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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第3章 森の外で
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第39話 留まる場所


 四級になってからも、エルナは旅を続けた。


 護衛をすることもあれば、薬草を採ることもある。荷を運び、薬を売り、ときどき魔石を手放した。


 魔獣に遭うことも、以前よりは増えた。それでも、討伐を好んで選ぶようにはならなかった。


 戦わずに終えられるなら、その方がいい。必要なら動く。必要がなければ使わない。


 それは、魔法でも同じだった。


 町を移ることにも慣れた。水場を探すこと。宿の鍵を確かめること。食料の値段を見ること。人の多い道と、避けた方がいい道を見分けること。


 長くいれば、顔を覚える人が増える。そうなれば、また次へ行った。


 そんな暮らしを続け、十八歳になる頃には、冒険者登録をしてから六年近くが経っていた。


 森を出たとき、身体をすっぽり覆っていたロザリーの外套は、もう普通に羽織れる大きさになっていた。


     *


 その町へ着いたのは、特に理由があったからではない。


 街道から少し外れた、山裾の小さな町だった。


 大きな市場はない。冒険者ギルドも、今まで見た中では小さい方だった。掲示板には、山で採れる薬草や木の実、獣の素材を扱う依頼が多い。


 エルナはしばらく滞在するつもりで宿を取った。


 翌朝、いつものようにギルドの掲示板を見る。


 採取。荷運び。近くの村への配達。


 その中に、一枚だけ少し変わった依頼があった。


「山小屋の確認?」


 受付で聞く。


「昔、山仕事に使ってた小屋があるんです」


 受付の男が答えた。


「何年も使ってなくて。持ち主が、まだ使える状態か見てきてほしいって」


「何を見るんですか」


「屋根と壁。扉が開くか。そこまでの道がまだ通れるか。無理に修理する必要はありません」


「危険は?」


「魔獣の目撃は最近ありません。ただ、山なんで獣はいます」


 エルナはもう一度依頼票を見る。


 小屋の近くには、薬草の採れる場所もあるらしい。


「これにします」


     *


 町を出て、山道を上った。


 雪はない。


 高い場所まで来ても、暑さは残っている。それでも木陰は多く、町の中より風が通った。


 道は細いが、完全に消えてはいない。


 途中、岩の間から水が流れ出ている場所を見つけた。


 エルナは足を止める。


 手を入れる。


 冷たい。


 量は多くない。細い流れが絶えず岩を濡らしているだけだ。


 しばらく見て、水の出方を確かめる。


「……一人なら」


 暮らせる。


 何人も住むには少ない。畑を広く作るほどの水もない。それでも、飲み水と簡単な生活に使う分なら足りそうだった。


 依頼票に記された小屋の位置から見ても、遠くはなさそうだ。


 エルナは場所を覚えて、先へ進んだ。


     *


 小屋は、山道から少し外れた場所にあった。


 木々の間に、低い屋根が見える。


 近づく。


 小さい。


 一人で暮らすなら十分だが、何人も住める広さではない。


 屋根の端が一部落ちている。扉は歪み、押しただけでは開かなかった。


 エルナは肩を当てて、少しずつ動かす。


 軋んだ音がした。


 中は暗かった。


 埃。


 古い木の匂い。


 壁際には棚があり、奥には簡単な寝台が残っている。窓の留め具は壊れていた。扉の錠も、錆びついて使えそうにない。


 天井にも、小さな隙間がある。


 エルナは中を一周した。


 柱を見る。


 壁を押す。


 床も確かめる。


 雨が入った跡はあるが、全部が腐っているわけではない。


「……直せる」


 思わず口にした。


 それから、自分の言葉に驚いた。


     *


 小屋の周囲も見て回った。


 人家は見えない。


 町までは歩いて一時間弱ほど。荷物が多くなければ、半日あれば十分往復できる。


 近すぎない。


 遠すぎない。


 さっきの水場までは、斜面を十分ほど下ればいい。


 水を汲んで戻るには少し面倒だろう。


 山の斜面には、見覚えのある薬草も生えていた。


 ただ、楽な場所でもない。


 雨が降れば山道はぬかるむだろう。水を汲むにも斜面を上り下りしなければならない。重い荷物を持って町と往復する日は、きっと面倒だ。


 それでも、条件は悪くなかった。


 エルナは小屋の前に立った。


 風が通る。


 葉が揺れる。


 遠くで鳥が鳴く。


 人の声はしない。


 静かだった。


 ロザリーの家より、ずっと町が近い。


 必要なら人に会える。仕事もできる。


 町では、今まで通り腕輪をつけ、髪を隠せばいい。


 長く暮らせば、顔を覚える人は増えるだろう。腕輪が絶対ではないことも、もう知っている。


 それでも、仕事や買い物のために町へ下りることと、何日も同じ人と行動することは違う。


 誰かが自分へ強く目を向けるようになったら、そのときまた考えればいい。


 ここまで戻れば、腕輪もフードも外せる。


 人と関わる時間と、隠さなくていい時間を、自分で分けられる。


 エルナはしばらく、その場に立っていた。


     *


 町へ戻り、依頼の報告をした。


 小屋の持ち主は、町の外れで道具屋をしている老人だった。


「まだ立ってたか」


「立ってます」


「屋根、落ちてなかったか?」


「端だけです。壁と柱は大丈夫だと思います」


「そうか」


 老人は少し安心したようだった。


「昔は兄貴と山仕事に使ってたんだがな。もう誰も行かなくなって」


 エルナは少し迷った。


「あの小屋」


「うん?」


「借りられますか」


 老人が瞬きをした。


「住むのか?」


「直せば」


「……あそこを?」


「はい」


 老人はしばらくエルナを見たあと、笑った。


「変わった娘だな」


「よく言われます」


「誰に」


「今のは適当に言いました」


「なんだそれ」


 老人は肩を揺らした。


 エルナは、もう一つ確認しておきたかったことを思い出す。


「近くの水場なんですけど」


「岩場の湧き水か?」


「はい。一年中、出ていますか」


「昔よりは細くなったがな」


 老人は少し考えてから続けた。


「俺が知る限り、完全に枯れたことはない」


「そうですか」


 それなら、生活用の水として当てにできそうだった。


 エルナは小さく頷いた。


 話は、思ったより簡単にまとまった。


 最初の数か月は家賃を取らない。その代わり、自分で直せるところは自分で直す。大きな修繕が必要になったら、勝手に壊さず相談する。


 それ以降も、町中の部屋を借りるよりずっと安かった。


「本当にいいんですか」


「放っといて朽ちるよりいい。住んでもらった方が家も傷まん」


「そうなんですね」


「ただし、熊でも住みついてたら自分で追い出せよ」


「それは相談します」


「冒険者なんだろ」


「熊を追い出せるとは限りません」


 老人がまた笑った。


     *


 修理には、思っていたより時間がかかった。


 町で板を買う。


 釘を買う。


 窓の留め具と、新しい錠と、油と、布も買う。


 屋根に使う大きな板だけは、荷車で近くまで運んでもらった。


 あとは、自分でやった。


 屋根の穴を塞ぐ。


 扉の歪みを直す。


 新しい錠をつける。


 窓の留め具を交換する。


 床を掃く。


 壁を拭く。


 古い寝台は一度分解し、使える部分を残して、傷んだ板を取り替えながら組み直した。


 魔法は使わなかった。


 手でできることだった。


 慣れていない作業は、町の職人に聞いた。教えてもらった通りにやって、それでも一度失敗して、やり直した。


 一週間あまりかけて、小屋の中はようやく生活できる形になった。


 最後に、余った板で小さな棚を作った。


 薬や食料を置くためのものだ。


 壁際へ置く。


 一歩下がって見る。


「……曲がった」


 右側が少し低い。


 押してみる。


 ぐらつきはしない。


 物も落ちなさそうだった。


 エルナはしばらく眺めた。


「そのうち、もう少しまっすぐ直そう」


 そう言って、棚の上に薬草の包みを置いた。


     *


 最初の夜。


 食事は簡単なものだった。


 硬いパン。


 干した肉。


 少し煮た野菜。


 食べ終えて、器を洗う。


 新しくつけた錠で扉に鍵を掛ける。


 窓も閉める。


 それから、フードを外した。


 腕輪も外す。


 白銀の髪が肩へ落ちる。


 部屋には、誰もいない。


 見られる心配もない。


 宿でも個室なら同じだった。


 けれど、少し違う。


 明日の朝、鍵を返す必要がない。


 何時までに部屋を空ける必要もない。


 隣の部屋の音もしない。


 エルナは寝台の端に座った。


 静かだった。


 それが、嫌ではなかった。


     *


 眠る前、いつものように荷物を確認した。


 薬。


 食料。


 水。


 冒険者証。


 金。


 外套。


 朝になればすぐ持てるように、旅袋へ戻していく。


 半分ほど入れたところで、手が止まった。


 エルナは旅袋を見る。


 明日は、出発しない。


 明後日も、出る必要はない。


 仕事があれば町へ行く。


 必要なら、何日か旅に出てもいい。


 でも、戻ってくればいい。


 エルナは旅袋から薬の包みを取り出した。


 曲がった棚へ置く。


 食料も戻す。


 外套は扉のそばではなく、壁の掛け具へ。


 最後に、旅袋そのものを部屋の隅へ置いた。


 それから寝台へ入った。


     *


 翌朝。


 目が覚める。


 しばらく天井を見た。


 知らない宿の天井ではない。


 昨日、自分で埃を拭いた板だった。


 エルナは起き上がり、窓を開けた。


 朝の風が入る。


 冷たいわけではない。


 今日も暑くなるだろう。


 それでも、町より少しだけ空気が軽い。


 外を見る。


 人はいない。


 エルナは腕輪をつけなかった。


 フードも被らない。


 そのまま外へ出た。


 朝の光が、白銀の髪に触れる。


 少し歩く。


 小屋を見る。


 継ぎ当てた屋根の端。


 直した扉。


 小さな窓。


 立派ではない。


 それでも、昨日までより馴染んで見えた。


 エルナはしばらく外にいたあと、小屋へ戻った。


 朝食を作る。


 水を汲みに行く。


 それから町へ仕事を見に行ってもいい。


 急ぐ必要はなかった。


 部屋の隅に置いた旅袋へ、手を伸ばすことはなかった。


 エルナは、その朝、荷物をまとめなかった。




第3章、ここまでありがとうございました!


森の外での暮らしにも、少しずつ慣れてきたエルナ。

次章では、そんな日々にちょっとした変化がやってきます。


第4章もお楽しみに!

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