第54話 寝る場所
それから、三日が過ぎた。
ルークの傷は、目に見えてよくなっていた。
太腿の傷口はほとんど塞がり、布を替えるたびに血が滲むこともない。足首にはまだわずかな腫れが残っているものの、小屋の中を歩くくらいなら杖を使わなくてもよくなった。
朝。
エルナはいつものように傷を確認してから、新しい布を巻いた。
「痛みは?」
「ほとんどない。強く曲げると少し」
「足首は?」
「歩く分には平気」
触れてみても、熱はない。
数日前、町まで往復した翌朝は、脚が重いと言っていた。
それから三日。
近い水場までなら問題なく歩けるようになり、小屋の中では食事が終われば器も自分で運ぶ。
水桶や薪の束のような重いものは、まだ持たせていない。それ以外については、エルナが止めることもずいぶん減った。
「今日は、どれくらい歩いていい?」
布を結び終えると、ルークが聞いた。
「近くを歩くくらいなら。長く歩かなければ大丈夫だと思います」
「わかった」
「山道では、まだ杖を使ってください」
「はい」
返事が早い。
エルナは使い終えた布をまとめた。
「もう言われる前にわかってますね」
「毎日聞いてるからな」
「なら、忘れないでください」
「忘れないよ」
ルークは自分の左脚を一度見てから、立ち上がった。
*
昼前。
エルナは小屋の裏で、乾かしていた布を取り込んでいた。
空は晴れている。雨の気配はない。
ここ数日、暑さは変わらなかった。朝夕でも涼しいと言えるほどにはならず、日が高くなれば山の中でもじっとりと汗ばむ。
最後の一枚を籠へ入れ、振り返る。
少し離れたところで、ルークが屈んでいた。
「何してるんですか」
「枝」
足元に落ちている細い枯れ枝を拾い、片手に何本かまとめている。
「薪ならありますよ」
「知ってる。これなら火をつける時に使えるだろ?」
「使えますけど」
「じゃあ持って帰る」
立ち上がる。
以前のように、片脚を庇って大きく身体が傾くことはなかった。それでも、左脚へ体重を乗せた時だけ、歩幅が少し狭くなる。
エルナはそこを見る。
「痛いですか」
「いや。まだ癖になってるだけだと思う」
「無理に普通に歩かなくていいですよ」
「わかってる」
ルークは拾った枝を片手に、小屋の方へ歩いていった。
エルナも籠を持って後を追う。
扉の前に置いてある杖は、今日はまだ使われていなかった。
*
昼食を終えたあと。
ルークは椅子へ座り、左脚を軽く伸ばしていた。朝から動いた分を休ませているらしい。
エルナは机の向かいで、町へ持っていく薬草の数を確認する。
あと何束か増えれば、まとめて売りに行ける。
「エルナ」
「はい」
「この調子なら、あと何日かで戻れそうだな」
数を数えていた指が止まった。
顔を上げる。
「街にですか」
「ああ」
ルークが左脚を見る。
「町まで下りて、その日何ともなければ一晩休む。次の日に街まで戻ればいい」
ルークの拠点にしている街までは、町から歩いて一日ほどかかると聞いた。
前に町まで下りた時には、そこから先を一日歩くのはまだ無理だと治療院で言われた。
けれど、今の脚なら。
あと何日かすれば、それもできるようになるのだろう。
「町に着いたら、治療院でもう一度診てもらってください」
「そのつもり」
「山を下りてから痛みが出るかもしれません」
「ああ」
「腫れたりしたら、その日は泊まってください」
「そうする」
今度は素直に返ってきた。
エルナは手元の薬草へ視線を戻す。
「帰れそうで、よかったですね」
少し間があった。
「ああ」
それだけだった。
エルナはまた数を数え始める。
一束。
二束。
三束。
「エルナは、その頃町に行く予定ある?」
向かいから聞かれた。
「薬草がまとまれば」
「じゃあ、同じ日になったら一緒に下りる?」
「いいですよ」
「その方が助かる」
「何がですか」
「一人だと、休むの後回しにしそうだから」
エルナは顔を上げた。
「自分で休んでください」
「ああ。だから、今のうちに練習してる」
ルークが少し笑う。
エルナは薬草を一束、横へ移した。
いつ町へ行くかは、まだ決めていない。
ルークが戻る日も。
*
夕方になると、エルナは夕食の支度をした。
ルークも立っていられる時間が長くなり、今日は机の向かいで野菜を切った。
エルナが鍋を用意している間に、ルークの手元では次々と野菜が切り分けられていく。
「これも入れる?」
「はい」
差し出されたものを受け取り、鍋へ入れる。
二人で作ることにも、もう特別な手順はいらなかった。
食事を終え、器を片づける頃には外も暗くなっていた。
エルナは棚から毛布を取り出す。
いつものように床へ広げようとしたところで、声がした。
「それ、今日から俺が使う」
エルナは振り返った。
「何をですか」
「床」
「駄目です」
「まだ?」
「まだ治ってません」
「でも、もう寝台じゃなくても平気だと思う」
ルークはそう言って、自分の脚を軽く叩いた。
「小屋の中なら普通に歩ける。立つのも座るのも問題ない」
「床から起きる時は?」
「できる」
エルナはしばらくルークを見る。
「試しました?」
「まだ」
「じゃあ、わからないでしょう」
「今やる」
ルークが毛布の横へ腰を下ろした。
そのまま床へ座り、左脚を少し前へ出す。
片手を床につき、右脚へ体重を乗せて立ち上がった。
動きに危なっかしさはない。
「どう?」
エルナは左脚を見る。
「痛くないですか」
「ない」
「足首は?」
「平気」
少し考える。
傷は塞がっている。
今日一日動いても、痛みは増えていない。足首も悪化していない。
床で寝たからといって、すぐ傷が開く状態ではなかった。
「……痛くなったら、夜でも言ってください」
「言う」
「朝、起きにくかったら無理に立たないでください」
「ああ」
「呼んでください」
「わかった」
それなら、止める理由はもうなかった。
「それに、ずっとエルナが床だっただろ」
「私は平気です」
「知ってる。でも、もう怪我人だからって寝台借りるほどじゃない」
エルナは毛布を見る。
それから寝台を見た。
自分がここへ住み始めてから、ずっと使っていた場所。
ルークを運び込んだ夜から、そこには彼が寝ていた。
「わかりました」
毛布を床へ置く。
「じゃあ、今日から」
「ああ」
*
明かりを落とす。
久しぶりに寝台へ横になると、身体が少し沈んだ。
柔らかい。
床で寝ていた時より、肩も背中も楽だった。
エルナは毛布を胸元まで引き上げた。
少し離れた床から、布の擦れる音がする。
「大丈夫ですか」
「まだ寝て一分も経ってない」
「そうですね」
「大丈夫」
それならいい。
エルナは目を閉じる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
しばらくすると、小屋の中が静かになった。
寝台へ戻っただけだった。
以前と同じ場所で眠るだけ。
けれど、床から聞こえる呼吸の位置は、昨日までとは違っていた。
エルナは一度だけ目を開けた。
暗くて、何も見えない。
そのまま、もう一度目を閉じた。




