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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第4章 隣にいる人
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第43話 ルーク


 男はエルナを見て、それからゆっくり視線を動かした。


 寝台。窓。棚。扉。


 最後に、自分の左脚へ目を落とす。布を巻かれた太腿と、固定された足首をしばらく見ていた。


「……ここ、どこ?」


「私の家です」


 男がエルナを見る。


「家」


「はい」


 昨日も同じことを答えた気がする。けれど、今度はちゃんと意味が通じているらしい。


 男は片手を額へ当てた。


「俺、どれくらい寝てた?」


「昨日の昼前に見つけました。今は朝です」


「……一晩か」


 小さく息を吐く。


 身体を起こそうとしたので、エルナはすぐに近づいた。


「起きなくていいです」


「いや、さすがにずっと寝たままも――」


 上半身を少し持ち上げたところで、男の顔が歪んだ。


 エルナは無言で見る。


 男も止まった。


「……やめとく」


「そうしてください」


 素直に寝台へ戻る。


 男は天井を見たまま少し呼吸を整え、それからエルナへ顔を向けた。


「昨日、助けてくれたんだよな」


「はい」


「ありがとう。あのままだったら、たぶんまずかった」


 大げさな言い方ではなかった。ただ事実を確認するように言って、それからもう一度、


「助かった」


 と続けた。


「……どういたしまして」


 エルナはそう返した。


 男の視線が、扉のそばへ向いた。


 剣と短剣が置いてある。昨夜も見ていた。


「剣と短剣は、そこに置いてあります」


「ああ」


「勝手に外しました」


「そのままでいい」


 エルナは少しだけ目を瞬いた。


「返さなくていいんですか」


「今返されても使えないし」


 男は自分の脚を見る。


「それに、知らない男を家に入れたんだろ。武器くらい離しておくのが普通だ」


 責める様子はなかった。本当に、それが当然だと思っているらしい。


「……そうですか」


「その方が、そっちも安心だろ」


 エルナは答えなかった。


 実際には、ナイフを枕元へ置いて床で寝た。それでも安心できたかと聞かれれば、そうでもない。


 けれど、それを説明する必要もなかった。


 男は少し間を置いてから言った。


「そういえば、名前もまだだった」


 エルナを見る。


「俺はルーク」


 短い名前だった。


「エルナです」


「エルナ」


 一度だけ、確かめるように繰り返す。


「よろしく。……って言う状況でもないか」


「たぶん」


 ルークが少しだけ口元を緩めた。


 笑ったというほどではない。それでも、眠っているときとは顔の印象が変わった。


 エルナはその顔を見る。


 やはり似ている。


 直人に。


 輪郭も、鼻筋も。ふとした角度なら、息が一瞬詰まるほどに。


 けれど、話していると違った。


 声が違う。話し方が違う。言葉を返すまでの間も、人を見るときの目も。


 昨日は、目を閉じていたから似て見えたのかもしれない。


 そう思った。


 けれど、それも少し違う。


 顔は、やはり似ている。


 ただ、この人は違う。


 ルーク。


 知らない名前を持った、知らない人だった。


「傷を見ます」


 エルナが言うと、ルークは頷いた。


「頼む」


 掛け布をずらし、太腿に巻いた布を外していく。


 新しい出血はない。傷はまだ赤いが、昨日より悪くなっている様子もなかった。


 エルナは傷の周囲へ手を当て、熱の持ち方を確かめる。


「痛みますか」


「触られたら、まあ」


「触らなくても?」


「じっとしてれば、そこまで」


 足首も見る。腫れは残っている。


「町で診てもらった方がいいと思います」


「俺もそう思う」


 あっさり返ってきた。


 エルナはルークを見る。


「でも、この足じゃ今日は無理だな」


「歩けませんか」


「右なら使える。左はまだ体重かけたくない」


 ルークは足首を見ながら言った。


「太腿も、動けばまた開きそうだ」


 自分の状態を確かめるような口調だった。


 昨日までの動きや、腕に残る古い傷を見ても、怪我そのものには慣れているのだろう。


「無理に町へ行く方が悪くしそうだな」


「私もそう思います」


「じゃあ、今日は動かない」


 決めるのが早かった。


 ルークは、自分が動けないことを妙な意地を張らずに認めた。魔獣を二頭倒した人間なら、もっと無茶をするかと思っていた。


 それは少し意外だった。


 布を巻き直しながら、エルナは昨日見たものを思い出した。


「魔獣が二頭、倒れていました」


 ルークの目が少し細くなる。


「二頭とも?」


「はい」


「……ならよかった」


「あなたが倒したんですか」


「たぶん、俺以外いなかっただろ」


「いませんでした」


「じゃあ俺だな」


 あまり誇るような言い方ではない。


「最初の一頭に脚をやられた。もう一頭を片づけて、そこから離れようとしたところで足場が崩れた」


「それで落ちたんですか」


「たぶん」


 ルークが眉を寄せる。


「途中から、あんまり覚えてない」


「斜面の土が大きく崩れていました」


「あそこ、前からあんなに崩れやすかったかな」


「知ってる場所だったんですか」


「何度か通ったことはある」


 ルークは首を傾げた。


 昨日、自分が妙な魔力を感じた場所とは方向が違う。山の土が崩れること自体、珍しいことでもない。


 今は、それ以上考えてもわからなかった。


 傷の確認を終え、エルナは布を片づけた。


 立ち上がろうとしたとき、ルークの視線を感じる。


 振り返った。


「何ですか」


「いや」


 ルークは一度目を逸らし、それからエルナの頭を見た。


「それ、暑くない?」


 エルナは頭に巻いた布へ触れる。


「暑いです」


「だよな」


 ルークはそれきり口を閉じ、窓の方へ視線を移した。


 理由を聞かれると思った。


 どうして家の中でまで頭を隠しているのか。


 エルナは少しだけ眉を寄せた。


 聞くなら聞けばいいのに、と一瞬思う。


 聞かれたところで、答えるつもりはないけれど。


 エルナは腕輪へ視線を落とした。


 石には、まだ十分に力が残っている。


 けれど、それと、長く近くにいる相手にどこまで効くかは別だった。


 同じ家の中で、何日も顔を合わせることになったら。


 どうなるのだろう。


 何日いることになるのかは、まだわからない。


 エルナは考えるのをやめた。


 朝食の支度へ戻った。


 いつもより柔らかく煮る。


 ルークが食べられるかわからなかったので、量は多くしなかった。


 鍋から器へ移す。


「食べられそうですか」


「腹は減ってる」


「起きられます?」


「そこまでは」


 ルークは肘をついて身体を起こそうとした。


 今度は途中で止めず、ゆっくり動く。


 エルナは背中へ丸めた毛布を入れた。


「ありがとう」


 器を渡す。


 ルークは自分で持った。昨夜より手には力が戻っている。


 一口食べる。


「……うまい」


「普通です」


「普通にうまい」


 エルナは自分の器を持った。


「なら、よかったです」


 ルークがこちらを見る。


 何か言いたそうだったが、言わなかった。


 二人で食べる。


 昨日の夜は、一人で食べているのに一人ではないような感じがした。


 今日は違う。


 向かい合っているわけではない。ルークは寝台の上。エルナは椅子。


 それでも、同じ鍋からよそったものを、同じ時間に食べている。


 昨日までは、名前すら知らなかった。


 今は、一つだけ知っている。


 ルーク。


     *


 食事を終え、ルークが器を脇へ置いたところで、エルナはルークの左脚へ目を向けた。


 傷の周りだけ、服が大きく切れている。


 昨日、処置をするために自分で切ったものだった。


「着替え、ありますか」


「ん?」


「服。傷を見るために切ったので」


 ルークも自分の脚を見る。


「ああ。鞄に入ってる」


 エルナは扉のそばに置いてある荷物を取り、ルークへ渡した。


 中から替えの服を出す。


「着替えられます?」


「たぶん」


「左脚はあまり動かさないでください」


「わかった」


 ルークは寝台の上で身体を少しずつ動かした。


 右脚は問題ない。けれど、固定された左足を服へ通すところで動きが止まる。


 エルナは手を出した。


「そこだけやります」


「悪い」


 傷へ響かないよう左脚を支え、布をゆっくり通す。


 そこから先は、ルークが自分でできた。


 切れた服は畳み、荷物の脇へ置く。


「これでいいです」


「助かった」


「また傷が開いたら、着替えた意味がないので動かないでください」


「はい」


 返事だけは素直だった。


     *


 少しして、ルークが口を開いた。


「エルナ」


「はい」


「悪いんだけど、しばらくここに置いてもらえる?」


 エルナはルークを見た。


「この足じゃ、町まではまだ無理そうだ」


 ルークが続ける。


「動けるようになったら出る。もちろん、その前に町まで行けそうなら行く」


 エルナは黙って考えた。


 水が増える。


 食料も増える。


 寝台は使われる。


 自分は床で寝ることになる。


 腕輪を外せない。


 髪も隠す。


 家の中に、知らない人間の音がある。


 面倒だった。


 かなり。


 けれど、昨日山から連れてきておいて、歩けない人間を今追い出すという選択肢もなかった。


「治るまではいていいです」


 ルークが顔を上げる。


「ただ」


 エルナは続けた。


「治ったら出ていってください」


 ルークは一度だけ瞬いた。


「もちろん」


 返事はすぐだった。


「治るまで、世話になる」


「はい」


「動けるようになったら、できることはやる。水とか、薪とか」


「今は無理です」


「今すぐやるとは言ってない」


「ならいいです」


 ルークがわずかに笑う。


 今度は、朝より少しはっきりと。


「とりあえず、寝てる」


「そうしてください」


「わかった」


 ルークは素直に身体を横たえた。


 エルナは食器を持って立ち上がる。


 昨日の朝まで、この家にいる人間は自分一人だった。


 昨日、知らない男を連れてきた。


 そして今日、その男の名前を知った。


 ルーク。


 怪我が治るまで。


 それまでの間だけ。


 この家には、二人いる。




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