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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第3章 森の外で
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第32話 初めての仕事


 ギルドを出たエルナは、手にした依頼票をもう一度開いた。


 薬草採取。


 指定された場所は町の外れ。門を出て街道を少し進み、途中から脇道へ入る。受付で見せてもらった地図を頭の中に思い浮かべる。


 依頼票を折り畳み、外套の内側へしまった。


 そこには、さっき受け取ったばかりの冒険者証もある。


 森を出てから、道を歩くのは次の場所へ進むためだった。


 今日は違う。


 仕事をして、またこの町へ戻ってくる。


 そのことが、少しだけ不思議だった。


     *


 町の門を抜ける。


 この町へ来たときとは違って、今日は行き先が決まっている。


 街道を外れ、受付で教えられた道へ入ると、人の姿はすぐに少なくなった。


 それでも森ほど静かではない。遠くには町の壁が見えるし、畑で働く人の姿もある。


 制限付きの冒険者でも出られる場所なのだから、危険は少ないのだろう。


 エルナは歩きながら、地面や草の様子を見る。


 指定された薬草そのものは知っていた。


 細長い葉。茎の節。少し苦い匂い。


 森では何度も採った。


 だから、すぐ見つかると思っていた。


 けれど。


「……ない」


 思っていた場所にない。


 森では、もう少し湿り気のある日陰に生えていた。近くに細い水の流れがある場所や、大きな木の根元。


 ここにも似た場所はある。


 けれど、見当たらない。


 エルナはしゃがみ、土へ触れた。


 森の土より乾いている。


 周囲に生えている草も違う。


 少し考えてから、立ち上がった。


 知っている植物でも、どこでも同じように生えるわけではない。


 それなら、この土地で生きやすい場所を探せばいい。


 日当たり。地面の湿り気。近くに生えている植物。


 一つずつ見ながら、少し範囲を変える。


 しばらく歩いたところで、岩が重なる場所があった。


 午後になれば日が当たりそうだが、今は影になっている。


 足元を見る。


「……あった」


 小さく声が出た。


 一株。


 少し離れたところにもある。


 近づいて葉を確かめ、指で軽く擦る。


 匂いも同じだ。


 間違いない。


 エルナはその場へしゃがみ込んだ。


     *


 採り始めてしまえば、手は迷わなかった。


 若すぎる株は残す。


 傷んだ葉は避ける。


 根まで必要のないものは、地中へ残す。


 一か所から取りすぎない。


 考えなくても、身体が先に動く。


 採った薬草は形を整え、用意していた袋へ入れた。


 同じ場所だけで集めず、少しずつ移動する。


 大きな群生を見つけたところでも、全部には手をつけなかった。


 ここを使うのは、自分だけではない。


 今日採ったあとにも、誰かが来るかもしれない。次の季節にも、生えていた方がいい。


 必要な量を数えながら、状態の悪いものが混ざったときのために少しだけ余分に採る。


 それでも取りすぎないよう、そこで手を止めた。


「これくらい」


 依頼票に書かれた量と見比べる。


 足りているはずだ。


 エルナは袋の口を閉じ、立ち上がった。


 思っていたより時間はかからなかった。


 安心して歩き出す。


 その途中だった。


 袋を持ち直したとき、下の方が妙に潰れていることに気づいた。


「……あ」


 足を止める。


 袋を開く。


 下に入れた薬草の葉が何枚か折れ、少し潰れている。上から重ねすぎたらしい。


 森では籠を使うことが多かった。


 採ったものを持って帰るだけなら、それでよかった。


 でも今は違う。


 これは商品だ。


「……これ、駄目かも」


 エルナは潰れたものを取り出した。


 食べたり薬に使ったりするだけなら問題ない程度。


 けれど、依頼品として認められるかはわからない。


 しばらく考え、荷物から布を一枚出す。


 残った薬草をいくつかに分けて包み、重ならないよう荷物の上へ置き直した。潰れたものは別にする。


 少しだけ余分に採っておいてよかった。


 そのとき初めて、採ることと、売ることは同じではないのだと気づいた。


     *


 帰り道では、途中の木陰で一度休んだ。


 水筒から少しだけ水を飲む。


 町の外とはいえ、人の気配はまだ近い。


 遠くを荷車が通り、畑の方から声が聞こえる。


 森にいた頃とは違う。


 それでも、さっきまで薬草を探していた時間だけは、少し似ていた。


 エルナは水筒の蓋を閉め、立ち上がる。


 依頼品を傷めないよう、今度は歩き方にも気をつけた。


     *


 ギルドへ戻る頃には、日は少し傾いていた。


 中へ入ると、朝より人が増えている。


 受付へ向かう。


 朝と同じ女が、エルナを見ると顔を上げた。


「おかえりなさい。採れました?」


「はい」


 エルナは依頼票と薬草を出した。


「確認しますね」


 女は薬草を一束ずつ見ていく。


 葉の色。茎。傷み。量。


 エルナは黙ってそれを見ていた。


 自分では間違っていないと思っている。


 けれど、仕事として誰かに確認されるのは初めてだった。


「これは大丈夫。これも問題なし」


 次々に脇へ置かれていく。


 やがて、潰れたものを入れていた包みに女の手が止まった。


「これは少し傷んでますね」


「駄目ですか」


「薬として使えないほどではありません。ただ、依頼品としては数に入れられないです」


「……やっぱり」


 女がエルナを見る。


「途中で気づきました?」


「袋に入れすぎました」


「葉ものは重ねすぎると傷みやすいんです。次からは、布で分けるか、浅い入れ物を使うといいですよ」


「はい」


「初回なら、よくあることです」


 責めるような口調ではなかった。


 エルナは頷く。


「余分に採ったのがあります」


 別に包んでいたものを出す。


 女が確認する。


「こっちはきれいですね」


 不足分と入れ替える。


 もう一度量を確認し、女が依頼票へ印を押した。


「はい。これで完了です」


 小さな音がした。


 紙の上に、濃い印が残る。


 エルナはそれを見た。


「……これで終わりですか」


「ええ。納品の確認も済んだので、この依頼は完了です」


「もっと何かあるのかと思ってました」


「最初はそう思う人もいますよ。次からは、依頼を終えたら依頼票と納品物を受付へ。それだけ覚えておけば大丈夫です」


 受付の女は、完了印を押した依頼票をエルナへ返した。


 エルナはもう一度、完了印を見る。


 受けて、やって、持ち帰る。


 確認してもらう。


 それで終わり。


 思っていたより、ずっと単純だった。


     *


「では、こちらが報酬です」


 硬貨が数枚、受付台の上へ置かれる。


 エルナはそれを見た。


 朝、掲示板で見た金額と同じ。


 多くはない。


 宿代。食事。これから買わなければならないもの。


 そう考えれば、本当に少ない。


 それでも、エルナは一枚ずつ受け取った。


 掌の中で硬貨が触れ合う。


「初仕事、お疲れさまでした」


「……ありがとうございます」


「明日も仕事を受けるなら、また掲示板を見てください。毎日同じ依頼があるとは限りませんから」


「はい」


 エルナは硬貨を財布へ入れた。


 昨日まで、開くたびに減っていた財布。


 今日は違う。


 少ない。


 でも。


 増えた。


 それだけのことなのに、少しだけ見え方が違った。


     *


 宿へ戻る頃には、ちょうど夕食の時間だった。


 食堂へ入り、壁際の席に座る。


 フードはそのまま。


 今日も高い料理は頼まない。


 温かい野菜のスープと、固めのパン。


 少し考えてから、薄い肉が入ったものを選んだ。


 昨日より、ほんの少しだけ高い。


 料理が運ばれてくる。


 エルナは財布から硬貨を出した。


 今日、薬草を採って受け取った金。


 その中から払う。


 手元にはまだ残っている。


 温かい湯気が上がる。


 スプーンで一口飲む。


「……おいしい」


 昨日も似たようなものを食べた。


 味が急に変わったわけではない。


 でも今日は、今日採った薬草で、自分の夕食を買えた。


 それが少しだけ不思議だった。


     *


 夜。


 屋根裏の部屋へ戻ると、エルナは扉の鍵と窓、荷物をいつものように確かめた。


 それから、フードを下ろす。


 淡い白銀の髪が肩へ落ちた。


 床へ座り、今日使ったものを一つずつ片づける。


 布。水筒。依頼票。冒険者証。そして、財布。


 開いて中を見る。


 昨日より減った分もある。


 今日増えた分もある。


 全部が元に戻ったわけではない。


 この仕事だけで暮らしていけるわけでもない。


 それでも、一日分だけ、自分で稼いだ。


 薬草の見つけ方も。


 採り方も。


 残し方も。


 どれも、今日初めて覚えたことではない。


 森にいた頃から知っていた。


 エルナは財布を閉じる。


 教えてもらったことは、森に置いてきたわけではなかった。


 胸の奥が、少しだけ静かになる。


 エルナは冒険者証を財布とは別の場所へ戻し、横になった。


 天井を見る。


 明日は、何をしよう。


 そう考えられることが、少しだけ嬉しかった。




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