第49話 馴染み始める
昼が近づいた頃、ルークが寝台から身体を起こした。
「椅子に座っていいか?」
「少しなら」
エルナは肩を貸し、ルークを椅子へ移した。左脚を低い箱の上へ乗せ、無理に体重がかからないことを確かめる。
「痛くなったら戻ってください」
「ああ」
返事は早かった。
エルナは棚から根菜をいくつか取り出した。傷みかけているものから使う。昼と夕食の分をまとめて机へ置いていると、向かいから声がした。
「それ、俺がやろうか」
エルナは顔を上げる。
「何をですか」
「皮剥くくらいなら、座ったままでできる」
ルークが根菜を指す。
立つ必要はない。脚も動かさなくていい。少し考えてから、エルナは調理用のナイフを取った。
そこで一度だけ手が止まる。
刃を見て、それからルークを見る。ルークは何も言わず、手を出して待っていた。
エルナはナイフの柄を向けた。
「お願いします」
「ああ」
ルークが受け取った。
思っていたより、ずっと手慣れていた。皮を薄く剥き、形の悪いところだけを落として、食べられる部分はほとんど残す。
エルナは昼に使うものを選びながら、何度かその手元を見た。
「上手ですね」
「これくらいはできる」
「どこで覚えたんですか」
「孤児院」
エルナの手が少し止まった。
「孤児院?」
「ああ。人数多かったし、でかくなったやつから手伝う」
「料理も?」
「やった」
皮を剥き終えた根菜を一つ、机の端へ置く。
「洗濯も掃除も。年下の面倒も見た」
「子どもの?」
「自分も子どもだったけどな」
ルークが少し笑う。
「小さいのは飯こぼすし、転ぶし、熱出すし。放っとけないだろ」
「……だから、いろいろ慣れてるんですね」
「何が?」
「怪我とか。家のこととか」
「まあ、それもあるかもな」
ルークは次の根菜へ手を伸ばし、エルナも作業へ戻った。
孤児院。
今まで知らなかったことが、一つ増えた。
「これ、全部剥く?」
「はい。夕食の分も」
「じゃあ切るのは?」
「昼に使う分だけお願いします」
「ああ」
ルークは剥き終えた根菜の中から、エルナが分けたものだけを手元へ寄せた。残りは夕食用に、あとで布へ包んでおけばいい。
「切るところまでやるぞ」
「脚は?」
「座ってるだけなら平気」
エルナは少し考えた。
「痛くなったらやめてください」
「わかった」
条件はつけた。でも、ナイフは取り上げなかった。
切り方も、普通に上手かった。大きさを揃え、火の通りにくいものは少し小さく、柔らかいものは大きめにする。
エルナは鍋へ水を入れながら、その手元を見た。
「ここまで慣れてるとは思いませんでした」
「どのくらいだと思ってた?」
「切って、煮るくらいかと」
「それ、だいぶ最低限だな」
「最低限です」
ルークが少し笑う。
「……思ってたより厳しい」
エルナは鍋を火へ掛け、切り終わった野菜を受け取って順番に入れていく。
「味つけは?」
ルークが聞いた。
「いつも通りです」
「何味?」
「……いつもの味です」
「それだとわからないな」
エルナは少し考えた。
「塩と、香草です」
「なるほど」
ルークが鍋を見る。
「他に何かある?」
「油と、干した香草なら」
「使っていい?」
「何にですか」
「味つけ」
エルナがルークを見る。
「変なもの入れないなら」
「入れないよ。……たぶん」
「たぶん?」
「いや、普通に入れない」
エルナはしばらくルークを見る。
「なら、どうぞ」
ルークが笑った。
エルナは棚から香草と小さな器を出し、机へ置く。火のそばへはルークを動かせないので、味を見るのはエルナだった。
ルークが分量を言い、エルナが入れる。
「もう少し」
「これくらい?」
「少し少ない」
足してから、もう一度味を見る。
いつものものとは少し違う。香草の香りが強く、油が入った分だけ口当たりもまろやかだった。
「……おいしいです」
「ならよかった」
もう一度味を見る。
「私が作るより、おいしいです」
ルークが一度黙った。
「そこまで言わなくていいだろ」
「本当なので」
「いや、普段のも普通にうまい」
「普通に」
「悪い意味じゃない」
「わかってます」
エルナの口元が少し緩み、ルークも笑った。
昼食を食べ終える頃には、昼に作った分はほとんどなくなっていた。夕食用の根菜は、皮を剥いた状態で布に包んである。
エルナは空になった器を見る。
「またお願いします」
何気なく言うと、ルークが顔を上げた。
「料理?」
「はい」
「ああ。動けるようになれば、もう少しちゃんとできる」
「今でも十分です」
「座って口出してただけだけどな」
「切ってました」
「そこはちゃんと数えてくれるんだな」
「助かったので」
ルークは少しだけ笑った。
「じゃあ、またやる」
「お願いします」
それで話は終わった。
エルナは器を重ねて立ち上がる。
「それもやる」
「何をですか」
「片づけ」
「座ったままでは無理です」
「じゃあ拭く」
エルナは手の中の器を見る。
洗う。拭く。それなら、座ったままでもできる。
「わかりました」
布を一枚渡す。
エルナが洗った器を机へ置き、ルークが拭く。水の音と、布が器を擦る音が続いた。
最後の器を拭き終えると、ルークがそれをエルナへ差し出した。
「これ、上の段だっけ」
「はい」
エルナは受け取り、棚へ戻す。
次の器も渡される。
「これは、その隣?」
「そうです」
「杯は右だったよな」
エルナは少しだけルークを見る。
「覚えてたんですか」
「何回か見てるからな」
言われて、エルナは杯を棚へ戻した。
最初は何一つ知らなかったこの家の中で、ルークが少しずつ物の場所を覚えている。
エルナは洗い終えた布を絞った。
*
片づけを終えると、ルークはまた寝台へ戻った。エルナが肩を貸し、左脚へ負担をかけないように移動する。
「疲れました?」
「少し」
「なら寝ててください」
「そうする」
ルークが横になる。
エルナは夕食用の根菜を棚の涼しい場所へ置き、それから水差しを確認した。残りが少ない。
空の桶を持つ。
「水、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
返事を聞いて、エルナは小屋を出た。
湧き水までは、いつもの道だった。斜面を下り、岩の隙間から流れる水の前でしゃがむ。
手を入れる。
冷たい。
桶を置こうとして、少しだけ止まった。
水の流れが、いつもよりわずかに細い気がする。
エルナはしばらく見ていたが、一日二日で判断できるほどの違いでもない。雨の量でも変わるだろう。
桶へ水を汲み、満たしすぎないところで止める。持ち上げた途端、腕へ重さがかかった。
「……重い」
いつものことだった。
小屋まで戻り、扉の前へ立ったところで、中から小さな音がした。
布が擦れる音。何かが机へ置かれる音。
ルークだ。
エルナはそのまま扉を開けた。
「ただいま」
「おかえり」
寝台から声が返る。
ルークは身体を起こし、午前中に使った布を畳んでいた。エルナは水桶を下ろす。
「それ、何してるんですか」
「置いてあったから畳んでる」
「寝ててくださいって言いましたよね」
「寝た」
「どれくらい」
「……結構」
「曖昧ですね」
「そこまで確認する?」
「します」
ルークが少し笑った。
「じゃあ、ちゃんと休んだ。これでいい?」
エルナはしばらく見る。顔色は悪くない。脚を動かした様子もなかった。
「ならいいです」
「よかった」
ルークは畳んでいた布へ視線を戻した。
エルナは桶の水を移し替えた。背後で、また布の擦れる音がする。
もう、その音が誰の立てているものなのか、確かめる必要はなかった。
*
夕方。
エルナは昼に下ごしらえしておいた根菜を取り出した。ルークが寝台から見る。
「今度は手伝わなくていい?」
「昼にやったので、今日はいいです」
「じゃあ、次は?」
「必要ならお願いします」
「わかった」
ルークは素直に引いた。
エルナは鍋を火へ掛ける。昼とは違う、いつもの味。けれど、香草を取る手が一度止まった。
昼に入れた量を思い出し、ほんの少しだけ増やしてみる。
鍋が煮えるまでの間に机を拭き、棚へ手を伸ばした。
器を一つ、もう一つ。杯も二つ。
食卓へ並べ終えてから、エルナの手が止まる。
前は、二人分必要だと考えてから出していた。
今日は、考えなかった。
「どうした?」
ルークが聞く。
エルナは並んだ器を見る。
「……何でもないです」
「そう?」
「はい」
エルナは鍋へ視線を戻した。




