第32話 初めての仕事
ギルドを出たエルナは、手にした依頼票をもう一度開いた。
薬草採取。
指定された場所は町の外れ。門を出て街道を少し進み、途中から脇道へ入る。受付で見せてもらった地図を頭の中に思い浮かべる。
依頼票を折り畳み、外套の内側へしまった。
そこには、さっき受け取ったばかりの冒険者証もある。
森を出てから、道を歩くのは次の場所へ進むためだった。
今日は違う。
仕事をして、またこの町へ戻ってくる。
そのことが、少しだけ不思議だった。
*
町の門を抜ける。
この町へ来たときとは違って、今日は行き先が決まっている。
街道を外れ、受付で教えられた道へ入ると、人の姿はすぐに少なくなった。
それでも森ほど静かではない。遠くには町の壁が見えるし、畑で働く人の姿もある。
制限付きの冒険者でも出られる場所なのだから、危険は少ないのだろう。
エルナは歩きながら、地面や草の様子を見る。
指定された薬草そのものは知っていた。
細長い葉。茎の節。少し苦い匂い。
森では何度も採った。
だから、すぐ見つかると思っていた。
けれど。
「……ない」
思っていた場所にない。
森では、もう少し湿り気のある日陰に生えていた。近くに細い水の流れがある場所や、大きな木の根元。
ここにも似た場所はある。
けれど、見当たらない。
エルナはしゃがみ、土へ触れた。
森の土より乾いている。
周囲に生えている草も違う。
少し考えてから、立ち上がった。
知っている植物でも、どこでも同じように生えるわけではない。
それなら、この土地で生きやすい場所を探せばいい。
日当たり。地面の湿り気。近くに生えている植物。
一つずつ見ながら、少し範囲を変える。
しばらく歩いたところで、岩が重なる場所があった。
午後になれば日が当たりそうだが、今は影になっている。
足元を見る。
「……あった」
小さく声が出た。
一株。
少し離れたところにもある。
近づいて葉を確かめ、指で軽く擦る。
匂いも同じだ。
間違いない。
エルナはその場へしゃがみ込んだ。
*
採り始めてしまえば、手は迷わなかった。
若すぎる株は残す。
傷んだ葉は避ける。
根まで必要のないものは、地中へ残す。
一か所から取りすぎない。
考えなくても、身体が先に動く。
採った薬草は形を整え、用意していた袋へ入れた。
同じ場所だけで集めず、少しずつ移動する。
大きな群生を見つけたところでも、全部には手をつけなかった。
ここを使うのは、自分だけではない。
今日採ったあとにも、誰かが来るかもしれない。次の季節にも、生えていた方がいい。
必要な量を数えながら、状態の悪いものが混ざったときのために少しだけ余分に採る。
それでも取りすぎないよう、そこで手を止めた。
「これくらい」
依頼票に書かれた量と見比べる。
足りているはずだ。
エルナは袋の口を閉じ、立ち上がった。
思っていたより時間はかからなかった。
安心して歩き出す。
その途中だった。
袋を持ち直したとき、下の方が妙に潰れていることに気づいた。
「……あ」
足を止める。
袋を開く。
下に入れた薬草の葉が何枚か折れ、少し潰れている。上から重ねすぎたらしい。
森では籠を使うことが多かった。
採ったものを持って帰るだけなら、それでよかった。
でも今は違う。
これは商品だ。
「……これ、駄目かも」
エルナは潰れたものを取り出した。
食べたり薬に使ったりするだけなら問題ない程度。
けれど、依頼品として認められるかはわからない。
しばらく考え、荷物から布を一枚出す。
残った薬草をいくつかに分けて包み、重ならないよう荷物の上へ置き直した。潰れたものは別にする。
少しだけ余分に採っておいてよかった。
そのとき初めて、採ることと、売ることは同じではないのだと気づいた。
*
帰り道では、途中の木陰で一度休んだ。
水筒から少しだけ水を飲む。
町の外とはいえ、人の気配はまだ近い。
遠くを荷車が通り、畑の方から声が聞こえる。
森にいた頃とは違う。
それでも、さっきまで薬草を探していた時間だけは、少し似ていた。
エルナは水筒の蓋を閉め、立ち上がる。
依頼品を傷めないよう、今度は歩き方にも気をつけた。
*
ギルドへ戻る頃には、日は少し傾いていた。
中へ入ると、朝より人が増えている。
受付へ向かう。
朝と同じ女が、エルナを見ると顔を上げた。
「おかえりなさい。採れました?」
「はい」
エルナは依頼票と薬草を出した。
「確認しますね」
女は薬草を一束ずつ見ていく。
葉の色。茎。傷み。量。
エルナは黙ってそれを見ていた。
自分では間違っていないと思っている。
けれど、仕事として誰かに確認されるのは初めてだった。
「これは大丈夫。これも問題なし」
次々に脇へ置かれていく。
やがて、潰れたものを入れていた包みに女の手が止まった。
「これは少し傷んでますね」
「駄目ですか」
「薬として使えないほどではありません。ただ、依頼品としては数に入れられないです」
「……やっぱり」
女がエルナを見る。
「途中で気づきました?」
「袋に入れすぎました」
「葉ものは重ねすぎると傷みやすいんです。次からは、布で分けるか、浅い入れ物を使うといいですよ」
「はい」
「初回なら、よくあることです」
責めるような口調ではなかった。
エルナは頷く。
「余分に採ったのがあります」
別に包んでいたものを出す。
女が確認する。
「こっちはきれいですね」
不足分と入れ替える。
もう一度量を確認し、女が依頼票へ印を押した。
「はい。これで完了です」
小さな音がした。
紙の上に、濃い印が残る。
エルナはそれを見た。
「……これで終わりですか」
「ええ。納品の確認も済んだので、この依頼は完了です」
「もっと何かあるのかと思ってました」
「最初はそう思う人もいますよ。次からは、依頼を終えたら依頼票と納品物を受付へ。それだけ覚えておけば大丈夫です」
受付の女は、完了印を押した依頼票をエルナへ返した。
エルナはもう一度、完了印を見る。
受けて、やって、持ち帰る。
確認してもらう。
それで終わり。
思っていたより、ずっと単純だった。
*
「では、こちらが報酬です」
硬貨が数枚、受付台の上へ置かれる。
エルナはそれを見た。
朝、掲示板で見た金額と同じ。
多くはない。
宿代。食事。これから買わなければならないもの。
そう考えれば、本当に少ない。
それでも、エルナは一枚ずつ受け取った。
掌の中で硬貨が触れ合う。
「初仕事、お疲れさまでした」
「……ありがとうございます」
「明日も仕事を受けるなら、また掲示板を見てください。毎日同じ依頼があるとは限りませんから」
「はい」
エルナは硬貨を財布へ入れた。
昨日まで、開くたびに減っていた財布。
今日は違う。
少ない。
でも。
増えた。
それだけのことなのに、少しだけ見え方が違った。
*
宿へ戻る頃には、ちょうど夕食の時間だった。
食堂へ入り、壁際の席に座る。
フードはそのまま。
今日も高い料理は頼まない。
温かい野菜のスープと、固めのパン。
少し考えてから、薄い肉が入ったものを選んだ。
昨日より、ほんの少しだけ高い。
料理が運ばれてくる。
エルナは財布から硬貨を出した。
今日、薬草を採って受け取った金。
その中から払う。
手元にはまだ残っている。
温かい湯気が上がる。
スプーンで一口飲む。
「……おいしい」
昨日も似たようなものを食べた。
味が急に変わったわけではない。
でも今日は、今日採った薬草で、自分の夕食を買えた。
それが少しだけ不思議だった。
*
夜。
屋根裏の部屋へ戻ると、エルナは扉の鍵と窓、荷物をいつものように確かめた。
それから、フードを下ろす。
淡い白銀の髪が肩へ落ちた。
床へ座り、今日使ったものを一つずつ片づける。
布。水筒。依頼票。冒険者証。そして、財布。
開いて中を見る。
昨日より減った分もある。
今日増えた分もある。
全部が元に戻ったわけではない。
この仕事だけで暮らしていけるわけでもない。
それでも、一日分だけ、自分で稼いだ。
薬草の見つけ方も。
採り方も。
残し方も。
どれも、今日初めて覚えたことではない。
森にいた頃から知っていた。
エルナは財布を閉じる。
教えてもらったことは、森に置いてきたわけではなかった。
胸の奥が、少しだけ静かになる。
エルナは冒険者証を財布とは別の場所へ戻し、横になった。
天井を見る。
明日は、何をしよう。
そう考えられることが、少しだけ嬉しかった。




