第48話 少し見える
朝食を終えたあと、ルークは自分から寝台へ戻った。
昨日より動けるようにはなっている。それでも、まだ長く座ってはいられないらしい。
エルナが肩を貸すと、ルークは左脚へ体重をかけないようにしながら数歩を移動した。寝台へ腰を下ろし、小さく息を吐く。
「やっぱり、まだだな」
「まだですね」
「そこは否定してくれてもいいだろ」
「事実なので」
「そうだった」
ルークは素直に横になった。
エルナは食器を片づける。
壁際へ目を向けると、薪がずいぶん減っていた。
数日分はある。けれど、今のうちに拾っておいた方がいい。
*
昼前。
エルナは紐を取り、外へ出る支度をした。
「薪か?」
寝台からルークが聞く。
「はい」
ルークが自分の左脚を見る。
「今は手伝えないな」
「怪我してるので」
「知ってる」
少し不満そうに言って、ルークは寝台へ身体を戻した。
エルナは外套を羽織り、腕輪を確かめる。
「気をつけて」
「はい」
エルナは籠と紐を持ち、小屋を出た。
林縁には、乾いた枝がいくつも落ちていた。
太いものは避ける。湿っているものもいらない。持ち帰ってすぐ使えるものだけを選んで拾う。
少し離れたところに、低い木へ引っかかった枝があった。
手を伸ばして引く。
思ったより強く絡んでいた。
「……」
もう一度引く。
枝が外れた。
その勢いで、細い先端が頬を掠める。
「っ」
一瞬だけ痛んだ。
エルナは頬へ触れる。
指に血はついていない。
それならいい。
枝を束へ加える。
予定していた量まで集めてから紐でまとめる。持ち上げてみて、少し考えた。
一本抜く。
もう一度持つ。
これなら大丈夫そうだった。
小屋へ戻ると、ルークは寝台にいた。
「ただいま」
「おかえり」
エルナは薪を壁際へ置いた。
「結構拾ってきたな」
「必要な分だけです」
「重くなかった?」
「少し」
エルナは紐を解きながら続けた。
「一本減らしました」
「一本?」
「持ってみたら、少し重かったので」
ルークが少し笑った。
エルナは枝を太さごとに寄せていく。
その途中で、声がした。
「頬、どうした」
エルナは顔を上げる。
「頬?」
ルークが自分の頬を指で示した。
エルナも同じ場所へ触れる。
少し痛い。
「ああ。枝が掠りました」
「切れてる?」
「たぶん少しだけです」
「朝はなかっただろ」
エルナの手が止まった。
ルークを見る。
「……覚えてたんですか」
「何を?」
「朝の顔」
今度はルークが少しだけ眉を寄せた。
「そりゃ、顔合わせてたからな」
当たり前のように言う。
エルナはしばらく何も言わなかった。
「どうした?」
「……いえ」
頬から手を離す。
「少し洗ってきます」
「ああ」
ルークはそれ以上何も聞かなかった。
頬を水で洗ったあと、エルナは腕輪へ触れた。
魔石には、まだ十分な力が残っている。艶もある。
力が尽きかけているわけではない。
壊れてもいない。
それでもルークは、朝の自分の顔を覚えていた。
傷がなかったことを、今の顔と見比べて気づけるくらいには。
エルナは腕輪を見つめた。
似たことは、以前にもあった。
サラやノエルと何度も顔を合わせるようになった頃にも、少しずつ細かなことが相手に残るようになった。
腕輪は、姿を見えなくするものではない。
意識を逸らし、細部を残りにくくするだけだ。
毎日、同じ家にいる。
朝も、昼も、夜も。
顔を合わせて、話をする。
ルークは、目にしたことをよく覚えている。窓の隙間も、薬草のことも、エルナが何をしていたかも。
それなら、顔の細かな違いが残るようになっても不思議ではなかった。
このまま一緒にいれば、もっと覚えられるようになるかもしれない。
瞳の色。
目元。
表情。
今までは曖昧になっていたものが、少しずつ残っていく。
エルナは寝台を見る。
ルークは横になったまま、窓の外を見ていた。
「エルナ?」
「何ですか」
「頬、大丈夫だった?」
「少し赤いだけです」
「ならよかった」
それだけだった。
エルナは腕輪から手を離した。
*
昼食のあと、ルークはしばらく眠っていた。
エルナはその間に食器を洗い、拾ってきた薪を使いやすい長さに揃えた。
窓から入る風はぬるい。
日差しも強い。
外へ出た時よりはいくらかましだったが、それでも涼しいとは言えなかった。
しばらくして寝台から衣擦れの音がして、ルークが身体を起こした。
「寝てましたね」
「寝てたな」
「よく寝ますね」
「怪我人だから」
朝に自分で言っていたことを、そのまま返された。
エルナは薪を一本置く。
「便利ですね、怪我人」
「今しか使えないからな」
少し笑っている。
エルナも作業へ戻った。
しばらくして、ルークが窓の外を見ながら聞いた。
「町まで、歩いてどれくらいだ?」
「私なら、一時間はかからないくらいです」
「山道込みで?」
「はい」
ルークは自分の脚を見る。
「今の俺だと、だいぶかかりそうだな」
「今は行けませんよ」
「今行くとは言ってない」
「ならいいです」
「治ったら、ギルドに話しに行かないとな」
魔獣のことだろう。
ルークを見つける少し前から、山では獣を見たという報告が増えていた。
エルナ自身も、普段より多い足跡を見ている。
肌にまとわりつくような妙な魔力を感じた場所もあった。
「私も行きます」
言ってから、エルナは少しだけ止まった。
ルークがこちらを見る。
「一緒に?」
「私も報告した方がいいことがあるので」
「何か見たのか?」
「獣の足跡が増えてました。ギルドでも、最近は目撃が多いって聞きました」
「やっぱりか」
ルークの表情が少しだけ変わった。
考える時の顔だった。
「俺が会った二頭だけじゃなさそうだな」
「たぶん。でも、関係があるかはわかりません」
「ああ。決めつけるには早いな」
ルークは一度頷き、それ以上は続けなかった。
「そういえば」
少しして、ルークが言った。
「エルナも、あの町のギルド使ってるんだよな」
「はい」
「何級?」
「四級です」
ルークが一度瞬いた。
「四級か」
「何ですか」
「いや。どういう仕事してるのか気になってた」
「採取が多いです」
「薬草?」
「それ以外もあります。素材を集めたり、山道を確認したり」
「採取の仕事が好きなのか?」
エルナは少し考える。
「仕事なら、採取が好きです」
「一人でできるから?」
エルナはルークを見る。
「……それもあります」
「他には?」
「静かなので」
「森とか山、好きなのか?」
「嫌いではないです」
「じゃあ、静かなところが好き?」
エルナは手元の薪を見る。
ロザリーの森。
旅の途中で見た森。
今住んでいる山。
同じではない。
でも、人の声がずっと聞こえる場所よりは落ち着く。
「……そうですね。静かなところは好きです」
「そっか」
ルークはそれだけ言った。
どうして静かな場所が好きなのかまでは聞かない。
エルナも説明しなかった。
秘密にしていることは、何一つ話していない。
魔女だということも。
ロザリーのことも。
前世のことも。
それでも、普段どんな仕事をしているのか。
何を好んで選ぶのか。
どんな場所が好きなのか。
そんなことまで、気づけば話していた。
*
夕方になっても、特別なことは起きなかった。
夕食を作る。
二人で食べる。
ルークが使った器を、エルナが自分のものと一緒に片づける。
小屋の中には、いつものように二人分の音があった。
昼前、自分の顔の細かな違いを覚えられていると知った。
それなのに、エルナはそのあとも同じように話していた。
自分がどんな仕事をしているのか。
静かなところが好きなことまで。
そのことに気づいて、エルナは少しだけ手を止める。
けれど、すぐに残った食器を洗った。
*
夜。
明かりを落とす前に、エルナはもう一度腕輪を見た。
石の力は十分に残っている。
効きが弱くなっているのは、腕輪の不調ではない。
長く近くにいるから。
何度も顔を合わせているから。
このまま同じように過ごせば、さらに細かなところまで残るようになるかもしれない。
もっと隠そうと思えば、方法はある。
小屋の中でも、今より顔を見せないようにすればいい。
エルナは寝台を見る。
ルークはすでに横になっていた。
今日、頬の傷に気づかれた。
朝にはなかったことまで、覚えられていた。
それでも。
明日から、何かを変えようとは思わなかった。
午後には、自分の仕事の話をした。
静かなところが好きだと話した。
エルナは腕輪へ触れていた指を離した。
「おやすみ」
寝台から声がした。
「おやすみなさい」
明かりを消す。
暗くなった小屋の中で、エルナは床へ毛布を広げた。
いつもと同じ場所だった。




