第13話 森の外から来るもの
ロザリーは、ときどき石を拾う。
薬草を探しに行った時でも、沢へ水を汲みに行った時でも、気に入ったものがあれば拾って籠へ入れる。
最初の頃、エルナは綺麗な石を集めているのだと思っていた。けれど、どうやら違うらしい。
「また拾うの?」
川辺でしゃがんだロザリーへ、エルナは声をかけた。
「ええ。これは使えそうね」
ロザリーが拾い上げたのは、何の変哲もない小石だった。
色は淡い灰色。掌に収まるくらいの大きさで、長い間水に削られたのか、角が丸い。
エルナは横から覗き込む。
「こっちの方が綺麗じゃない?」
少し離れたところに、白い筋の入った石が落ちている。
ロザリーはそれを一度見て、首を振った。
「端が尖っているでしょう」
「少しくらいじゃない?」
「持った人が怪我をするかもしれないもの」
「石なのに?」
「石だからよ」
ロザリーは拾った小石を親指で撫でた。
「毎日使うものなら、手に馴染む方がいいでしょう」
そう言って籠へ入れる。
エルナには、何に使うのかまだわからなかった。
*
その答えを知ったのは、それから数日後だった。
朝食を終えると、ロザリーが棚の奥から木箱を取り出した。中には、あの時拾ったような丸い小石がいくつも入っている。
「何するの?」
「魔石を作るのよ」
エルナはすぐそばまで寄った。
「魔石?」
「見たことなかった?」
「ない」
「そうだったかしら」
ロザリーは椅子に座り、小石を一つ手に取った。
「これは、人が暮らすのに使うものよ」
「何に?」
「色々。灯りをつけたり、お湯を沸かしたり、水を汲み上げたり」
「これで?」
ただの石にしか見えない。
「今は、ただの石だから」
ロザリーが小さく笑った。
そのまま石を両手で包む。何かを唱えるわけではない。ただ、じっと見つめる。
しばらくすると、ロザリーの指の隙間から淡い光が見えた。
エルナは息を止める。
開かれた掌の上にあったものは、さっきまでの石とはまるで違っていた。
形も大きさも同じ。それなのに、石の内側だけが透き通ったように見える。丁寧に磨かれた宝石を、薄い曇りガラスで包んだようだった。
淡い灰色の奥で、柔らかな光が揺れている。
「きれい」
思わず口にした。
「そう?」
「うん。宝石みたい」
「宝石ほど高価ではないわ」
ロザリーは出来上がった魔石を机の上へ置く。
「でも、これがないと困る人は多いの」
次の石を手に取る。
「魔力を入れたの?」
「ええ」
「なくなったら?」
「使った分だけ少しずつ光が薄くなるわ。全部なくなれば、元の石に戻る」
エルナは最初の魔石を持ち上げた。
ほんのり温かい。
「じゃあ、また入れたら使える?」
「石が傷んでいなければね」
「私も作れる?」
ロザリーは少し考えた。
「魔力が使えるようになれば、普通の魔石なら作れると思うわ」
「普通の?」
「魔石にもいくつか種類があるの」
ロザリーはそれ以上は説明せず、次の石へ魔力を移した。
一つ。また一つ。
灰色の小石が、淡く光る魔石へ変わっていく。
綺麗だった。
けれど、十個ほど作った頃には、ロザリーの呼吸が少し深くなっていた。
「疲れた?」
「少しね」
「休めば?」
「そうするわ」
素直に石を置き、ロザリーは背もたれへ身体を預けた。額へ薄く汗が浮かんでいる。
エルナは机の上に並んだ魔石を見る。
こんなに綺麗なものを作るのに、ロザリーは疲れる。
それなら、何のためにこんなにたくさん作るのだろう。
「誰が使うの?」
「森の外の人たちよ」
「ロザリーが持ってくの?」
一瞬だけ、ロザリーの視線が止まった。
「いいえ」
それだけ答えて、目を伏せた。
「取りに来る人がいるの」
*
男たちが来たのは、その日の午後だった。
最初に聞こえたのは声だった。家の外で、誰かが笑っている。
次に、扉を叩く音。
強い。
来客を知らせるというより、中にいることを知っていて急かしているような叩き方だった。
「来たよ」
エルナが顔を上げる。
ロザリーの手が止まった。
薬草を束ねていた指が、そのまま動かなくなる。
ほんの一瞬だった。けれどエルナにはわかった。
「ロザリー?」
ロザリーは窓の方を見る。それから、ゆっくり立ち上がった。
「エルナ」
「なに?」
「こちらへ来て」
声は静かだった。でも、いつもと違う。
ロザリーは部屋の奥へ向かい、壁際に置かれた棚を少し動かした。その奥に、細い隙間が現れる。
エルナは目を丸くした。
「こんなのあったの?」
「入って」
「なんで?」
「あとで話すわ」
外から、もう一度扉が叩かれた。
「おい、いるんだろ」
男の声。
ロザリーの顔から、残っていた表情が消えた。
「エルナ」
低い声だった。
「今は、言うことを聞いて」
エルナは黙った。
こんなふうに言われることは、ほとんどない。素直に隙間へ入る。
中は、小さな空洞になっていた。壁だと思っていた木の内側が、子ども一人なら座れるくらいに広がっている。
「声を出さないで」
「うん」
「私が呼ぶまで、出てきてはいけないわ」
「うん」
ロザリーはエルナの頬へ触れた。
その指が少し冷たかった。
棚が戻される。
視界が細くなる。
わずかな隙間から、部屋の一部だけが見えた。
*
扉が開く。
「遅いな」
「手が離せなかったの」
「俺たちが来る日くらい覚えとけよ」
男は三人いた。
エルナには、全員知らない顔だった。けれどロザリーは知っているようだった。
彼らも、ロザリーを知っている。
そのことはすぐにわかった。
「魔石は?」
「そこにあるわ」
ロザリーが机を示す。
男の一人が近づき、布袋の中を覗き込んだ。
「これだけか?」
「前と同じ数よ」
「もっと作れるだろ」
「作れることと、作ることは同じではないわ」
「またそれか」
男が鼻で笑った。
別の男が魔石を一つ持ち上げる。
「相変わらず綺麗に作るな」
そう言いながら、指先で弄ぶ。
エルナは少し嫌だった。
ロザリーが川辺で一つずつ選んだ石だ。
人の手を傷つけないように、丸いものを選んで。朝から魔力を入れて。疲れて。作ったもの。
その男は、そんなことを何も知らないような手つきで袋へ落とした。
「金は?」
ロザリーが言う。
「置いてくよ」
机へ小さな袋が投げられた。
音だけで、中身が多くないことがわかる。
ロザリーは袋を開けた。
「足りないわ」
「十分だろ」
「前より少ない」
「村じゃ値が下がってんだ」
「そんな話は聞いていないわ」
「街に出もしない魔女が、何を知ってる」
男たちが笑った。
ロザリーは何も言わなかった。
エルナは狭い場所で膝を抱える。
変だった。
魔石が必要なのは、男たちの方なのに。どうしてロザリーが黙るのだろう。
「嫌なら自分で売ればいい」
男の一人が言った。
「お前から買う奴がいればな」
また笑い声。
今度は、エルナにもその意味が少しわかった。
魔女。
ロザリーは魔女だ。
そして、魔女を嫌う人がいる。
前に教えてもらった。
「次はもう少し用意しとけ」
「できないわ」
「できるだろ」
「これ以上は作らない」
ロザリーの声は静かだった。
「そうかよ」
男の声が近づく。
「ずいぶん偉そうになったな」
エルナからは、もう足元しか見えない。
男の靴。
ロザリーの裾。
距離が近い。
「触らないで」
ロザリーが言った。
いつもより低い。
エルナは身体を固くした。
男が笑った。
「そんな顔すんなよ。前からだろ」
その言葉に、胸の奥が冷えた。
前から。
何が。
考えたくないのに、澪だった頃の知識が勝手に形を作ろうとする。
男の声。
ロザリーの拒む声。
近すぎる距離。
それらが、自分の知っている意味へ繋がっていく。
「今日は帰って」
「まだ用は終わってない」
ロザリーが何か言った。
でも声が小さくて、聞き取れなかった。
男たちの笑い声がする。
エルナは隙間へ顔を近づけた。
その時、足元に置かれていた小さな木片へ膝が当たった。
こつ、と音がした。
部屋が静かになる。
「……何だ?」
エルナは息を止めた。
「今、音しただろ」
足音が近づいてくる。
棚の向こう側へ。
エルナは口を両手で押さえた。
「鼠でしょう」
ロザリーの声。
「この家に?」
「森の中よ。入り込むことくらいあるわ」
「見せろよ」
男の足がさらに近づく。
その瞬間。
「そこには何もないわ」
ロザリーの声が変わった。
大きくはない。
怒鳴ってもいない。
それなのに、男の足が止まった。
「……なんだよ」
「何もないと言ったの」
短い沈黙。
エルナはロザリーの顔を見ることができない。
でも。
通さない。
そう言っていることだけはわかった。
「気味悪ぃな」
男が吐き捨てる。
足音が離れた。
エルナはようやく少しだけ息をした。
*
魔石を受け取ったのだから、もう帰るのだと思った。
けれど男たちは帰らなかった。
話し声が続いている。
時々、笑い声。
ロザリーの声は少ない。
何度か、
「やめて」
と聞こえた。
それから、
「今日はもう――」
途中で消えた。
何が起きているのか、見えてはいない。
けれど、意味までわからないわけではなかった。
むしろ、わかりかけているからこそ、エルナは考えるのをやめたかった。
水瀬澪だった頃、直人と触れ合うことはあった。
抱きしめられることも、唇を重ねることも、その先も。
そこには嫌だと言う声も、誰かの笑い声もなかった。
相手が直人だったからではない。
互いに望んで、触れていたからだ。
今聞こえているものは、それとは違う。
同じものとして考えたくなかった。
ただ。
嫌だった。
男たちの声も。
笑い方も。
ロザリーが話さなくなったことも。
全部。
隠れ場所の中で、どれくらい待ったのかわからない。
長かった。
ようやく扉の開く音がした。
「じゃあな」
「次までに頼むぞ」
足音が遠ざかる。
扉が閉まる。
それでもロザリーはすぐに呼んでくれなかった。
エルナは待った。
少しして、窓が動く音がする。外を確かめているらしい。
それから、また静かになる。
「……エルナ」
やっと声がした。
「もう出ていいわよ」
棚が動く。
光が入る。
エルナは急いで外へ出た。
「ロザリー」
「大丈夫?」
先にそう聞かれた。
エルナはロザリーを見る。
いつも綺麗にまとめている栗色の髪が少し乱れている。
服も、いつもとは違った。
どこが、と言われたら説明できない。ただ、整え直したように見える。
さっきまで考えないようにしていたことが、また胸の奥へ浮かび上がる。
「私は大丈夫だよ」
「そう。よかった」
ロザリーが笑おうとする。
でも、うまく笑えていなかった。
「ロザリーは?」
「私も大丈夫よ」
嘘だ。
エルナにもわかった。
「何されたの?」
ロザリーの表情が止まる。
少しして、エルナの前へしゃがんだ。
「まだ、あなたが知らなくていいことよ」
知らないわけではない。
そう言いかけて、やめた。
「でも嫌だったんでしょ」
返事がない。
「嫌いなの? あの人たち」
ロザリーは少しだけ目を伏せた。
「好きではないわね」
「じゃあ、もう来ないでって言えばいいじゃん」
「……そうできればよかったのだけれどね」
「なんでできないの?」
ロザリーはすぐには答えなかった。
乱れた髪を耳へかける。
「追い出すことはできるわ」
「じゃあ」
「でも、追い出したあとまで、全部終わるわけではないの」
エルナは黙る。
「人は、森の獣とは違うでしょう」
ロザリーが言った。
「帰る場所があって、話をする相手がいて、もっと多くの人を連れてくることもできる」
「ロザリー、強いのに」
「強ければ何でもできるわけではないわ」
その言葉は、エルナにはまだ難しかった。
森で会った大きな獣なら、ロザリーは根と枝だけで追い払えた。
なのに、あの三人にはできない。
力があるのに、自由にはならない。
そのことを、エルナはまだうまく理解できなかった。
「なんで私を隠したの?」
ロザリーの目がエルナへ戻る。
「あなたが魔女だからよ」
「ロザリーも魔女じゃん」
「だからよ」
ロザリーの声が少しだけ強くなった。
エルナは瞬きをする。
「あの人たちには、あなたのことを知られたくないの」
「なんで?」
長い沈黙。
ロザリーの手が、エルナの白銀の髪へ触れた。
「いいことにはならないから」
それ以上、ロザリーは言わなかった。
*
その夜。
エルナはなかなか眠れなかった。
いつもの寝床。
いつもの天井。
ロザリーが育てた木の柱。
何も変わっていない。
それなのに、昼間とは違う家みたいだった。
少し離れたところで、ロザリーが扉の鍵を確かめている。
一度。
それから、もう一度。
エルナは布の中からその様子を見ていた。
森の外に人がいることは知っていた。村があることも、街があることも、ロザリーが時々そこへ行くことも。
でも、森の外から来る人が、みんな同じではないことを、今日初めて知った。
それからもう一つ。
嫌だと言えば、やめてもらえる。
好きな人に触れられることは、怖いことではない。
ずっと、そういうものだと思っていた。
けれど、それが通じない人間もいる。
エルナは扉を見る。
昨日までと同じ扉だった。
ロザリーが育てた木でできた、丈夫な扉。
それなのに今日は、少しだけ薄く見えた。




