第36話 できること
十五歳になった。
冒険者証から「制限付き」の文字が外れたのは、その少しあとだった。登録した頃は六級だった階級も、今は五級になっている。
薬草採取。配達。荷運び。道の確認。素材の持ち込み。同じ町へしばらく滞在していた頃、そうした仕事を何度も問題なく終えたことで上がったものだった。
特別なことをした覚えはない。受けた仕事を、決められた通りに終わらせただけだ。
それでも、六級の頃より受けられる依頼は増えた。十五歳になって年齢の制限も外れ、掲示板で見られる紙はさらに多くなった。
その中には、今までなら最初から選べなかった仕事もある。
*
エルナは掲示板の前で、一枚の依頼票を見ていた。
商人の護衛。
隣町まで荷車を二台運ぶ。街道を往復し、商人と荷物を守る仕事。討伐依頼ではない。
けれど、説明欄には小さく、
――魔獣出没の報告あり。
と書かれていた。
エルナはしばらくそれを見る。
「受けます?」
横から受付の女に声をかけられた。
「まだ考えてます」
「初めての護衛なら、条件は悪くないですよ。ほかに経験者が二人入ってますから」
「戦うんですか」
「何も出なければ戦いません」
当たり前のように返される。
「出たら?」
「状況次第です。護衛なので、倒すことより荷と依頼人を守る方が優先ですね」
エルナはもう一度、依頼票を見る。
魔獣。
これまでにも、その痕跡を見たことはある。町で話を聞いたこともあった。
魔力を持って生まれる獣もいる。普通の獣だったものが、いつの間にか魔獣になったのではないかと考えられている例もある。けれど、なぜそうなるのかはわかっていない。
最近は以前より見かけるようになった、と話す冒険者もいた。噂なのか、本当に増えているのか。エルナには判断できない。
「戦った経験は?」
受付の女に聞かれた。
「ほとんどありません」
「なら、それは最初に伝えておいてください。戦えるふりをする方が危ないので」
「はい」
「五級なら受けられる依頼ですが、無理をする必要はありません。経験者の指示を聞いて、自分の役割を守ること」
エルナは考えたあと、依頼票を外した。
「これにします」
*
翌朝、町の門の前へ行くと、荷車が二台止まっていた。
商人は三人。護衛は、エルナを含めて三人だった。
一人は剣を持った男。もう一人は弓を背負った男だった。どちらもエルナより年上で、装備にも使い込まれた跡がある。
「五級のエルナです」
名乗ると、剣の男が頷いた。
「戦闘経験は?」
「ほとんどありません」
「そうか」
それだけだった。馬鹿にされることも、驚かれることもない。
「じゃあ、前には出るな。何かあったら荷車から離れすぎないこと。人を逃がす必要があるならそっちを優先しろ」
「はい」
「道を塞がれたら?」
「……荷車を守る?」
「それもある。状況によるな」
男は街道の先を見る。
「全部倒す必要はない。追い払えるならそれでいい」
エルナは頷いた。
商人たちが準備を終え、荷車が動き始める。エルナも歩き出した。
*
街道は広かった。
荷車二台が並べるほどではないが、人や馬が何度も通っている道だ。道の両側には草地が広がり、その先に疎らな林がある。
危険そうには見えない。だからといって、本当に安全なのかはわからない。
エルナは歩きながら周囲を見る。前を歩く剣の男。少し後ろを取る弓の男。自分は二台目の荷車の近く。それぞれが、少しずつ違う場所を見ている。
しばらく何事もなく進んだ。途中で休憩を挟み、また歩く。
昼を過ぎた頃、先頭の男が足を止めた。
「待て」
荷車も止まる。
エルナは周囲を見る。何も見えない。
男が道の端へしゃがんだ。地面に、深い跡がある。
「何ですか」
「足跡」
近づきすぎない位置から見る。獣のものに見えた。
けれど、大きい。
「新しい?」
弓の男が聞く。
「たぶんな」
剣の男は周囲を見回した。
「少し詰めて進む。離れるな」
商人たちの顔が固くなる。
荷車がまた動き出した。
*
出てきたのは、その少しあとだった。
林の向こうで、何かが動く。
低い唸り声。
「止まれ!」
男の声で、荷車が止まった。
草を掻き分けて、一頭の獣が飛び出した。
犬に似ている。けれど、大きさが違った。肩の高さだけでも、エルナの腰近くまである。毛の間から覗く皮膚は硬そうで、口元の牙は普通の獣より長い。
魔獣。
弓の男がすぐに矢をつがえる。
「エルナ、荷車!」
「はい!」
エルナは二台目の荷車へ寄った。商人の一人が馬を押さえている。怯えた馬が身体を揺らす。
魔獣がこちらを見た。
一瞬、視線が合う。
冷やす。
そう考えた。
身体から熱を奪えば、動きを鈍らせられるかもしれない。でも、どこまで奪えば動けなくなるのか。どこから先なら、死ぬのか。
生き物に対して試したことはない。
わからない。
エルナは魔法を使わなかった。
「来るぞ!」
矢が飛ぶ。
魔獣が身を捻った。完全には避けられず、肩へ刺さる。
唸り声が上がった。
剣の男が前へ出る。エルナは荷車と商人の位置を見る。もう一人の商人を二台目の陰へ移す。
「こっちへ」
言われた男が慌てて動いた。
魔獣は剣を避け、一度大きく跳んだ。
こちらへ来る。
エルナはナイフへ手を掛けた。
その前に、二本目の矢が飛んだ。
魔獣の脚へ刺さる。体勢が崩れたところへ、剣が入った。
短い鳴き声。
大きな身体が地面へ倒れる。
それから、動かなくなった。
*
しばらく誰も動かなかった。
「ほかにいるかもしれない」
剣の男が言う。
弓の男が周囲を見る。エルナも林へ目を向けた。
気配はない。それでも、すぐには安心できなかった。
「長居はしない」
男はそう言って、倒れた魔獣を見る。
「取れるところだけ取る」
手早く牙と爪を確認する。
魔獣の身体には、素材として値がつく部分がある。牙。爪。角。骨。種類によっては皮。
魔力を持つ生き物ではあるが、身体の中から魔石が採れるわけではない。
魔石を作れるのは、魔女だけだ。
「皮は?」
商人の一人が聞いた。
「時間がかかる」
剣の男が即答した。
「置いていく。護衛が先だ」
必要な部分だけを短時間で切り取り、袋へ入れる。それ以上は触らなかった。
荷車を確認する。馬も落ち着いている。商人に怪我はない。荷も壊れていない。
「行くぞ」
再び、一行は街道を進み始めた。
エルナは一度だけ、後ろを振り返った。
倒れた魔獣は、そのまま道の脇に残っている。
勝った。
という感じはしなかった。
ただ、通り過ぎただけだ。
*
その日のうちに目的の町へ着いた。
荷物を引き渡し、商人たちは宿へ入る。護衛もそこで一泊した。
翌朝、同じ商人たちと、今度は空になった荷車を連れて帰路についた。
帰りは何も出なかった。足跡もない。林の横を通るときだけ少し緊張したが、それだけだった。
町が見えてきた頃、エルナは前を歩く剣の男へ尋ねた。
「護衛って、戦わずに済む方がいいんですか」
男が振り返る。
「そりゃそうだろ」
「でも、魔獣を倒した方が報酬が増えたりしませんか」
「素材分は多少増えることもある」
男は肩を竦めた。
「でも護衛は討伐じゃない。荷を無事に着かせれば成功だ」
「……はい」
「逆に、十匹倒しても荷物壊されたら失敗」
エルナは考えた。
昨日、魔獣を追いかけなかったこと。皮を剥がずに置いてきたこと。
全部、同じ理由だった。
倒すことが仕事なのではない。
守ることが仕事だった。
「わかりました」
「ならいい」
男はまた前を向いた。
*
ギルドへ戻り、依頼は無事に完了した。
報酬を受け取る。魔獣と遭遇したことも報告した。
場所。数。大きさ。特徴。倒したこと。
受付がそれを書き留めていく。
エルナは冒険者証を受け取り、外套の内側へしまった。
戦った。
というには、自分はほとんど何もしていない。
でも、それでよかったらしい。
*
翌朝。
エルナはいつものように掲示板の前に立った。
護衛の依頼もあった。魔獣の討伐もあった。昨日より、目につく。
けれど、それを取ろうとは思わなかった。
少し離れたところに、薬草採取の依頼が貼られている。知っている薬草だった。
エルナはそれを外した。
できるようになったことと、やらなければならないことは同じではない。
戦う仕事を受けられるようになった。
それでも今日は、薬草を採りに行く。
それでよかった。




