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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第4章 隣にいる人
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第53話 水場まで


 翌朝。


 昨日の帰り道は、行きよりも時間がかかった。途中で二度休み、小屋へ着いた頃にはルークの歩調もかなり落ちていた。それでも、夜になって腫れや痛みが強くなることはなかった。


 エルナは今朝も、いつもより少し念入りに脚を確認した。


 太腿の布を外す。傷の周囲に新しい赤みはない。熱も持っていない。足首も昨日より腫れている様子はなかった。


「痛みは?」


「昨日の夜よりはまし」


「歩いた時は?」


「少し重かったけど、痛みが強くなった感じはないな」


 足首へ触れ、ゆっくり動かしてもらう。ルークの顔色も悪くない。


「大丈夫そうですね」


「よかった」


「だからといって、今日は昨日と同じだけ歩いていいわけではありません」


「まだ何も言ってない」


「言う前に言いました」


 ルークが少し笑った。


「今日は?」


「町には行きません」


「それは助かる」


 昨日は平気そうにしていたが、やはり疲れていたらしい。


 エルナは新しい布を巻き、立ち上がった。水差しを持ち上げる。


 軽い。残りはあまりなかった。


「水を汲んできます」


「近いところだよな」


「はい。十分くらいです」


「それなら、俺も行っていい?」


 エルナは少し考えた。


 昨日、町の治療院では短い距離なら歩いてもいいと言われた。今朝の状態も悪くない。


「途中で痛くなったら戻ります」


「ああ」


「水は持たせません」


「まだ言ってないだろ」


「言いそうだったので」


「……言おうとはした」


 エルナは空の桶を手に取った。


「杖を持ってください」


「はい」


     *


 二人で外へ出る支度をする。


 ルークは剣と短剣を身につけ、杖代わりの枝を手に取った。


 エルナは空の桶を持ち、小屋を出る。


 朝はまだ早い。それでも、空気はすでに冷たいとは言えなかった。


 水場までは、斜面を下って十分ほど。エルナが毎日歩いている道だった。


 いつもより少しゆっくり進む。


「ここも、毎日?」


 後ろからルークが聞いた。


「水が必要なので」


「雨の日も?」


「必要なら」


「大変だな」


「近いですよ」


「桶持って上るんだろ?」


「慣れました」


「慣れるものか」


「慣れます」


 木の根を避けて進む。少し先に、表面の滑らかな石があった。


「そこ、滑ります」


「ああ」


「右からの方が歩きやすいです」


 ルークは言われた通りに避けた。


 さらに下る。


 昨日の町への道よりも細く、人が何人も通った跡もほとんどない。


「この道、あんまり使われてないんだな」


「水を汲みに来るくらいしか使わない道ですから」


「そっか」


 枝が地面へ当たる音が、一定の間隔で後ろから聞こえてくる。


 少しして、水の流れる音がした。


「ここです」


 斜面を下りきる。


 岩の隙間から、細い水が流れていた。


 ルークが覗き込む。


「湧き水?」


「はい」


 エルナはしゃがみ、いつものように手を入れた。


 冷たい。温度は変わっていない。


 空の桶を流れの下へ置く。水が底へ当たり、小さな音を立てた。


 少しずつ水位が上がっていく。


 エルナはそのまま見ていた。


 やはり遅い。


「……やっぱり」


「何?」


「少ないです」


「水が?」


「はい」


 ルークも岩の隙間へ目を向ける。


「前はもっと出てた?」


「ここに住み始めた頃は、もう少し」


 いつもなら、今頃はもう少し水が溜まっている。


「少し前にも、細くなった気がしたんです。でも、その時はよくわからなくて」


「今日はわかる?」


「はい。前より少ないです」


 岩の表面を見る。以前なら水に濡れていたあたりが、今は乾いていた。


「昔は、今より水が多かったらしいです」


「誰かに聞いた?」


「小屋を貸してくれた人に。完全に枯れたことはないって」


「そっか」


 ルークはしばらく水の流れを見ていた。


「雨が少ないせいかもしれないしな」


「そうかもしれません」


 エルナも桶へ視線を戻した。


 まだ半分を少し越えたところだった。


 以前より、待つ時間が長い。


 エルナは近くの岩へ腰を下ろした。ルークも少し離れたところへ座る。


 水の落ちる音だけが続いた。


 その音を聞いているうちに、エルナは昨日のことを思い出した。


「昨日言っていた街に」


「うん?」


「孤児院もあるんですか」


 ルークが少しだけ目を瞬いた。


「ああ。あるよ」


「前に話してたところ?」


「そう。俺がいたところ」


「今もあるんですね」


「ある。たまに顔も出す」


 エルナは桶へ視線を戻した。


 水は、まだ少しずつ増えている。


 いつものところまで溜まるのを待って、エルナは立ち上がった。


「持つ?」


 予想通り、ルークが言った。


「持ちません」


「まだ何もしてない」


「帰りは上りです」


「軽くなら?」


「自分だけ運んでください」


 ルークが自分の脚を見る。


「それは頑張る」


「お願いします」


 エルナは桶を持ち上げた。


 いつもと同じくらいの量。ただ、そこまで溜まるのに前より時間がかかった。


     *


 帰り道は上りになる。


 ルークの歩調に合わせながら、エルナは先を進んだ。


 行きに教えた石が見えてくる。


 声を掛けようとして、やめた。


 ルークは何も言われる前に右へ寄り、その石を避けた。そのまま枝をつき、斜面を上る。


 エルナも前を向いた。


 少しして、小屋の屋根が木々の間から見えた。


「あと少しです」


「ああ」


 返事に余裕はある。それでも、扉へ着く頃には歩調が少し落ちていた。


 中へ入り、ルークを先に椅子へ座らせる。


「脚は?」


「少し重い」


「痛みは?」


「ない」


「じゃあ、休んでください」


「ああ」


 今度は何も言い返さなかった。


     *


 朝食を食べたあと、ルークはしばらく寝台で休んだ。


 エルナはその間に汲んできた水を移し、洗い物を済ませる。乾かしていた薬草も確認した。


 昼が近づく頃、寝台から衣擦れの音がした。


 ルークが身体を起こし、床へ置いていた自分の荷物を引き寄せる。


「もう平気ですか」


「だいぶ」


 荷物の中から布と小さな容器を取り出し、剣を膝の上へ置いた。


「手入れですか」


「ああ。返してもらったし、一度ちゃんと見ておこうと思って」


 鞘から抜き、刃の状態を確かめる。布を滑らせ、今度は鞘へ手を移した。


 剣帯の革も指でなぞる。擦れているところを見て、金具が緩んでいないか確かめる。短剣も同じように取り出した。


 急いでいる様子はない。何度もやってきた作業なのだろう。


 エルナも薬草を束ねる作業へ戻った。


 しばらく、小屋の中にはそれぞれの手元から生まれる音だけがあった。


 乾いた葉が擦れる音。布が革の上を滑る音。時々、金具が触れ合う小さな音。


「こういうの、よくやるんですか」


 エルナが聞いた。


「使った日は一通り。あとは時間がある時に」


「面倒じゃないですか」


「壊れてからの方が面倒だからな」


「それはそうですね」


「エルナも道具、結構見てるだろ」


「必要なので」


「同じだよ」


 エルナは束ねた薬草を一つ、横へ置いた。


 昨日、返した武器をルークが腰へ戻すところを見た。今日はその同じ剣を、膝の上で確かめている。


 刃を見る。


 革を拭く。


 緩んだところがないかを確かめる。


 戦っている姿ではない。


 それでも、これもルークにとっては普段のことなのだろう。


「終わった?」


 ルークが聞いた。


 エルナは自分の手元を見る。


「まだです」


「見てたから」


「少しだけです」


「そう?」


「はい」


 エルナは次の薬草へ手を伸ばした。


 向かいで、剣が鞘へ収まる音がした。


     *


 少し遅めの昼食を作る頃には、ルークもすっかり休めたらしい。


 エルナが火を起こそうとして、壁際の薪を見る。細い枝が少なくなっていた。


 しゃがもうとすると、ルークが先に気づいた。


「それ、俺やる」


 エルナは細い枝を何本か取り、ルークのそばへ置いた。


「じゃあ、このくらいの長さに折ってください」


 一本だけ折って見せる。


「これくらい?」


「はい」


「わかった」


 ルークは一本を手に取った。


 エルナは火の準備へ戻る。後ろで乾いた音がする。


 一度。もう一度。


 少しして、


「これ、どこ置く?」


「壁際の籠に」


「これ?」


「それです」


「ああ」


 それで済んだ。


     *


 夕方。


 昼過ぎに少し眠ったルークは、寝台の上で身体を起こしていた。


「脚は?」


「朝より軽い」


「ならよかったです」


 エルナは明日使う籠を確かめた。


 採取用のナイフ。布。紐。


 必要なものを順に入れていく。


「明日は薬草を見に行きます」


「朝?」


「はい」


「今日の水場より遠い?」


「少し。小屋からそう遠くはないです」


 ルークは少し考えた。


「じゃあ俺はやめとく」


「そうしてください」


「その間に、残ってる枝やっとく」


「まだあります」


「見た」


「無理しないなら」


「座ってやる」


「なら、お願いします」


「ああ」


 エルナは籠をいつもの場所へ置いた。


 壁際には、使いやすい長さに揃えられた枝が増えている。


 明日の支度を終え、エルナは明かりを落とした。




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