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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第4章 隣にいる人
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第57話 一人に戻る


 小屋へ戻った頃には、日がだいぶ傾いていた。


 エルナは鍵を開けて中へ入り、扉を閉めた。背負っていた荷を下ろし、まずフードを脱ぐ。ここまでは、ルークがいた間も変わらなかった。


 次に、左手首へ目を落とした。


 腕輪の留め具へ指を掛ける。外した腕輪を机の上へ置くと、ずっと締めつけられていたところに薄く跡が残っていた。そこを親指で軽く撫でてから、今度は髪を包んでいた布を解く。


 押さえ込まれていた白銀の髪が、肩から背へさらりと落ちた。


 エルナは両手を髪へ差し入れ、根元からゆっくり梳いた。張りついていた髪がほどけ、空気が通る。


「……楽」


 小さく声が出た。


 ルークをこの小屋へ連れてきた夜から、家の中でも腕輪と髪布を外していなかった。


 窓を少し開ける。山の風が入り込み、ほどいた髪を揺らした。誰かに見られることを考えなくていいのなら、布から髪が出ていないか気にする必要もない。


 久しぶりの感覚だった。


 窓を閉めようとした時、視界の端に床が入った。


 壁際に、毛布が畳まれている。


 昨日までルークが床で使っていたものだった。


 エルナはそれを持ち上げた。形が崩れないよう畳み直し、もともと置いていた棚へ戻す。


 何も敷かれていない床が見えた。


 それから町へ持っていった鞄を片づけ、財布と冒険者証をいつもの場所へ戻した。空になった薬草の袋も畳んでしまう。


 水差しを持ち上げると、朝汲んだ水が少し残っていた。今夜使う分には足りる。


 エルナは夕食の支度を始めた。


 棚から根菜を取り出す。もう一つ手に取ったところで、鍋を見てから元へ戻した。


 干した肉を切り、水と一緒に火へ掛ける。香草を少し入れ、味を見る。


 煮える頃には外が暗くなり始めていた。


 器を取ろうと棚へ手を伸ばす。


 一枚を持ち上げた指が、その下に重なったもう一枚の縁へ触れた。


 そこで止まり、手を引く。


 食卓へ置いたのは一枚だけだった。


 食事を終え、器を洗う。使った調理道具を片づけ、乾かしていた薬草の向きを変えた。


 いつも通りのことをしているうちに、夜になった。


 エルナは寝台へ腰を下ろし、髪を櫛で梳いた。


 布に包み続けていたせいか、毛先が少し絡んでいる。時間をかけて解き、背中へ流した。


 薪が一度、ぱちりと鳴った。


 それ以外は何も聞こえない。


 風が窓の外の葉を揺らす音。小屋の木が冷えて軋む音。遠くで鳴く鳥の声。


 前から知っている音ばかりだった。


 エルナは櫛を置いた。


 ここしばらくなら、その合間に別の音があった。


 椅子を引く音や、水を飲む音。必要な時だけかけられる声。


 今夜はない。


 しばらく静かな部屋に座ってから、エルナは灯りを落とした。


 寝台へ横になる。


 床には、もう毛布はなかった。


 目を閉じているうちに、いつも通り眠気がやってきた。


     *


 翌朝、エルナはいつもの時間に目を覚ました。


 朝食を済ませ、水を汲みに行く支度をする。


 髪を布で包み、その上からフードを被る。机の上に置いていた腕輪を左手首へ戻し、石の状態を確かめた。


 空の桶を持って外へ出る。


 水場までは十分ほどだった。


 木々の間を抜けて岩場へ着くと、エルナは流れの前で足を止めた。


 岩の隙間から水は出ている。


 けれど、細い。


 エルナは桶を流れの下へ置き、しゃがみ込んだ。


 岩肌には、水で濡れて色の変わっているところがある。その脇に、以前は水が流れていたらしい跡が残っていた。


 指で触れる。


 乾いている。


 少し前から、流れが細くなったような気はしていた。


 ルークとここへ来た時、以前より水が少なくなっているとはっきりわかった。


 今日見ても、やはり細い。


 桶の底へ落ちた水が、ゆっくり深さを増していく。


 急に枯れるような様子ではない。


 それでも、同じではなかった。


 エルナは水を汲み終えると、小屋へ戻った。


 朝のうちに家の仕事を済ませ、そのあと採取道具を持って山へ入る。


 昨日、ルークと話していた別の採取場所を確認しておきたかった。


 向かったのは、小屋から少し北へ回った斜面だった。木が多く、昼でも直射日光の入りにくい場所だ。


 以前、同じ薬草を何度か採っている。


 目当ての場所へ着くと、エルナはすぐには手を伸ばさず、辺りを見回した。


 木の根元や岩陰に、何株か残っている。


 一株の前へしゃがみ、葉を確かめる。


 まだ若い。これは残す。


 少し離れた株は育っていたので、必要な部分だけを切り取った。


 場所を移りながら何株か採る。


 昨日見た斜面よりは多い。


 けれど、葉の小さいものが目についた。


 エルナは土へ指を差し入れた。表面は乾いているものの、少し掘ればまだ湿り気が残っている。


 日陰だからだろうか。


 ここだけを見れば、薬草がなくなるほどではない。


 別の斜面にも回ってみる。


 そちらは木が少なく、日差しが入りやすい。


 前に薬草を見た場所をいくつか確認したが、ほとんど残っていなかった。一か所だけでは判断できない。誰かが先に採った可能性もある。


 エルナは場所を覚えておくことにした。


 採れるところから、自分で使う分と売れる分だけを採る。


 昼前には小屋へ戻った。


 採ってきた薬草を種類ごとに分け、必要なものだけ洗って水気を拭く。干すものを窓際へ並べてから、昼食の支度を始めた。


 残っている野菜をまな板へ置く。


 一つ切り終え、次の根菜へ手を伸ばしたところで、エルナはそれをまな板の向こう側へ置きかけた。


 手が止まる。


 ルークが料理を手伝っていた時、切ってもらうものを置いていた場所だった。


 エルナは根菜を見た。


 それから自分の手元へ引き戻し、ナイフを入れる。


 一人でやっていた頃と同じだ。


 切り終えるまで、それほど時間はかからなかった。


     *


 その翌日も、次の日も、エルナはいつも通りに暮らした。


 朝になれば山へ入り、採取場所を少しずつ変えて様子を見る。日差しの強い場所ほど土が乾き、薬草の育ちも悪いように見えた。ただし、木陰や水気の残る場所には、まだ十分に採れるところもある。


 家へ戻れば採ったものを処理し、食事を作る。


 最初の一日ほど、手が止まることもなくなった。


 晴れた日の午後には、髪を包む布を洗った。


 水を切り、軒先へ干しておく。


 乾くまで外へ出る予定はない。


 エルナは家の中で髪をほどいたまま、薬草の選別を続けた。


 風が入るたび、長い髪が肩から滑り落ちる。それを片手で背中へ払う。


 以前は当たり前だった時間だった。


 数日もすれば、一人で暮らしていた時の手順はほとんど戻った。


 四日目、エルナは町へ下りた。


 採った薬草を売り、食料を少し買い足すつもりだった。


 ギルドへ入ると、受付には何人か並んでいた。順番を待ち、持ってきた薬草を出す。


 受付係が種類ごとに分けながら、量を確認する。


「北側ですか?」


「はい」


「そっちは、まだ採れました?」


「日陰には残っています。でも、少し少ないです」


「やっぱり場所によりますね」


 男は薬草を一束持ち上げ、状態を見た。


「日当たりのいいところは、今年かなり厳しいみたいです。持ち込みも減ってますよ」


「前より?」


「ええ。急になくなったわけじゃないですけど」


 提示された額を確認し、エルナは代金を受け取った。


 受付を離れる前に、掲示板が目に入る。


 前に来た時より紙が増えていた。


 採取や荷運びに混じって、畑へ水を運ぶ仕事がいくつかある。用水路の詰まりを確認する依頼や、共同井戸から離れた家へ水桶を運ぶ仕事もあった。


 エルナは受付係を振り返る。


「水の依頼、増えました?」


「ああ、気づきました?」


「はい」


「畑の方が特にですね。今年は雨が少ないから」


 男が掲示板を見る。


「用水路に流す分が足りないところもあるみたいで。井戸の水位が下がったって話も聞きます」


「この町で?」


「この辺りもですけど、ここだけじゃないみたいですよ」


 エルナは男を見る。


「南から来た商人が、向こうもずっと暑いって言ってました。荷車で何日か行ったところでも、畑へ回す水が足りないらしくて」


「南でも」


「そう聞いただけですけどね。俺が見に行ったわけじゃないんで」


「……そうですか」


 エルナはもう一度、掲示板へ視線を戻した。


 山の湧き水。


 育ちの悪い薬草。


 増えている畑の仕事。


 南の土地の暑さ。


 全部が同じ理由なのかは、まだわからない。


 雨が少ない年なら、似たことは起こるのかもしれない。


 ただ、自分の住んでいる山だけの話ではなさそうだった。


「何か受けます?」


 受付係に聞かれ、エルナは少し考えてから首を振った。


「今日はいいです」


「了解です」


 ギルドを出て、必要な食料だけを買った。


 町の端を通る時、畑の脇で水桶を運んでいる人が見えた。


 男が二人で大きな桶を持ち、その後ろから子どもが小さな桶を運んでいる。畑の端を流れる細い水路には、水がほとんどなかった。


 エルナは歩きながらそこを見た。


 足を止めるほどではない。


 そのまま町を出た。


     *


 小屋へ戻ったのは、夕方だった。


 買ってきたものをしまい、採取道具をいつもの場所へ戻す。


 夕食の支度をする。


 根菜を切り、干した肉を鍋へ入れる。香草を足し、味を整える。


 もう、食事の支度で手が止まることもなかった。


 食事を終える頃には、窓の外が暗くなっていた。


 明日は、今日とは別の斜面を見に行くつもりだった。


 水場も、もう少し様子を見ておきたい。


 やることはある。


 エルナは使った器を洗い、火を小さくした。


 戸締まりを確かめ、寝台へ入る。


 小屋の中は静かだった。


 薪のはぜる音がして、すぐに消える。


 その静けさは、今も嫌いではない。


 目を閉じる。


 眠りはほどなくやってきた。


 以前と同じ、静かな夜だった。


 ただ以前なら、その静けさを意識することはなかった。




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