第22話 隠れていて
男たちが来たのは、いつもの頃合いよりずっと早かった。
昼前。ロザリーは薬草を干し、エルナはその隣で茎と葉を分けていた。
外から、扉を叩く音がする。
「いるんだろ」
エルナの手が止まった。聞き間違えるはずがない。ロザリーも顔を上げる。
「エルナ」
呼ばれただけで、次に何を言われるのかわかった。
「……また?」
「ええ」
「でも、まだ次の魔石作ってないよね」
「作ってないわ」
「じゃあ何しに来たの」
「さあ」
ロザリーが立ち上がる。
「隠れていて」
エルナは動かなかった。
「ロザリー」
「なに?」
「今度、何かあったら――」
「出てきては駄目」
言葉を最後まで聞かずに返された。エルナは眉を寄せる。
「でも」
「駄目よ」
「なんで」
「あなたを見せたくないから」
前と同じ答えだった。それでも今日は、それだけでは納得できない。
「何かされたら?」
「私がどうにかするわ」
「でも前も――」
もう一度、扉が叩かれる。
「いつまで待たせるんだよ」
ロザリーはそちらを見て、それからもう一度エルナへ向き直った。
「隠れていて」
いつもより低い声だった。エルナは唇を噛む。
「……わかった」
隠し場所へ入る。板が閉じられ、視界が暗くなった。
*
扉が開く。
「まだ早いでしょう」
「知ってるよ」
男の声は、妙にあっさりしていた。
「そろそろ何個かできてるかと思ってな」
「まだ一つも作っていないわ」
「一つも?」
「ええ」
「そりゃ残念」
あまり残念そうには聞こえなかった。別の男が口を挟む。
「出来てる分だけ持って帰れりゃ、それでよかったんだけどな」
「次に渡す日までには揃えるわ」
「なら、その時でいいか」
それだけだった。怒りもしない。無理に作れとも言わない。
エルナは少し拍子抜けした。魔石が目的なら、もう帰ればいい。
けれど、扉の開く音はしなかった。
「用は済んだでしょう」
ロザリーが言う。
「まあ、石はな」
男が笑った。
エルナの背中が冷たくなる。
「帰って」
「せっかく来たんだ。そう急ぐなよ」
「帰って」
ロザリーの声が低くなる。
少しの沈黙のあと、男の足音が動いた。
「……近づかないで」
「何だよ」
「そこにいて」
「石もねえのに、手ぶらで帰れって?」
もう一人が笑う。エルナは膝を抱えた。その言葉の意味を、考えたくなかった。
「私があなたたちを呼んだわけではないわ」
「そんな話してねえだろ」
足音がさらに近づく。
「触らないで」
「また騒ぐのか」
「やめて」
衣擦れの音がして、何かが机に当たった。エルナの身体が強張る。
「離して」
「じっとしてろよ」
「嫌よ。離して」
男が低く笑った。
「そう毎回嫌がるなって」
胸の奥が冷たくなる。
毎回。
その一言だけで十分だった。
前にもあった。一度ではない。ロザリーが拒んでも、嫌だと言っても、それでも男たちは来ていた。
「手を離して」
「すぐ済むだろ」
頭の中で、何かが切れた。
エルナは立ち上がり、狭い隠し場所の中で板へ手をかけた。
押す。
その瞬間、指先の下で板がわずかに震えた。
ただ動いただけではない。家そのものが、エルナの力を拾ったような震え方だった。
「……?」
もう一度押す。
今度は開かなかった。
板の隙間へ指を入れる。そこで、硬いものに触れた。
根だった。
隠し場所の脇を通る生きた柱から、細い根が内側だけへ伸び、閂のように板を押さえている。外からは見えない。
エルナには、すぐにわかった。
ロザリーだ。
自分が出ようとしたことに、家を形作っている木を通して気づいた。そして、自分を外へ出さないために魔法を使った。
命紋が進むかもしれないのに。
「ロザリー……」
声にはしない。聞こえれば、自分がここにいると知られてしまう。
でも、じっとなんてしていられない。
エルナは板を押した。根は動かない。
その直後だった。
外で、木が低く軋んだ。
ぎし、と。
今までとは違う音だった。男の声が止まり、エルナの手も止まる。
また、木が軋む。今度は家の壁際だった。外で枝が何かを擦る音がする。
「手を離して」
ロザリーの声は静かだった。
「今すぐ」
少しの沈黙。
「……脅してんのか?」
「離して」
木が、もう一度大きく軋んだ。
別の男が息を呑む。
「おい」
今までにない声だった。
「……それ以上やるな」
「なら、手を離して」
長い沈黙のあと、衣擦れの音がした。男が離れたのがわかった。
それでも、木の音は止まらない。
「帰って」
「本気でやる気かよ」
「帰って」
ロザリーの声は変わらない。
「次は止めないわ」
その言葉に、エルナまで息を止めた。
何を、とは聞かなくてもわかった。
男たちにも伝わったのだろう。それまでロザリーが何度拒んでも笑っていたのに、今は誰も笑わない。
「……行くぞ」
一人が言った。
「でも――」
「いい。帰るぞ」
足音が扉へ向かう。扉の前で、一人が立ち止まった。
「次の石は、いつも通りなんだろうな」
「約束した数だけよ」
「……わかったよ」
声には、さっきまでの余裕がなかった。
扉が開く。三人分の足音が外へ出ていき、やがて何も聞こえなくなった。
それでもしばらく、ロザリーは魔法を解かなかった。男たちの気配が完全に森の奥へ遠ざかってから、ようやく板を押さえていた根がゆっくり元へ戻る。
エルナはすぐに板を開けた。
*
「なんで止めたの!」
隠し場所から出るなり、声が出た。
ロザリーが振り向く。顔色が少し悪い。呼吸も、いつもより深かった。
「あなたが出ようとしたから」
「当たり前でしょ!」
エルナは床へ降りる。
「何されてるか、わかってたよ!」
「ええ」
「なのに、なんで私を閉じ込めたの!」
「あなたを見られたくなかったから」
「そのために魔法使ったの?」
「ええ」
「私を止めるために?」
「ええ」
胸の奥が熱くなる。
「命紋、進むんだよ」
「わかってるわ」
「だったらなんで!」
「あなたを隠すためなら使うと、私が決めたから」
エルナは言葉を失った。
その言葉は、少し前にロザリーが教えたことと同じだった。
何に命を使うかを選ぶ。
だからこそ、余計に納得できない。
「……何に命使うか、自分で選ぶって言ったよね」
「ええ」
「じゃあ私だって選びたい」
ロザリーの目が揺れる。
「ロザリーを助けるかどうかくらい、私に決めさせてよ」
「今は駄目よ」
「なんで!」
「あなたはまだ、自分の魔法がどこまで届くのかも、どう止めるのかも知らない」
「魔法使うなんて言ってない!」
「出てきたら、本当に使わずにいられた?」
エルナは口を閉じた。
もし目の前で見ていたら。男たちがロザリーを押さえていたら。
自分は。
「……でも」
「怒っている時に、どれだけの力が出るかもわからないでしょう」
「じゃあ、何もしないで見てろっていうの?」
「今は、そうして」
「嫌だ!」
すぐに返した。
「私、嫌だよ!」
ロザリーが黙る。
「前に、追い出してもそれで終わりじゃないって言ったのは覚えてる。人には仲間がいて、もっと連れてくることもあるって」
「ええ」
「それでも嫌だよ」
声が震える。
「わかってても、ロザリーがあんなことされてるのを隠れて聞いてるだけなんて嫌だ」
「エルナ」
「私だって選びたい」
エルナは胸元を握る。
命紋がある場所。
「ロザリーを助ける方を選びたい」
「……」
「自分は命使って私を閉じ込めるのに、私は駄目なの?」
「ええ。今は駄目よ」
迷いのない答えだった。
「なんで!」
「あなたを見れば、魔女だとわかるから」
エルナは顔を上げる。
「……そんなに?」
「ええ」
ロザリーの答えに迷いはなかった。
「髪も、目も、顔立ちも。隠せるものではないわ」
ロザリーは少しだけ目を伏せる。
「あなたは、私よりずっと目立つ」
エルナは自分の髪に触れた。
淡い白銀。薄い青の瞳。自分では見慣れてしまった顔。
でも、この世界では。
「見られたら?」
「魔女だと知られる」
「でもロザリーがいる」
「ずっと守り切れるとは限らないわ」
「守れるでしょ!」
「できないこともあるのよ」
前にも聞いた言葉だった。
強ければ何でもできるわけではない。その意味は、昔よりわかる。
だからこそ、余計に苦しかった。
「じゃあ」
声が小さくなる。
「私はずっと隠れて、見てるだけ?」
ロザリーはすぐには答えなかった。
「ねえ」
「……今は、そうして」
胸の奥が痛くなる。
「嫌だ」
「エルナ」
「嫌だって言ってる」
ロザリーの顔がわずかに曇る。
「私、ロザリーが嫌なことされてるの、見てるだけなんて嫌だ」
「私も、あなたが傷つくのは嫌よ」
「同じじゃない」
「同じよ」
「違う!」
エルナは首を振る。
「私は、自分で決めたいの!」
「私もよ」
ロザリーが少しだけ強い声を出した。
エルナが黙る。
「私は、あなたを守る方を選ぶ」
静かな声だった。
「たとえ、あなたが怒っても」
エルナの喉が詰まる。
「……じゃあ私も」
ようやく言った。
「ロザリーを守る方を選びたい」
「わかってる」
「じゃあ止めないで」
「それはできないわ」
「なんで!」
「危ないから」
「またそれ」
「何度でも言うわ」
ロザリーはまっすぐエルナを見る。
「同じことがあっても、私はまたあなたを止める」
エルナの目が大きくなる。
「……また?」
「ええ」
「じゃあ私も」
声が震えた。
「また出ようとする」
「そう」
「止めても」
「止めるわ」
「それでも」
「それでも」
どちらも譲らなかった。
*
その日の夕食は、ほとんど会話がなかった。食器の触れ合う音だけが、小さく響く。
ロザリーはいつも通りに食事をしていた。エルナもそうしようとしたけれど、うまくできなかった。
食べ終わって、片付けて、寝る支度をする。いつもなら、眠る前に何か一言は話す。
今日は何も出てこない。
エルナは寝床へ入った。ロザリーが灯りを小さくする。
「おやすみ、エルナ」
返事ができなかった。
言いたくないわけではない。でも今言ったら、さっきのことまで全部なかったことになるような気がした。
ロザリーは少し待った。それから何も言わず、部屋を出ていった。
扉が静かに閉まる。
エルナは目を開けたまま、胸元へ手を置いた。命紋がある場所。
自分の命なら、自分で決めたい。
ロザリーを助ける時に、自分がどうするのか。それくらい、自分で選びたかった。
でも、ロザリーも同じように自分で決めている。エルナを守る方を。
そのことだけは、わかっていた。
わかっていても。
納得は、できなかった。




