第55話 山を歩く
翌朝、エルナが目を覚ますと、ルークはもう起きていた。
自分で床から起き上がり、毛布まで畳み終えている。
昨夜、床で眠ったことで傷や足首が悪化した様子もなかった。
「起きられましたね」
「問題なかった」
「痛みは?」
「ない」
エルナは一度、ルークの左脚を見る。
歩き方にも、昨日までと変わったところはなかった。
「ならよかったです」
朝食を終えると、エルナは棚から籠を出した。
採取用の小さなナイフと布袋を入れていると、向かいから声がした。
「今日は仕事?」
「薬草を見に行きます」
「町に持ってく分?」
「はい。あと少しあれば、まとめて売れるので」
ルークが立ち上がる。
「俺も行っていい?」
エルナは一度、その左脚を見る。
「遠くは行きませんけど」
「ならちょうどいい」
「痛くなったら戻りますよ」
「わかってる」
返事に迷いはなかった。
エルナはしばらく考えてから頷く。
「じゃあ、行きましょう」
*
二人で外へ出る支度を整える。
ルークは剣と短剣を身につけ、扉の横に置いてあった杖を持った。
山道へ出る。
最初のうち、エルナは何度か後ろを確認した。
けれど、少し歩いて気づく。
自分は、それほど速度を落としていなかった。
ルークは少しだけ左脚を庇っているものの、遅れることなくついてくる。杖も急な場所で支えにする程度で、平らなところではほとんど使っていない。
それより目についたのは、視線だった。
足元を見る。
道の先を見る。
斜面の上。木々の間。藪の向こう。
何かを探しているというより、歩きながら自然に周囲を見ている。
「何かいますか」
エルナが聞くと、ルークがこちらを見た。
「いや?」
「さっきから、よく見てるので」
「ああ」
ルークは前へ視線を戻す。
「癖だな」
「傭兵の?」
「それもある。今も仕事じゃ似たようなもんだし」
「そうですか」
「エルナは見ない?」
「見ますよ」
「だよな」
それだけ言って、また歩く。
エルナも前を向いた。
自分が見るものとは、少し違うのかもしれない。
しばらく進んだところで、ルークが道の端へ目を向けた。
エルナも足を止める。
柔らかい土に、蹄の跡が残っていた。
「鹿ですかね」
「たぶん」
ルークが少し屈んで見る。
「新しくはなさそうだな」
「昨日今日のものではないと思います」
「ならいいか」
それだけ確認して、二人はまた歩き出した。
目当ての斜面は、木々が重なって日陰になりやすい場所にある。
エルナは道を外れ、土の柔らかい場所を避けながら斜面へ入った。
「この辺?」
「もう少し先です」
途中で足を止める。
低い草の間に、目当ての薬草が生えていた。
エルナはしゃがみ、葉へ触れる。
まだ小さい。
そのまま立ち上がる。
「採らないの?」
「まだ早いです」
少し進む。
今度は大きさは十分だったが、葉の先が茶色く傷んでいた。
これも採らない。
ルークが横から覗く。
「それも駄目?」
「売るには状態が悪いです」
「結構見るんだな」
「薬なので」
さらに斜面を進むと、ようやく状態のいい株があった。
エルナは必要なところだけを切り取る。根は残す。
隣の株は採らない。
少し離れた場所へ移って、また状態を見る。
何度か繰り返しているうちに、ルークが言った。
「見つけたら全部採るわけじゃないんだな」
「全部採ったら、次がなくなります」
「確かに」
「売れないものまで取っても意味がないですし」
「それもそうか」
ルークはしゃがまず、少し離れた場所からエルナの手元を見ていた。
エルナは次の株へ手を伸ばしかけて、止めた。
少ない。
顔を上げる。
以前来た時は、もう少し広く生えていた。
斜面を横へ移動する。
岩際を見る。
そこにも数株しかない。
エルナは指先で土へ触れた。
「……乾いてる」
「いつもは違う?」
ルークが近くまで来る。
「もう少し湿ってます」
「雨が少なかったから?」
「それもあると思います」
エルナは周囲を見る。
この場所は、直接強い日が当たりにくい。岩の間から染み出した水が土へ残りやすく、乾いた時期でも比較的薬草が育つ場所だった。
「でも、ここはもう少し残る場所です」
「水が減ってる?」
「わかりません」
湧き水の流れが細くなっていたことを思い出す。
同じ理由なのか。
ただ雨が少ないだけなのか。
今は判断できない。
エルナは籠の中を見る。
予定していた量には届いていなかった。
「今日はこれだけにします」
「足りる?」
「町へ持っていく分なら、家にあるものと合わせれば」
「ならいいか」
「これ以上採る方がよくないです」
ルークは乾いた土を一度見てから、頷いた。
「わかった」
*
帰り道。
籠を持ち直したところで、ルークが手を出した。
「それ、持つ」
「軽いですよ」
「だから持てる」
エルナはルークの脚を見る。
「痛くないですか」
「今のところは」
歩き方にも大きな乱れはない。
杖もまだ手にしている。
エルナは籠を差し出した。
「じゃあ、お願いします」
「ああ」
ルークはそのまま受け取った。
少し前までなら、何を言われても渡さなかった。
今は、その必要がない。
エルナは空いた手で枝を避けながら歩く。
少し前を行くルークが、道の窪みを避けた。
そのまま振り返る。
「ここ、滑る」
「知ってます」
「知ってたか」
「いつも通ってるので」
「それもそうだな」
エルナは窪みを避けて横を通った。
*
小屋へ戻ると、ルークは籠を机へ置いた。
エルナは水を出し、その間に少し休ませる。
しばらくしてから傷と足首を確認した。
「どう?」
「腫れてません」
「痛みもない」
「歩いてる時も?」
「ああ」
エルナは手を離した。
「なら、今日くらいなら大丈夫そうですね」
ルークも自分の脚を見る。
「これなら、明日町まで下りても大丈夫そうだな」
前に町まで下りた時は、途中で脚が重くなった。
帰りの上りではさらに時間がかかり、翌朝にも疲れが残っていた。
今日は違う。
杖を使う場面も減り、採った薬草の籠まで持って歩いている。
エルナは少し考える。
「今日の夜まで悪くならなければ、明日でもいいと思います」
「じゃあ、明日にする」
「治療院も寄ってください」
「ああ。街へ戻る前に、もう一度診てもらう」
今度はエルナが言う前に続いた。
「それならいいです」
机の上の籠を見る。
今日採った分と、乾かしてある薬草を合わせれば、町へ持っていける。
「私も行きます」
「薬草?」
「はい。それと、ギルドも見たいので」
「じゃあ一緒に下りるか」
「そうですね」
明日。
ルークは町まで下りる。
そこで脚を診てもらい、問題がなければ、その次は普段暮らしている街へ戻る。
今度は、小屋へ戻ってくるために山を下りるわけではない。
エルナは籠から薬草を取り出した。
売るものと、まだ乾かすものを分けていく。
夕方までに、町へ持っていく薬草をまとめた。
向かいでは、ルークも自分の荷物を確認している。
着替え。
小物を入れた袋。
剣と短剣。
一度、小屋を出るつもりでまとめた荷物だった。
あの日は、それを持ったまま戻ってきた。
明日は、たぶん違う。
エルナは最後の一束を布で包み、籠へ収めた。
明日は、町へ下りる。




