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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第2章 森の魔女の娘
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第18話 命紋


 翌朝、目を覚ました時には、身体の重さはほとんど消えていた。


 昨日のようなだるさはない。起き上がってもふらつかず、何度か手を握ってみても力は入る。


 エルナは少し安心して、寝間着を脱ぎかけた。


 そこで、手が止まった。


「……なに、これ」


 左の胸。


 心臓より少し上の肌に、見覚えのない細い線が浮かんでいる。


 傷ではない。赤くも腫れてもいない。淡い色の線がいくつか重なり、小さな図形の一部のようになっていた。


 指で擦ってみる。


 消えない。


 濡らしてみても変わらない。


「ロザリー」


 返事がない。


「ロザリー!」


 今度は少し大きな声を出す。


 隣の部屋から足音がした。


「どうしたの?」


「これ」


 エルナは胸元を指差した。


 ロザリーの視線がそこへ落ちる。


 一瞬、表情が止まった。


「ああ……」


「なに?」


 ロザリーが近づく。


「出たのね」


「何が?」


 エルナはもう一度、自分の胸を見る。


「これ、昨日なかった」


「ええ」


「病気?」


「違うわ」


 ロザリーは首を振った。


「命紋よ」


「めいもん?」


「魔女に現れる紋様」


 エルナは眉を寄せた。


「今までなかったよ」


「見えていなかっただけ」


「どういうこと?」


 ロザリーは少し考えてから、エルナの寝間着を整えた。


「着替えたら話しましょう」


     *


 朝食のあと、二人はテーブルを挟んで座った。


 エルナは何度も胸元へ手をやっていた。


 服の下にあるから見えない。それでも、そこに何かあると思うと気になる。


「命紋って、何?」


「魔女に残された命と一緒に変わっていく紋様よ」


「命?」


 ロザリーは頷いた。


「魔女には、生まれた時から命紋そのものはある。でも、魔法が目覚めるまでは肌に現れないの」


「じゃあ昨日?」


「あなたが初めて魔法を使ったから」


「それで出てきた?」


「ええ。すぐではなく、少し時間をかけて浮かんでくることが多いわ」


 エルナは胸元を押さえる。


「これ、どうなるの?」


「少しずつ形が増えていくわ」


「増える?」


「年を取っても。魔法を使っても」


「完成したら?」


 ロザリーはすぐには答えなかった。


 その間で、嫌な予感がした。


「……死ぬ?」


「ええ」


 静かな答えだった。


 エルナは口を閉じる。


「命紋が完成した時、その魔女の命は尽きる。昔からそう伝えられているわ」


「絶対?」


「少なくとも、完成した命紋を持ったまま生き続けた魔女の記録はない」


 エルナは自分の胸を見るように俯いた。


「じゃあ、これ見たら、あとどれくらい生きられるかわかる?」


「だいたいなら」


「だいたい?」


「まだずいぶん残っているのか、完成に近いのか。それくらい」


「あと何年、とかは?」


「わからないわ」


 ロザリーは自分の胸元へ手を置いた。


「命紋の進み方は、魔女によって違うの。同じ年齢でも、同じだけ進んでいるとは限らない」


「なんで?」


「生まれ持った寿命も、命の減り方も、みんな同じではないからでしょうね」


「じゃあ、年を取ったら同じくらい進むってわけじゃない?」


「ええ。だから、紋様だけ見てもあと何年とは読めないの」


 エルナは少し考える。


「でも、魔法使ったら進む?」


「進むわ」


「すぐわかる?」


「小さな魔法なら、見比べてもわからないことも多いわ」


「大きいのは?」


「目に見えて変わることもある」


 昨日の雪が浮かんだ。


 森の周囲を冷やした。


 雪が降った。


 あれは大きかったのだろうか。


「昨日ので、進んだ?」


「進んでいるでしょうね」


「どれくらい?」


「それはわからないわ」


 何もわからないわけではない。


 使えば進む。


 完成すれば死ぬ。


 でも、その途中がどれほど残っているのかは、正確にはわからない。


「一回で完成することもある?」


 ロザリーの目がわずかに細くなる。


「大きすぎる魔法なら」


「……そのまま死ぬ?」


「ええ」


 エルナは黙った。


 昨日、自分は何も知らなかった。


 雪が嬉しくて、ずっと見ていた。止め方も知らなかった。


 もし、もっと長く続いていたら。


 胸の奥が少し冷える。


「昨日は大丈夫だった?」


「あなたの命紋を見る限りは」


「まだいっぱい残ってる?」


「ええ。かなり」


 その言葉に、少しだけ息を吐いた。


     *


「ロザリーにもある?」


 エルナが聞く。


「もちろん」


「見たい」


 ロザリーが一瞬止まった。


「今?」


「うん」


「……仕方ないわね」


 服の襟元を少し緩める。


 左の胸元。


 そこに、エルナとは違う紋様があった。


 細い曲線がいくつも絡み合っている。蔓のようにも、枝のようにも見えた。


 エルナのものよりずっと複雑で、伸びている線も多い。


 けれど、まだ何も描かれていない空白もかなり残っている。


「……私のよりいっぱいある」


「あなたより長く生きているもの」


「年取った分?」


「それもあるわ」


「魔法使った分も?」


「ええ」


 エルナは黙った。


 森の斜面。


 傷んだ木。


 根を動かして獣を追い払ったこと。


 今まで見てきたロザリーの魔法が浮かぶ。


 そして最後に、灰色の石。


「あの魔石も?」


 ロザリーが服を戻しながら頷いた。


「もちろん」


 男たちが家へ来た日のことを思い出す。


 ロザリーは石を十個ほど並べ、ひとつずつ魔力を込めていた。終わった時には、少し疲れた顔をしていた。


 あの時は、ただ魔力を使ったから疲れたのだと思っていた。


 でも、それだけではなかった。


 あの石にも。


 ひとつひとつに。


 ロザリーの命紋を進める力が使われていた。


 エルナの口元が固くなる。


「あの人たち、安く買った」


「そうね」


「ロザリーの命使って作ったのに」


 ロザリーは何も言わない。


「そんなのおかしい」


「ええ」


「じゃあ作らなきゃいいのに」


「そうね」


 また、あっさり肯定する。


 エルナは苛立った。


「じゃあ、やめればいいじゃん」


「必要がなければ、使わないわ」


「でも使ってる」


「ええ」


「なんで?」


 ロザリーはすぐには答えなかった。


 窓の外へ目を向ける。


 昨日の雨を吸った森が、濃い緑を揺らしている。


「それは、もう少しあなたが魔法を知ってから話すわ」


「今じゃ駄目?」


「駄目というより、今話してもきっと途中までしか伝わらないから」


 エルナは少し不満だった。


 でも、その顔は誤魔化しているようには見えない。


 ただ、今は話さないと決めている。


「……わかった」


     *


「私の魔法って、やっぱり雪なの?」


 エルナが聞く。


「まだ、そうとは決められないわね」


「なんで?」


 ロザリーは昨日のことを一つずつ思い返すように話し始めた。


「最初に起きたのは、水が冷えたことだったでしょう」


「うん」


「それから凍った。次に、家の中の空気まで冷えた」


「うん」


「そのあと、外まで」


「雪が降った」


「ええ」


 ロザリーは少し考える。


「雪を直接生み出したのなら、最初から雪が現れてもおかしくない。でも、そうではなかった」


 エルナも昨日の感覚を思い出す。


 器を持っていた時。


 掌の奥を、何かが通り抜けていった。


「水が凍る前、変な感じした」


「どんな?」


「水の中にあった何かが、手を通って外に出ていく感じ」


「外へ?」


「うん。でも、どこか一個のところじゃなくて」


 思い出そうとする。


「広がる感じ」


 ロザリーが眉を寄せる。


「広がる」


「うん。外に散っていくみたいな」


 エルナは水差しを見る。


 澪だった頃に知っていた言葉が、ふと浮かんだ。


「熱……かも」


「熱?」


「ものの中には熱があって、それが動くと温度が変わるの」


 どこで覚えたのかまでは思い出せない。


 けれど、昔どこかで習った。


 たしか、熱は温かいところから冷たいところへ移っていく。


 それなら。


「でも昨日、変なんだよね」


「何が?」


「魔法を使う前、水の方が部屋の空気より冷たかったでしょ」


「ええ」


「本当なら、熱は温かい方から冷たい方に動くはずなのに、私は冷たい水からさらに熱を抜いた」


 昨日は逆だった。


 冷たい水から、さらに熱が抜けていった。


「だから私、熱を普通と逆に動かしたのかも」


 ロザリーは黙って考える。


「熱が流れる向きを変えた?」


「たぶん」


「それを一か所へ集めず、もっと広いところへ逃がした」


「昨日の感じなら」


 ロザリーはゆっくり頷いた。


「それなら、雪はその結果として生まれたのかもしれないわね」


「結果?」


「周りの空気まで冷えたことで、そこにあった水分が雪になったのかもしれない」


 エルナは窓の外を見る。


 昨日は、あそこに白いものが降っていた。


「じゃあ、雪の魔法じゃない?」


「そうとは言っていないわ」


「じゃあ何?」


「まだわからない」


 エルナは少し口を尖らせる。


「確かめてみる?」


「今日はしないわ」


「え」


「駄目よ」


「まだ何も言ってない」


「顔に書いてあるわ」


「ちょっとだけなら」


「しません」


 ロザリーの声は穏やかだったけれど、迷いはなかった。


「なんで?」


「今、命紋の話をしたでしょう」


 エルナは胸元へ手を置く。


「……うん」


「あなたは昨日、何も知らないまま魔法を使った。今日は、使うと何が起きるのかを知った」


 ロザリーはエルナを見る。


「なら、まずそれを考えなさい」


「でも、自分の魔法知らないと危ないって昨日言った」


「ええ。だから、いずれ確かめるわ」


「今日じゃ駄目?」


「今日でなければ困ることではないでしょう?」


 エルナは黙る。


「魔法が使えるとわかったからといって、すぐに使う必要はないの」


 ロザリーはそれだけ言った。


     *


「じゃあ、もう雪降らせちゃ駄目?」


 少しして、エルナが聞いた。


「雪が好きだから?」


「うん」


「もう一度見たい?」


「見たい」


 即答だった。


 ロザリーは少し困ったように笑った。


「駄目とは言わないわ」


「ほんと?」


「でも、今すぐは駄目」


「またそれ」


「まず、自分が何をしているのか。どうすれば止められるのか。それを知らなければいけないわ」


「わかったら?」


「その時に考えましょう」


「雪見たいのは必要?」


 ロザリーは少しだけ考えた。


「それも、その時に考えなさい」


「ずるい」


「ずるくないわ」


 エルナは少し頬を膨らませる。


 けれど、朝から気になっていたことは消えない。


「ロザリーは?」


「なに?」


「自分の命紋が進むって、わかってるんでしょ」


「ええ」


「それでも魔法使ってる」


「ええ」


「なんで?」


 ロザリーはすぐには答えなかった。


 窓の外へ視線を向ける。


 森の緑が揺れている。


「その話は、またしましょう」


 エルナはロザリーを見る。


 今度は、さっきよりも強く聞きたかった。


 それでも、食い下がらなかった。


「……わかった」


     *


 夜。


 エルナは寝床の中で、胸元の布へ手を置いた。


 その下には、朝まで知らなかった命紋がある。


 昨日は、この身体にそんなものがあることすら知らなかった。


 昨日は、ただ雪が嬉しかった。


 今日は違う。


 魔法を使えば、命紋は少しずつ完成へ近づく。


 どれくらいかはわからない。


 同じ年齢でも、同じだけ残っているとは限らない。


 それでも、使ったことは消えない。


 怖い。


 そう思う。


 それでも、昨日の雪を思い出す。


 掌に落ちた白い結晶。


 静かになった森。


 もう一度見たい。


 その気持ちまで消えたわけではない。


 そして、もう一つ。


 ロザリーの胸にあった、自分よりずっと進んだ命紋。


 まだ空白はたくさん残っていた。


 それでも、あの線の一部は、これまでロザリーが使ってきた魔法の分でもある。


 そのことを知っていて。


 ロザリーは今も魔法を使っている。


 どうしてなのか。


 エルナには、まだわからなかった。




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