第51話 家のまわり
朝、傷を確認すると、太腿の赤みは昨日より薄くなっていた。新しい出血もない。足首の腫れも、まだ残ってはいるものの、最初の頃と比べればずいぶん引いている。
エルナが布を巻き直し終えると、ルークが自分の左脚を見た。
「今日は、町へ行くのか?」
「行きません。今日は家の周りを見ます」
「昨日の返事か」
「はい」
エルナは使った布を片づけた。
「家の周りって、何を見るんだ?」
「壁とか、屋根の下とか。壊れてるところがないか見ます。気になるところがあれば、その時に」
「それなら、俺も行けるか?」
エルナはルークの脚を見る。
昨日は扉の前まで出た。長く座っていたせいで途中から脚が重くなったものの、傷が悪くなることはなかった。
「少しだけなら」
「じゃあ、行ってみたい」
返事はすぐだった。
ルークは寝台の端へ座り、右脚を床につけた。左足もゆっくり下ろし、床へ触れたところで一度止まる。
ほんの少しだけ力をかけたらしい。
「……まだ、こっちは無理だな」
「痛みます?」
「少し。前よりはましだけど、支えには使わない方がよさそうだ」
そう判断すると、すぐに左脚から力を抜いた。
ルークが室内を見回す。
「何か、杖代わりになるものあるか?」
「探してきます」
エルナは外へ出た。
薪にするため集めていた枝の中から、太さと長さの合いそうなものを探す。一つ目は細い。二つ目は曲がりすぎている。三つ目を地面へ立ててみると、ちょうどよさそうだった。
小屋へ戻り、ルークへ渡す。
「どうですか」
「たぶん大丈夫」
ルークは枝を床へつき、持つ位置を少し変えた。長さを確かめてから、先端へゆっくり力をかける。
滑らないことを確かめると、右脚と枝を使って立ち上がった。
左脚はほとんど使わない。
エルナは反対側へ立った。
「必要なら肩を使ってください」
「ああ」
それだけ確認して、扉を開けた。
昨日は、扉の前に置いた椅子までだった。
今日は、そこを越える。
枝の先が地面へつく。右脚を出し、左足は身体を動かす時にほんの少し地面へ触れるだけ。エルナは隣を歩いた。
急がず、小屋の横へ回る。
歩いた距離は短い。それでも、数日間ほとんど寝台の上で過ごしていたルークにとっては、昨日までよりずっと遠かった。
エルナはまず、軒下を見上げた。
板が浮いているところはない。屋根の端にも、昨日までなかった歪みは見えない。
そのまま壁沿いに歩き、継ぎ直した板へ手を当てる。ぐらつきはなかった。
「毎回そこまで見るのか?」
「毎回じゃないです」
エルナは今度は足元を見る。
「気づいた時だけです」
「じゃあ、今日は一通り?」
「そんな感じです」
壁際を少し進んだところで、エルナは足を止めた。
浅い溝の端に、屋根から落ちたらしい枯れ葉と土が少し溜まっている。
「あ」
「何かあった?」
「これです」
エルナはしゃがみ込み、近くに落ちていた細い枝を拾った。枯れ葉を外へかき出していく。
大した量ではない。
「それも見るのか」
「今見つけたので」
「詰まるとまずい?」
「雨が降った時に、水が壁の近くに残ると傷むので」
「それで詰まる前に取るんだな」
「詰まってからだと面倒です」
「なるほど」
エルナはもう少し先まで溝を見る。そちらには何も溜まっていなかった。
最後の枯れ葉を外へ出し、立ち上がる。
「終わりです」
「もう?」
「今日はこれだけなので」
ルークは一度、小屋の周りを見た。それから、自分の右脚へ目を落とし、枝を持ち直す。
「……戻る」
「はい」
返事をすると、ルークがこちらを見る。
「悪い。肩、借りる」
「どうぞ」
エルナは一歩近づいた。
ルークの左腕が肩へ回る。
最初に山から連れて帰った時とは違う。今は右脚と枝で自分の身体のほとんどを支えているため、エルナへ預けられる重さはずっと少なかった。
一歩進む。枝の先を置く。それから右脚を出す。
地面が少し傾いている場所では、一度止まってから次に枝を置く位置を決める。足元の悪いところへ無理に踏み込むこともない。
そういう動きは、前にも見ていた。
まだ椅子までしか移れなかった頃も、ルークは使える右脚と腕で自分の身体を支え、余計な力を使わずに動いていた。
昨日、初めて聞いた。
十六くらいから、傭兵をしていた時期がある。
その話を知ってから見ると、以前より少しだけ腑に落ちるものがあった。
エルナはルークの歩調に合わせた。
小屋へ戻ると、ルークは寝台へ腰を下ろし、小さく息を吐いた。
「思ったより疲れるな」
「昨日より動いたので」
「あれだけで?」
「数日前は、寝台から出るだけでも疲れてたでしょう」
「そう考えたら、進んではいるか」
「はい」
エルナは左脚を確認した。布に血は滲んでいない。足首も、急に腫れが強くなった様子はなかった。
「悪くはなってなさそうです」
「ならよかった」
ルークが身体を横たえる。
エルナは使った枝を拾い、薪を置いている方へ向かいかけた。
足が止まる。
少し戻り、枝を扉の横へ立てかけた。倒れないことだけ確かめる。
「それ、薪にしないのか?」
寝台から声がした。
「また使うでしょう」
ルークが枝を見る。
「ああ」
*
午後になると、ルークは眠った。
エルナは食料の残りを確認し、洗った布を畳んだ。乾かしていた薬草も状態を見ながら棚へ戻していく。
その中から、次に町へ下りる時に売ってもいいものをいくつか分け、布の上へ置いた。
急いで行く必要はない。それでも、持っていくものくらいは先にまとめておける。
薬草を包んでいる途中で、寝台から衣擦れの音がした。
「……寝てた?」
「寝てました」
ルークが身体を起こし、窓の外を見る。
「どれくらい」
「結構」
「結構か」
まだ少し眠そうだった。
エルナは薬草を包む作業へ戻る。
「それ、売るやつ?」
「はい。次に町へ行く時に」
ルークの視線が布包みから扉の方へ移る。
立てかけてある枝を見て、それから自分の左脚へ目を落とした。
「俺は、まだ町までは無理そうだな」
「今日、家の裏までで疲れてました」
「やっぱりそう見える?」
「はい」
「町までは、私でも一時間かからないくらいです」
ルークは自分の左脚を見る。
「……それは、まだ無理だな」
「もう少しですね」
「もう少し、で済む?」
「それはわかりません」
ルークは少し考えて、自分の左脚を見る。
「そっか」
そのまま寝台へ背を預けた。
エルナは包んだ薬草の端を折る。
少しして、また声がした。
「俺が町まで行けるようになったら、その時一緒に報告するか?」
エルナは手を止めた。
魔獣のこと。
その少し前に見た、獣の足跡のこと。
自分にも、ギルドへ伝えておいた方がいいことがある。
「はい。そのつもりです」
「わかった」
それだけ確認すると、ルークはまた身体を横たえた。
エルナも薬草へ視線を戻す。
布の端を結び、棚の脇へ置いた。
*
夕方には、いつも通り食事を作った。
鍋へ野菜を入れる。干した肉を少し。水を足し、火へ掛ける。
煮えるのを待つ間、ルークは昼間より少し静かだった。具合が悪いわけではない。傷も変わっていない。ただ、今日はいつもより身体を動かしたぶん、疲れが出ているのだろう。
食べ終える頃には、一度小さく欠伸をした。
「眠いんですか」
「ちょっと」
「今日は動いたので」
「家の裏まで行っただけなのにな」
「昨日は扉の前まででした」
「明日も、今日くらい動けるといいんだけどな」
「傷が悪くなってなければ」
「じゃあ、朝次第か」
「はい」
ルークは残っていたものを食べた。
エルナも自分の器へ視線を戻す。
食事を終えると、器を重ねて立ち上がった。
扉の横に立てかけた枝を避けて、食器を片づけに向かった。




