第45話 面倒な怪我人
翌朝。
目を覚ましたエルナは、床の上でゆっくり身体を起こした。
「……痛い」
背中が固い。肩も少し重かった。
二晩続けて床で眠ったのだから、仕方がない。
腕を伸ばしながら寝台を見ると、ルークはもう目を覚ましていた。
「おはよう」
「……おはようございます」
昨日より顔色はいい。
熱っぽさもない。
エルナは立ち上がり、いつものように傷を確認した。太腿の布を外す。出血はなく、傷の周囲も大きく腫れてはいない。
足首の腫れも、ほんの少しだけ引いているように見えた。
「昨日よりは楽ですか」
「ああ。だいぶ、とは言わないけど。少しはましだ」
ルークは自分の左脚を見る。
「まだ左脚には体重をかけないでください」
「わかってる」
返事は素直だった。
エルナは布を巻き直す。
すると、ルークが続けた。
「右脚は使っていいんだろ?」
エルナの手が止まった。
「……何をするつもりですか」
「まだ何も」
「まだ」
「座ってるだけだと、身体が固まる」
それは昨日からエルナも感じていた。
自分は床で寝ていただけなのに、朝には背中が痛い。一日中寝台にいるルークなら、なおさらだろう。
「寝台の端に座るくらいなら」
「立つのは?」
「必要なときだけにしてください」
ルークは少し考えて、自分の左脚を見た。
「わかった」
「悪くしたら、もっと面倒なので」
「ああ。それは困る」
そこで話は終わった。
*
朝食の支度をしている間、背後で布が擦れる音がした。
振り返る。
ルークが自分で上半身を起こしていた。
昨日まではエルナが背中へ毛布を入れていたが、今日は腕を使ってゆっくり身体を起こしている。
寝台の端へ座る。
右脚を床につける。左脚は浮かせたまま。
そこまでは問題なさそうだった。
エルナは鍋へ視線を戻す。
少しして、また物音がした。
振り返る。
今度はルークが寝台の柱へ手を置いている。
「何してるんですか」
「立ってみようかと」
「一人では立たないでください」
「右脚だけなら――」
「転んだら余計に面倒です」
ルークは一度、自分の脚を見た。
「……わかった」
すぐに手を離す。
完全に納得した顔ではない。
けれど、無理に続けようともせず、そのまま寝台の端へ座っている。
エルナは朝食の支度へ戻った。
少ししてから振り返る。
ルークはまだ座っていた。
「気分悪くないですか」
「大丈夫」
「傷は?」
「動かしてないから平気だ」
それならいい。
エルナはそれ以上何も言わなかった。
*
朝食を終える。
エルナが器を受け取ろうとすると、ルークは自分で寝台横の台へ置いた。
「置いておいてください」
「これくらいはできる」
「落とさないでください」
「落とさない」
エルナは器を持ち上げ、洗い物をするための桶のそばへ運んだ。
ルークはそれ以上何もせず、また身体を横たえた。
*
午前中、エルナはいつもの仕事をした。
水を確かめる。
洗った布を干す。
乾燥させている薬草を見る。
薪の残りを確かめ、今日使う分を小屋の中へ運ぶ。
食料の残りも確認する。
一人で暮らしていたときから、毎日やっていたことだった。
ただ、昨日から少しずつ量が増えている。
洗う布が増えた。
減る水が早くなった。
食事も二人分。
その様子を、ルークは寝台から見ていた。
しばらくして声がした。
「エルナ」
「はい」
「何か、座ったままでできることないか?」
エルナは手を止めた。
「休んでください」
「それは昨日からやってる」
「まだ足りません」
「でも、ずっと寝てる必要はないんだろ?」
さっき自分で決めた。
寝台の端に座るくらいならいい、と。
エルナは少し考える。
「動かなくていいものなら」
「それでいい」
窓際から、乾燥を終えた薬草を一籠持ってきた。
採ったときには状態のよかったものでも、乾かす途中で色が変わったり、使えなくなったりするものがある。それを除き、残ったものを一定量ずつまとめる作業が残っていた。
「色の変わっているものは、こっちへ除けてください。残ったものは、このくらいずつまとめてもらえますか」
エルナは見本になる束を一つ作った。
ルークが手元を見る。
「悪いのを除いて、残りはこれくらいずつ?」
「はい」
「わかった」
説明は一度で済んだ。
エルナは籠を寝台の横へ置き、自分の作業へ戻る。
少しして見れば、ルークは黙って薬草を選り分けていた。
速いわけではない。
特別器用というほどでもない。
ただ、見本どおりにきちんと揃えている。
エルナはそのまま別の仕事を続けた。
*
昼前。
外へ干していた布を取り込んで戻ると、ルークが寝台にいなかった。
エルナの足が止まる。
「……何してるんですか」
ルークは椅子に座っていた。
寝台からほんの一、二歩。
右脚と腕だけを使って移ったらしい。
左脚には体重をかけていない。
「座ってる」
「それは見ればわかります」
「寝台だと背中が痛くて」
エルナはルークの左脚を見る。
床へ下がっている。
「脚、上げてください」
「ん?」
「そのまま下げてると、腫れやすくなるので」
近くにあった低い箱を動かし、その上へ布を重ねる。
「ここに」
ルークは素直に左脚を乗せた。
「楽だな」
「だったら最初から呼んでください」
「これくらいなら一人でできた」
「できても、傷が開いたら意味ないです」
ルークが黙る。
エルナは続けた。
「途中でふらついて転んだら、もっと面倒になります」
「……それは困るな」
「私が」
「そっちか」
「はい」
ルークが息を吐く。
笑っている。
「わかった。次から呼ぶ」
「本当に?」
「次から呼ぶって」
「……ならいいです」
エルナは寝台へ戻れとは言わなかった。
顔色は悪くない。
左脚も上げている。
しばらく椅子に座るくらいなら、問題はなさそうだった。
「そのままならいいです」
「許可が出た」
「立つときは呼んでください」
「ああ」
今度は、素直な返事だった。
*
しばらく椅子に座ったあと、ルークの顔に疲れが見え始めた。
エルナが何か言う前に、ルークがこちらを見る。
「エルナ」
「はい」
「戻るから、ちょっと頼む」
エルナは立ち上がった。
ルークの腕を自分の肩へ回す。
「左脚には体重をかけないでください」
「わかってる」
ゆっくり立つ。
左脚は浮かせたまま。
それでも、身体の軸は大きくぶれなかった。
エルナへ体重を預けながらも、使える右脚と腕で自分の身体を支えている。
ほんの数歩。
それだけなのに、動きには無駄が少なかった。
最初に傷を処置した時に見た、古い傷跡を思い出す。
魔獣を二頭倒したことも。
戦う人なのだ。
剣を振るときだけではなく、自分の身体をどう動かすかも知っている。
それでも、寝台へ戻ったときにはルークが小さく息を吐いた。
「……まだだな」
「だから言ったんです」
「座るくらいなら平気だっただろ」
「戻るのに手伝いが必要でした」
「それは認める」
ルークは素直に横になった。
エルナは左脚の位置を整え、傷に新しい血が滲んでいないことも確かめた。
大丈夫そうだった。
*
午後。
ルークはまた寝台の端へ身体を起こした。
今度は勝手にどこかへ移ろうとはしなかった。
「さっきの、もう少しやっていいか?」
薬草の籠を示している。
エルナは傷の様子を見る。
変化はない。
「それなら」
籠を渡す。
「終わったら呼んでください」
「ああ」
今度は言われた通り、そこから動かなかった。
ルークが薬草を選り分けている間に、エルナは別の束を整える。
洗った布を畳む。
薬を作るための道具を片づける。
いつもと同じ仕事。
けれど、いつもより少し早く終わった。
エルナは空になった籠を見る。
ルークが分けた薬草も、見本どおりに揃っている。
一人でやれば、もう少しかかったはずだった。
「終わった」
「はい」
「間違ってないか?」
エルナは確認する。
「大丈夫です」
「ならよかった」
ルークは籠を脇へ置き、そのまま寝台へ身体を横たえた。
*
夕方になっても、傷は悪くならなかった。
熱もない。
エルナは布を交換しながら言った。
「今日くらいなら、明日もやっていいです」
「薬草?」
「はい」
「条件つきか」
「傷が悪くならなければ」
「当然だな」
ルークはそう答えた。
できることが、ほんの少し増えた。
それでも、できないことの方がずっと多い。
水は汲めない。
薪も運べない。
一人では、まだ寝台から離れない方がいい。
怪我人が一人いるだけで、することは増えた。
言うことも増えた。
面倒だった。
かなり。
けれど、今日は一人で全部やるより、薬草の片づけが少し早く終わった。
怪我人が一人増えて、増えた仕事はたくさんある。
それでも、自分でやることが一つだけ、少し減った。




