第21話 選べないもの
朝から、ロザリーは石を並べていた。
川辺で拾ってきた、丸くて滑らかな石。大きさも形も少しずつ違うけれど、どれも手に取った時に指を傷つけないものばかりだった。
エルナは机の向かい側から、その石を見る。
「それ、魔石にするの?」
「ええ」
「……あの人たちの?」
ロザリーの手が、一瞬だけ止まった。
「そうよ」
エルナは黙る。
以前なら、石がどう変わるのかを見るのは少し面白かった。
ただの石が、ロザリーの手の中でゆっくり変わっていく。中まで磨かれたように滑らかになり、淡い灰色の光を宿す。
今日並んでいるのは、どれも緑の光や模様を持たない、普通の魔石だった。
でも今は、同じようには見えなかった。
一つ目。
ロザリーの手の中で、石が淡く光る。
二つ目。
また、灰色へ変わる。
三つ目。
エルナはロザリーの胸元を見る。
服の下だから、命紋は見えない。それでも、石が一つできるたびに、あの紋様も少しずつ進んでいるのかもしれない。
「ロザリー」
「なに?」
「全部作るの?」
「ええ」
石はまだ残っている。
「減らしたら?」
「決まっている数だから」
「でも、命紋進むんでしょ」
「そうね」
ロザリーは次の石を手に取る。
エルナは眉を寄せた。
「作りたくないなら、作らなくてもいいんじゃないの?」
今度は、ロザリーの手が止まった。
しばらく石を見てから、静かに言う。
「そうできないこともあるのよ」
「なんで?」
「……そういうこともあるの」
答えになっていない。
エルナはそう思った。
でも、ロザリーはそれ以上話さなかった。
また石を手に取る。
淡い光が宿る。
エルナはそのたびに、胸の奥が少しずつ重くなるような気がした。
*
昼を過ぎた頃。
外から声がした。
「おい、いるか」
エルナの肩が強張る。
知っている声だった。
ロザリーもすぐに立ち上がる。
「エルナ」
「……また隠れるの?」
「ええ」
「でも」
「隠れていて」
声は柔らかい。
けれど、迷いはなかった。
エルナは唇を結ぶ。
「どうして?」
「あなたを見せたくないから」
前にも聞いた答えだった。
ロザリーは、エルナが魔女だと知られないようにしている。その理由も、もうわかっている。
それでも今日は、前より隠れたくなかった。
「……わかった」
結局、エルナはいつもの場所へ入る。
家の一部として作られた、狭い隠し場所。板が閉じられると、視界が暗くなる。
全部は見えない。
でも、声は聞こえる。
「頼んどいた分、揃ってるんだろうな」
「頼まれた数は」
「相変わらずきっちりだな」
男が鼻で笑う。
「石は?」
「そこに」
袋を開ける音がした。
石が触れ合う、硬い音。
「……やっぱりこれだけか」
「前にも言ったでしょう。増やしません」
「へーへー。そう言うと思ったよ」
軽い声だった。
聞いているようで、何も受け取っていない。
「ほんと、融通利かねえな」
ロザリーは答えない。
男はしばらく魔石を確かめているらしい。
「こんだけ作れるなら、あと二つ三つ増えたって変わらないだろ」
エルナの手が、ぎゅっと握られた。
違う。
変わらなくなんかない。
一つ作るたびに、ロザリーの命紋が少し進むかもしれない。
男は知らないのだろうか。
それとも、知っていてそんなふうに言っているのだろうか。
「増やしません」
ロザリーの声は変わらない。
「前にも答えたはずよ」
「どうかな?」
男が笑う。
「次も同じこと言えるといいな」
もう一人も、喉の奥で笑った。
その軽さが、エルナには嫌だった。
硬貨の音がする。
机に置かれたらしい。
「これで」
少し間があった。
「……前より少ないわ」
「そうか?」
「そうよ」
「じゃあ数え間違えたんじゃない?」
「あなたが?」
「さあな」
また笑う。
からかっているだけなのか、本当に減らしたのか。
どちらでも同じだった。
ロザリーが困ることを、男たちは少しも気にしていない。
「勝手に減らしていい理由にはならないわ」
「へえ。細かいねえ」
声に苛立ちすらない。
面白がっているように聞こえる。
前に言われた言葉を、エルナは覚えている。
今日は、男たちはそれを言わなかった。
言わなくても、もう互いにわかっているからだ。
ロザリーが自分で売りに出たところで、魔女から直接買おうとする人間はほとんどいない。
男たちも。
ロザリーも。
わかっている。
だから、言葉にしなくてもいい。
そのことが、エルナには余計に嫌だった。
*
「用は終わったでしょう」
ロザリーの声がした。
「ああ?」
「石は渡したわ」
「そんな急かすなよ」
足音が近づく。
エルナには見えない。
でも、距離が縮まったのがわかる。
「相変わらず愛想ねえな」
「必要ないもの」
「少しくらい笑えばいいだろ」
「帰って」
ロザリーの声が、少し低くなった。
エルナは膝を抱える。
胸の奥が、嫌な感じにざわつく。
「そんな怖い顔するなって」
男は笑っている。
「やめて」
今度は、はっきり聞こえた。
エルナの身体が固まる。
やめて。
ロザリーは、そう言った。
「何もしてないだろ」
「近いのよ」
「それくらいで」
衣擦れの音。
ロザリーが一歩避けたのかもしれない。
「触らないで」
男がまた笑う。
その声を聞いた瞬間、エルナの中で何かが冷たくなった。
知っている。
人が人に触れることを。
直人の手も知っている。
抱き寄せられることも。
キスも。
その先も。
知っているからこそ、わかる。
これは違う。
ロザリーは嫌だと言っている。
なのに。
男は笑っている。
「帰って」
今度の声には、もう柔らかさがなかった。
長い沈黙。
「へえ、今日はずいぶん怖いな」
男がつまらなそうに言う。
「次も、同じ数しか作りません」
「どうかな?」
「増やしません」
「まあ、その時になればわかるだろ」
男は何か小さく笑った。
やがて、扉の開く音。
足音が遠ざかっていく。
扉が閉まる。
家の中が静かになった。
エルナは、まだ動けなかった。
*
「エルナ」
少しして、ロザリーの声がした。
「もう出ていいわ」
板が開く。
光が差し込む。
エルナは這い出した。
机の上を見る。
さっきまで並んでいた灰色の魔石は、もうない。
全部、持っていかれた。
「……全部持っていったね」
「ええ」
ロザリーは硬貨を集めている。
いつもと変わらない手つきだった。
エルナはその横顔を見る。
「前に言ってたよね」
「なにを?」
「あの人たちを追い出しても、それで全部終わるわけじゃないって」
ロザリーの手が止まる。
「ええ」
「人は森の獣とは違うって」
「覚えていたのね」
「覚えてるよ」
あの時は、よくわからなかった。
ロザリーは強いのに。
どうして、あの男たちを追い払えないのか。
でも今は、少しだけわかる。
一人を追い出しても、その人には帰る場所がある。
話をする相手もいる。
また誰かを連れて来ることだってできる。
「だから、来ないでってできないのは……前よりわかる」
ロザリーは黙っている。
「でも」
エルナは机を見る。
「魔石も?」
ロザリーの目が少しだけ細くなった。
「あれも、同じなの?」
「……同じ?」
「木の時は、ロザリーが残したかったから使ったんだよね」
「ええ」
「自分で使うって決めた」
「そうね」
「じゃあ、今日の石は?」
ロザリーはすぐには答えなかった。
エルナは続ける。
「作りたいから作ったの?」
長い沈黙。
「必要だから作っているの」
「作りたいからじゃなくて?」
ロザリーの視線が、ほんの少しだけ落ちた。
それだけで、エルナには十分だった。
「何に命を使うか、選んでるって言ったよね」
「ええ」
「でも、これは?」
エルナはロザリーを見る。
「これも、ロザリーが選んだの?」
ロザリーはしばらく黙っていた。
「……選べることばかりではないのよ」
「なんで?」
「エルナ」
「教えて」
ロザリーは困ったように息を吐く。
「今は、まだそこまで話せないわ」
「またそれ」
「そうね」
「私だって、もうわかるよ」
「ええ。わかることは増えたわね」
「じゃあ教えてよ」
ロザリーはすぐには答えなかった。
「知っていることが増えても、抱えなくていいものまで抱える必要はないのよ」
エルナは何も言えなかった。
*
その夜。
エルナは眠れなかった。
昼間の声が、何度も頭の中で繰り返される。
あと二つ三つくらい。
少しくらい笑えばいい。
どうかな。
ロザリーが何を言っても、男たちは軽く流した。
嫌だと言っているのに。
やめてと言っているのに。
笑っていた。
エルナは寝返りを打つ。
ロザリーは、何に命を使うかを選んでいると言った。
あの木を残したい。
だから使った。
怖くても。
長く生きたくても。
自分で決めた。
今日の魔石は、違った。
少なくとも、エルナにはそう見えた。
作りたいからではない。
増やしたいとも言っていない。
それなのに、男たちはもっと作れと言う。
ロザリーが拒んでも、笑って流す。
嫌だと言っても、止まらない。
ロザリーが選んだはずのことを、まるでロザリーには決められないことのように扱う。
そのことが、エルナにはどうしても許せなかった。




