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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第4章 隣にいる人
63/125

第63話 隠さなくていい人


 答えてから、エルナはルークを見た。


 すぐには何も返ってこなかった。


 ルークは少し目を見開いたまま、こちらを見ている。驚いている。それはわかった。


 けれど、身体を引くことはなかった。座っている位置も変わらない。


 ロザリーが魔女だと知られた途端、さっきまで普通に話していた人たちが目を逸らし、距離を取った。エルナは、その時の空気を覚えている。


 だから、待った。


 ルークが何を言うのか。どうするのか。


 沈黙は、思っていたより少し長かった。


「……やっぱり、そうだったのか」


 ようやく出てきたのは、それだった。


「やっぱり?」


「ああ」


 ルークは一度、自分の膝へ視線を落とした。


「前に、一回だけ考えたことはあった。髪を隠してるし、腕輪も何かの魔道具っぽかったし」


「気づいていたんですか」


「腕輪が魔道具っぽいってところまでは。魔女かもっていうのは、ただの想像」


 少し間を置いて、ルークは続ける。


「魔法使ってるところも見てなかったし、俺、魔女に会ったことなかったから。考えてもわからないなと思って、そのままにしてた」


「聞こうとは思わなかったんですね」


「聞いて、違ったらただ失礼だろ。それに、隠してるなら理由あるんだろうし」


 ルークはそう言ってから、もう一度エルナを見た。


 声も、表情も、先ほどまでと大きくは変わっていない。


「さっきの」


「はい」


「火を冷やしたのか?」


「少し違います。燃えているところと、火が進もうとしていた先から熱を抜きました」


 ルークが先ほどの斜面を思い出すように、町の向こうへ目を向ける。


「だから火が弱くなったのか」


「はい」


「あの辺り全部を冷やした?」


「いいえ。火が広がろうとしているところだけです」


「そんな細かく分けられるんだな」


「慣れました」


 ルークは小さく頷いた。それから少し考えるようにエルナを見る。


「じゃあ、さっき疲れてたのも魔法のせい?」


「はい。疲れは、休めば戻ります」


「そっか」


 それ以上は聞かれなかった。


 エルナはしばらくルークを見た。


「……それだけですか」


「何が?」


「いえ」


 言ってから、少し迷う。


 それでも、聞いた。


「怖くないんですか」


 ルークの眉がわずかに上がった。


「エルナが?」


「魔女が」


「……それ、同じじゃないの?」


 今度はエルナが黙った。


 ルークは少し考えてから、言葉を続ける。


「魔女について、俺はほとんど知らない。危ない魔女だっているのかもしれない」


「はい」


「でも、エルナが何する人かは知ってる」


 エルナはルークを見る。


「俺を助けて、必要ないなら戦わないって言って、無茶すると止める」


「止める必要があったので」


「そういうところ」


 ルークが少し笑った。


「魔女だってわかったからって、俺が知ってるエルナが変わるわけじゃないだろ」


 いつもの笑い方だった。


 胸の奥に残っていたものが、ほんの少し緩んだ。


 ルークの視線が、エルナの左手首へ落ちる。


「その腕輪も、魔女なのと関係ある?」


「これは認識をぼかす魔道具です」


「やっぱり」


「やっぱり?」


「前は、何度見ても顔の細かいところが残りにくかったから」


 エルナも腕輪を見る。


 淡い魔石は、いつもと変わらずそこにある。


「今は、前より効いていないと思います」


「そうなのか?」


「近くで何度も見られたり、強く意識されたりすると、効きにくくなるので」


「じゃあ、俺がずっと見てたから?」


「……たぶん」


 ルークが少しだけ気まずそうな顔をする。


「それ、俺がすごい見てたみたいだな」


「頬の傷にも気づいてましたよね」


「あれは目に入っただけだって」


「朝にはなかったことまで覚えてました」


「……そこまで覚えてたのか」


「言われたので」


 エルナの口元が、ほんの少し緩む。


 ルークも笑った。


 魔女だと話す前と、同じように。


 そのことを、エルナはしばらく黙って感じていた。


「前にさ」


 ルークが言った。


「薬草を誰に教わったのか聞いた時、家族だって言ってたよな」


「はい」


「その人も、魔女だった?」


 エルナは少しだけ目を瞬いた。


 以前なら、そこで答えを止めていたかもしれない。


「魔女でした。森の魔女です」


「森の?」


「そう呼ばれていました」


 エルナは左手首へ目を落とした。


「ロザリーといいます。私を育ててくれた人です」


 ルークは何も言わずに聞いている。


「薬草も、森の歩き方も、いろいろ教えてもらいました」


「じゃあ、前にやってた水筒の紐の結び方も?」


 思っていなかったものが出てきて、エルナはルークを見る。


「覚えていたんですか」


「俺のやり方と違ったから」


「……あれも、ロザリーです」


「そっか」


 ルークが一度頷く。


 それから、少しだけ間が空いた。


「その人は――」


 途中で言葉が止まる。


 聞いていいのかを考えたのだろう。


 エルナには、それがわかった。


「もう、いません」


 自分から答えた。


 ルークの表情が少し変わる。


「……そっか」


「はい」


 エルナは腕輪へ指を触れる。


「これも、ロザリーにもらいました」


「腕輪?」


「初めて森の外へ出る時に。魔女だと知られないように」


 ルークは腕輪を見る。


「じゃあ、ずっと使ってるのか」


「はい。中の魔石には、自分で力を入れ直しています」


「それもできるんだな」


「魔女なので」


 一瞬、ルークが黙った。


 それから、少し笑う。


「そうだった」


 エルナもわずかに口元を緩めた。


「髪を隠してるのも?」


「目立つので。魔女だと知られるきっかけになります」


「そっか」


 ルークは少し考えてから言う。


「これ、知られたくないんだよな」


「はい」


「じゃあ、俺からは言わない」


 大げさな言い方ではなかった。


 ただ、当たり前のことを決めるような声だった。


「……ありがとうございます」


「礼言われることでもないと思うけど」


「それでも」


「じゃあ、どういたしまして」


 ルークは一度何かを言いかけるように口を開き、やめた。


 エルナも続きを促さなかった。


 町の方からは、まだ人の声が聞こえている。


 火は消えた。


 けれど、黒く焼けた畑も、少なくなった水も、そのままだ。


「そろそろ戻る?」


「はい」


 エルナは立ち上がった。


     *


 町を出て山道へ入ると、急に音が少なくなった。


 人の声が遠ざかる。残るのは、二人の足音と葉の擦れる音くらいだった。


 服にも、髪を包んだ布にも、まだ焦げた匂いがついている。


 身体も重い。


 町へ下りた朝とは明らかに違った。


「休む?」


 隣から声がした。


「まだ大丈夫です」


「まだ、ってことは後では休む?」


 エルナは少し考える。


「たぶん」


「じゃあ、無理になる前に言って」


「ルークに言われるとは思いませんでした」


「なんで?」


「怪我していた時、何度も同じことを言ったので」


「ああ」


 ルークが笑う。


「じゃあ今度は俺の番だな」


「順番制ではありません」


「違うの?」


「違います」


 そう答えながら歩いた。


 しばらくして、いつも休むことのある岩が見えた。


 今度はエルナから足を止める。


「少し休みます」


「うん」


 ルークは何も言わず、岩の横へ腰を下ろした。


 エルナも隣へ座り、水筒を開ける。水は町で飲んだ時より、さらにぬるくなっていた。それでも喉が乾いていたので、ゆっくり飲んだ。


 ルークが山の下を見る。


「水、もっとあったら違ったんだろうな」


「そうですね」


「最初の火も、あそこまで広がらなかったかもしれない」


「今年は乾きすぎています」


「ああ」


 ルークはしばらく煙の残る空を見ていた。


「街へ戻ったら、向こうのギルドも見てみる」


「水の依頼ですか」


「それも。獣とか、火事とか。似た話が増えてないか」


 エルナも山の下へ目を向ける。


「わかったら、教えてください」


「ああ、そうする」


 何が起きているのか。


 どこまで続いているのか。


 なぜなのか。


 今はまだ、わからない。


 それでも、ルークもこの先を気にしている。


「そろそろ行けそう?」


「はい」


 二人で立ち上がる。


 今度は、さっきより少しだけゆっくり歩いた。


 ルークは何も言わず、その速度に合わせた。


     *


 小屋へ着く頃には、日が傾き始めていた。


 エルナは戸を開ける。


「ただいま」


 いつものように口にして、中へ入った。


 後ろからルークも続く。


 扉を閉めると、ルークは自分で剣を外し、壁際へ荷物を置いた。どこへ置くのかを聞くこともない。


「煙くさいな」


 ルークが自分の服を嗅いで顔をしかめる。


「かなり」


「水、使っていい?」


「どうぞ」


「先、エルナ使う?」


「手だけ洗います」


 二人で順番に手と顔を洗った。


 水へ触れると、指先についた黒い汚れが流れていく。腕にも細かな煤がついていた。


 ルークが外で服についた土と灰を払っている間に、エルナは外套を脱いで壁へ掛ける。


 そのまま夕食の支度をしようと棚へ向かったところで、後ろから声がした。


「今日は俺が作る」


 エルナは振り返る。


 ルークが戻ってきたところだった。


「大丈夫です」


「それは知ってる」


「なら」


「疲れてるだろ」


「休めば戻ります」


「じゃあ、今日は休んでてよ」


 エルナは黙る。


 ルークが少し笑った。


「俺も腹減ってるし。前に、また作るって言っただろ」


 言われて思い出す。


 まだルークが怪我をしていた頃、椅子に座ったまま根菜を切り、味つけを考えてもらった。


 あの時、エルナはまた頼むと言った。


「……言いました」


「じゃあ、やらせて」


 命令ではなかった。


 代わると決めつけるでもない。


 エルナは少し考えてから、棚の前を空けた。


「お願いします」


「了解」


 ルークが袖を捲る。


 根菜を取り出し、干し肉と豆も確認する。ナイフを持つ手に迷いはなかった。


「これ使っていい?」


「はい」


「香草は?」


「上の棚です」


「これ?」


「それです」


 エルナは椅子へ座った。


 怪我をしていた頃のルークは、火のそばまで動けなかった。


 今は自分で棚を開け、鍋へ水を入れ、火の前に立っている。


 根菜はほとんど同じ大きさに揃っていく。火の通りにくいものだけ、少し小さい。


「やっぱり、慣れてますね」


「孤児院だと手伝う人数も多かったからな」


「毎日ですか」


「毎日じゃない。でも当番みたいなもんはあった」


 ルークは切った根菜を鍋へ入れる。


「大きい鍋で作っても、すぐなくなる」


「そんなに食べるんですか」


「育ち盛りが何人もいるから」


「ルークも?」


「俺も」


「そうでしょうね」


「何、その納得」


「よく食べるので」


「今の俺見て言った?」


「はい」


 ルークが笑った。


 鍋から、少しずつ香草の匂いが立ち始める。


「味見する?」


「ルークが作っているのに?」


「塩足りるか見て」


 差し出された匙を受け取る。


 一口。


 エルナは少しだけ目を瞬いた。


「……前と同じ味ですね」


「覚えてた?」


「はい。おいしかったので」


 ルークが一瞬黙る。


「……そっか」


 なぜか少し嬉しそうだった。


 エルナは匙を返す。


「もう少し煮れば大丈夫です」


「了解」


 それからは、鍋が煮える音を聞きながら待った。


     *


 食事が終わると、エルナは器を重ねた。


「洗います」


「疲れてるんじゃなかった?」


「作ってもらったので」


「じゃあ拭く」


「お願いします」


 エルナが洗い、ルークが拭く。


 水の音と、布が器を擦る音が続いた。


 最後の器を渡すと、ルークは迷わず棚のいつもの場所へ戻した。


     *


 外がすっかり暗くなった頃。


 ルークは床へ毛布を広げていた。


 エルナは机の前に立つ。


 左手首を見る。


 腕輪。


 初めて森の外へ出た日、ロザリーがつけてくれたもの。


 森へ帰れば外した。あの家では必要なかったから。


 旅に出てからも、人目のない部屋へ戻れば外した。


 今の小屋を選んだ時も、ここまで戻れば腕輪も髪を隠す布も外せることを考えた。


 人と関わる時間と、隠さなくていい時間。


 それを自分で分けられる場所。


 エルナは留め具へ指を掛けた。


 腕輪を外す。


 小さな音を立てて、机の上へ置いた。


 それから、髪を包んでいる布へ手を伸ばす。


 一度だけ、止まった。


 ルークは床で毛布を整えている。


 こちらを見ていない。


 見せてほしいとも。


 外してほしいとも。


 何も言わない。


 知られたから、見せなければならないわけではない。


 ルークも、それを求めてはいない。


 それでも。


 ルークに対してまで、隠したままでいたいとは思わなかった。


 エルナは布の結び目をほどいた。


 巻いていた布を外す。


 押さえ込まれていた髪が、肩から背中へ落ちた。


 長い白銀の髪。


 指で軽く整え、布を腕輪の隣へ置く。


「……エルナ?」


 ルークの声がした。


 振り返る。


 ルークがこちらを見ていた。


 すぐには何も言わない。


「何ですか」


「いや」


 それでも、まだ見ている。


「……何ですか」


「なんか、違うなと思って」


「腕輪を外したので」


「見え方が変わるわけじゃないんだよな?」


「はい。前から見えていたはずです」


「だよな」


 ルークは少し考える。


「でも、今までより細かいところが目に入る」


「意識が逸れにくくなったからだと思います」


「そっか」


 もう一度、エルナの顔を見る。


「今なら、ちゃんと覚えられそう」


「たぶん」


 ルークの視線が、そのまま髪へ移った。


「……ほんとに白いんだな」


「はい」


 長い髪を目で追う。


 少しだけ間が空いた。


「綺麗だな」


 エルナはルークを見る。


 ルークもこちらを見ていた。


「ありがとうございます」


 一瞬だけ、ルークの方が先に目を逸らした。


 エルナは自分の髪へ触れる。


 珍しい色だということは知っている。


 それでも、ルークに言われたその一言だけは、少し耳に残った。


「寝ますか」


「そうする。今日はさすがに疲れた」


「私もです」


 明かりを落とす準備をする。


 机の上には、腕輪と髪布が置かれたままだ。


 エルナは一度だけそれを見る。


 手を伸ばさない。


 寝台へ入り、毛布を掛ける。


 床では、ルークが横になった。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 返事は、すぐに出た。


 明かりを消す。


 小屋が暗くなる。


 少しして、床の方からルークの呼吸が聞こえ始めた。


 最初の頃は、その音ばかりが耳へ入った。


 知らない男が、自分の家にいる音だった。


 今はもう、その音だけに意識を取られることはない。


 エルナは目を閉じた。


     *


 翌朝。


 目を覚ますと、窓から淡い光が入っていた。


 エルナは身体を起こす。


 床では、ルークがすでに毛布を畳んでいる。


「おはよう」


「おはようございます」


 昨日と同じ声だった。


 エルナは寝台から降りる。


 机の上には、腕輪と髪布が置かれている。


 この小屋で初めて朝を迎えた日のことを思い出した。


 あの日も、腕輪はつけなかった。


 髪も隠さなかった。


 外へ出ても、人は誰もいなかった。


 この場所には、自分しかいなかったから。


 今は違う。


 振り向けば、ルークがいる。


 畳んだ毛布を端へ置き、荷物を確認している。


 それでも。


 エルナは腕輪へ手を伸ばさなかった。


 髪も、そのままにした。


「朝、何かする?」


 ルークが聞く。


「パンを切ってください」


「了解」


 ルークがパンを取り、エルナは昨日の残りを火へ掛けた。


 一人で迎えていた頃と、同じ小屋。


 いつもの朝。


 けれど、今は二人分だった。


 食事を終えると、ルークは帰る支度を始めた。


 荷物をまとめ、剣を腰へ戻す。


「今日は街まで戻るんですよね」


「ああ。町まで下りて、朝の便に間に合えば乗る。間に合わなかったら歩く」


「水は?」


「入れた」


「食べるものは?」


「ある」


「忘れ物は?」


「たぶんない」


「たぶん」


 エルナが言うと、ルークは荷物をもう一度見る。


「まあ、何か忘れてても次来た時でいいだろ」


 エルナはルークを見る。


「忘れなくても来るんでしょう」


 ルークの手が止まった。


 少しだけ目を見開く。


 それから笑った。


「来るよ」


「そうですか」


「ああ」


 エルナは扉を開けた。


 朝の空気が入ってくる。


 すでに暑さはある。


 ルークが外へ出る。


 エルナも戸口へ出た。


「じゃあ」


 ルークが山道を見る。


「また来る」


 前にも聞いた言葉だった。


 怪我は、もう治っている。


 ここへ来なければならない理由はない。


 それでも来ると言う。


 そのことを、エルナはもう不思議だとは思わなかった。


 エルナは頷く。


「はい」


 少しだけ間を置く。


「待ってます」


 ルークの目が、わずかに見開かれた。


「……そっか」


 すぐに笑う。


「じゃあ、また」


「はい。また」


 ルークが山道を下りていく。


 エルナは戸口に立ったまま、その背中を見送った。


 腕輪はつけていない。


 髪も隠していない。


 朝の風が、白銀の髪を揺らす。


 少し離れたところで、ルークが一度だけ振り返った。


 エルナを見る。


 片手を上げる。


 エルナも小さく手を上げた。


 ルークはまた前を向き、そのまま木々の向こうへ消えていった。


 姿が見えなくなってから、エルナは小屋へ戻る。


 机の上には、腕輪と髪布が置かれている。


 町へ下りる時には、また必要になる。


 外の世界で、自分を守るために。


 それは、これからも変わらない。


 けれど、ルークの前では。


 もう、必要なかった。




第4章、ここまでありがとうございました!


山で拾った怪我人だったルークも、気づけばエルナの「隣にいる人」になりました。


次章では、そんな二人の距離がもう少し近づいていきます。

第5章もお楽しみに!

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