぐに顔へ戻る。


「開けるの早かったな」


「足音でわかったので」


「もう?」


「何度も来てるでしょう」


「まあ、そうだけど」


 ルークが少し笑った。


「暑いな」


「今日はまだ風があります」


「山の上でこれか」


「昨日よりはましです」


「その基準、相変わらずだな」


 エルナは身体をずらした。


「どうぞ」


「お邪魔します」


 ルークが小屋へ入る。


 扉を閉めると、いつものように剣を外して壁際へ置いた。鞄もその横へ。


「それ、何ですか」


 エルナが手元の包みを見る。


「パン」


「見ればわかります」


「ああ、そっちじゃないのか」


「どこのですか」


「前に話しただろ。昔から知ってるやつがパン屋やってるって」


「孤児院の?」


「そう」


 ルークは包みを机へ置いた。


「朝、乗合に乗る前に寄った」


 エルナは包みを見る。


 一人分にしては多い。


「こんなに?」


「一緒に食べようと思って」


 あっさりした声だった。


 エルナは一度、ルークを見る。


「じゃあ、食べますか」


「うん」


 窓から入る光は、もう高いところから差している。


 エルナは机の上の薬草を端へ寄せた。


 ルークが包みを開く。


 三種類入っていた。


 一つは丸いパン。


 一つは中に肉と野菜を挟んだもの。


 もう一つには、砕いた木の実が練り込まれているらしい。


「どれがいい?」


 エルナは少し見てから、一つを指した。


「これにします」


「じゃあ俺こっち」


 ルークが肉の挟まったものを取る。


 エルナは水差しから二人分の水を注ぎ、自分の席へ座った。


 パンを一口食べる。


 ほんのり甘い。生地は柔らかく、噛むと木の実の香ばしさが広がった。



「おいしいです」


「よかった」


「ルークの友達が作ってるんですか」


「旦那の方が職人。あいつも店には出てるけど」


「よく買うんですか」


「時々。顔出したついでに買うこともある」


 エルナはもう一口食べる。


 少しして顔を上げると、ルークと目が合った。


「何ですか」


「見てただけ」


 エルナは一度だけ瞬いた。


 ルークはそれ以上何も言わず、手元のパンへ視線を戻した。


 エルナも、何を、とまでは聞かなかった。


 そのまま残りのパンを食べる。


 包みを片づけたところで、ルークが聞いた。


「あの日の疲れ、もう平気?」


 エルナは顔を上げる。


「魔法を使ったあとの?」


「ああ」


「もう戻りました。休めば戻るので」


「ならいい」


 ルークはそれだけ言った。


 魔法について何か聞かれることも、あの日に見たものについて尋ねられることもなかった。


 エルナも、それ以上は話さなかった。


     *


 昼食を終えると、エルナは途中だった薬草へ手を伸ばした。


 向かいに座ったルークが、それを見る。


「何かやる?」


「今日は座ってていいですよ」


「また見てるだけ?」


「来たばかりでしょう」


「だからって暇なんだけど」


 前にも似たようなことを言われた気がする。


 エルナは机の上を見る。


「じゃあ、こっちを束ねてください」


「どれ?」


「乾いてる方です」


 束を一つ渡す。


 ルークは受け取り、紐を取った。


「前と同じでいい?」


「はい」


「わかった」


 二人で手を動かす。


 エルナが状態を見て分け、ルークが束ねる。


 説明することは、ほとんどない。


 ルークが一つ束ね終える。


「これくらい?」


「大丈夫です」


「次」


「そこです」


 短いやり取りだけが続く。


 外では木々の葉が擦れている。


 鳥が一度鳴いた。


 少しして、会話が途切れた。


 二人とも何も言わない。


 エルナは薬草を見る。


 ルークは紐を結ぶ。


 それで時間が過ぎていった。


「終わりました」


 最後の薬草を籠へ入れ、エルナは手を払った。


 ルークも束ねたものを机へ置く。


「もうない?」


「はい。手伝うものはありません」


「そっか」


 ルークが椅子へ背を預ける。


「別に、手伝いに来たわけじゃないし」


 エルナは籠を持ち上げかけて、ルークを見る。


 ルークはもう、机の上に残っていた紐をまとめていた。


 エルナは何も言わず、籠を棚へ置く。


 その時。


「……それ」


 後ろから声がした。


「何ですか」


「あの棚」


 視線の先を見る。


 壁際に置いてある棚。


 右側が少し低い。


 ずっと、そのまま使っている。


「まだ傾いてるな」


「そうですね」


「直してないのか」


「落ちてないので」


 ルークが黙る。


 エルナは棚を見る。


「何ですか」


「前も同じこと言ってたなと思って」


「使えてます」


「それも聞いた」


「じゃあ、知ってるでしょう」


「知ってる」


 ルークが笑った。


 エルナは籠をそのまま棚へ載せる。


 少し傾いている。


 それでも、落ちはしない。


 ルークが立ち上がった。


「直していい?」


 エルナが振り返る。


「棚を?」


「ああ」


「このままでも使えますけど」


「それは知ってる」


 ルークは棚の前へしゃがむ。


「俺が気になるだけ」


 エルナも棚を見る。


 今まで困ったことはない。


 けれど、直して困ることもない。


「……お願いします」


「了解」


 まず棚の中身を机へ移す。


 乾燥させた薬草。


 布。


 小さな瓶。


 籠。


「結構入ってたな」


「棚なので」


「それはそうだけど」


 中身を出し終えると、ルークが左右の脚元を確かめる。


「ぐらついてはいないんだな」


「はい」


「右が低いだけか」


「最初からです」


 エルナは作業道具を入れている箱を持ってきた。


 使いかけの板。


 細い木片。


 釘。


 紐。


 小屋を直した時の残りが、まだいくつかある。


 ルークが薄い木片を一つ取った。


「これ使えそう」


「そのまま入りますか」


「少し厚いな」


 ナイフを借り、端を削る。


 何度か棚の脚元へ合わせたあと、ルークは立ち上がった。


「少し持ち上げられる?」


「はい」


 二人で棚の右側を少しだけ持ち上げる。ルークが、削った薄い木片を右側へ噛ませた。


「下ろして」


 ゆっくり戻す。


 二人で棚を見る。


「もうちょっとかな」


「まだですか」


「まだ少し低い」


「私は気になりませんけど」


「知ってる」


 ルークは木片の先を斜めに削り直した。


 もう一度棚の右側を持ち上げ、今度は少し奥まで噛ませる。


 下ろして、一歩離れた。


「どう?」


 エルナも少し離れて見る。


 右側へ傾いていた棚が、ほとんど真っ直ぐになっている。


「真っ直ぐですね」


「だろ」


「使いやすくなったかは、まだわかりません」


「まずそこ?」


「棚なので」


 ルークが笑った。


「じゃあ戻そう」


 二人で机へ移したものを、元の場所へ戻していく。


 薬草。


 布。


 瓶。


 籠。


 全部戻しても、棚は傾かなかった。


 エルナは少しだけ横から見る。


「……真っ直ぐです」


「二回目だな」


「確認です」


「そっか」


     *


 そのあとは、それぞれ自分のことをして過ごした。


 エルナは薬を一つ作った。


 ルークは剣を手入れしている。


 必要な時だけ、短く言葉を交わす。


 あとは静かだった。


 エルナが薬を瓶へ移し終えた頃には、日が少し傾き始めていた。


 窓の外を見る。


 まだ明るい。


 今から出れば、町まで戻れる。


 前なら、そろそろどうするのか聞くところだった。


 けれど、今日はエルナが口を開くより先に、ルークが窓の外を見た。


「まだ戻れるな」


「はい」


 日暮れまでは余裕がある。


 ルークは少しの間、外を見ていた。


 それから、エルナを見る。


「今日、泊まっていってもいい?」


 エルナは一度だけ瞬いた。


 今までは、泊まっていけばいいと言ったのは自分だった。


 怪我が治ったあとも、会いに来た日も、ルークはいいのかと確認してから泊まった。


 今日は違う。


 まだ帰れる。


 怪我もしていない。


 ここへ残らなければならない理由もない。


 エルナは少しだけ考えた。


「いいですよ」


 ルークの表情が緩んだ。


「ありがとう」


「夕食、二人分にします」


「ああ。何かする?」


「切ってください」


「何を?」


「根菜を」


「わかった」


 ルークが袖を捲った。


     *


 夕食は簡単な煮込みにした。


 エルナが材料を出し、ルークが切る。


「これくらい?」


「もう少し小さく」


「こっちも?」


「それはそのままで大丈夫です」


 ルークは頷き、切ったものを鍋へ入れた。


 エルナは火を見ながら、ふと棚を見る。


 昼までは右側が少し低かった。


 今は真っ直ぐ立っている。


「何?」


 ルークが聞く。


「棚を見てました」


「気になるようになった?」


「真っ直ぐになったので」


「それは見ればわかる」


 以前にも、ルークから同じことを言われた。


 エルナは一瞬黙り、それから少しだけ口元を緩める。


「前にも、同じことを言いましたね」


「言ったな」


 ルークも笑った。


     *


 食事を終えると、エルナが器を洗い、ルークが拭いた。


 最後の一枚を受け取ったルークは、迷わず棚へ戻す。


 もう、どこに何があるのかほとんど聞かない。


 外が暗くなる。


 ルークは自分で毛布を出し、いつもの場所へ広げた。


 エルナは机の上を片づける。


 束ねた薬草を端へ寄せ、使った道具をしまう。


 その時、腕輪が少し邪魔になった。


 エルナはそれを持ち上げ、机の端へ寄せる。


 昼前、ルークの足音を聞いた時。


 一度だけ、ここへ手を伸ばしかけた。


 それきりだった。


「エルナ?」


 呼ばれて振り返る。


「何ですか」


「寝ないの?」


「寝ます」


 灯りを小さくする。


 ルークはすでに毛布へ横になっている。


 エルナも寝台へ入った。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 明かりを消す。


 小屋の中が暗くなった。


 エルナは目を閉じる。


 その日、ルークが来てから腕輪に触れたのは、机の上を片づける時だけだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。