第125話 薬の届く先
「一昨日の傷のお薬ですが、あの晩は、痛みで目を覚まさずに眠れたそうです」
卓の向かいに座った医師の言葉に、ヴィオラの顔がほころんだ。
「そう。少しは休めたのね」
エルナも、隣のルークと顔を見合わせた。
一昨日、三人で作った薬だった。夜も痛くて眠れないと聞き、ヴィオラが夕方には届けたいと言っていた。
「よかったですね」
「ええ。知らせをもらえると、私も嬉しいわ」
雨の仕事に同行した翌朝だった。
帰ってからイネスに取り次いでもらい、今日はヴィオラのところへ伺う約束をしていた。案内された仕事場には、先に医師が来ていた。
医師は、持ってきた書付を卓へ置いた。
「それから、もう一人、ご相談したい方がいます。薬を出して様子を見ていたのですが、熱が下がりきらず、食事も十分に取れていません」
「どなた?」
「ヴェルナーさんです」
「あの、荷の手配をしている方ね」
「はい。地方へ送る食糧や資材を取りまとめておられる方です」
医師が、ここ数日の様子を話した。
熱が続き、頭や身体の痛みも強いという。昨日からは、食事もほとんど口にしていないらしい。
ヴィオラは書付を読み、それから顔を上げた。
「では、その方に会いに行きましょう」
「ありがとうございます。ご自宅へ、ご案内します」
「どのあたりへ荷を送っているんですか」
ルークが尋ねた。
ヴィオラが、そちらを向く。
「食糧が足りなくなっているところや、畑を続けるための道具が要るところへね。行き先ごとに、運ぶ人や便を探しているのよ」
ヴィオラは書付を医師へ返した。
「二人も、一緒に来る?」
「はい。お願いします」
エルナが答えると、ルークも頷いた。
*
馬車を降りた先は、通りから少し入ったところにある家だった。
戸を開けてくれた女の人が、ヴィオラを見ると頭を下げた。
「お越しいただいて、ありがとうございます」
「具合は、どうかしら」
「先ほども、お水だけ少し。食べるのは、まだ嫌だと言っていて……」
ヴィオラは頷き、エルナたちへ顔を向けた。
「今日は、手伝ってくれている二人も一緒なの」
挨拶をすると、女の人はこちらにも頭を下げ、奥の部屋へ案内してくれた。
寝台に横たわっていた男は、入ってきた人へ顔を向けた。
額に汗が浮き、目を開けているのもつらそうだった。
「わざわざ……ありがとうございます」
「お話は、横になったままでいいわ」
ヴィオラが寝台のそばへ椅子を寄せた。
医師が妻から今朝の様子を聞く間、男は一度目を閉じ、それから口を開いた。
「次の便は……もう、話がついているだろうか」
「昨日、代わりの方がいらしたでしょう。お願いしたことは、全部伝えてあります」
妻が、額の布を替えながら答えた。
「ああ……。そうだったな」
「今は、身体のことを聞かせて。いちばんつらいのは、どこ?」
ヴィオラに尋ねられ、男は眉を寄せた。
「頭が。それと、手足も、痛くて……寝返りを打つのも、つらいんです」
「そう。手に、少し触れるわね」
掛布の上へ出された手に、ヴィオラが自分の手を重ねた。
エルナは、少し離れたところからその姿を見ていた。
男が目を閉じる。
ヴィオラはしばらく手を添えていたが、やがて静かに離した。
「薬を作ってくるわ。できたら、また伺います」
妻が、寝台の脇から立ち上がった。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
*
仕事場へ戻ると、エルナはフードを下ろし、髪布と腕輪を鞄へ収めた。
手を洗い、卓へ戻る。
ヴィオラも前掛けをつけ、棚から小さな壺を取った。乾いた根を出し、葉の入った袋も、そのそばへ並べていく。
「今日は、この根も使うの。少し砕いてもらえる?」
「はい。それも、先ほど触れた時に浮かんだんですか」
「ええ。この組み合わせで作るわ」
エルナは渡された根を石の鉢へ入れた。
ルークは空いている器を寄せ、ヴィオラに確かめながら、使うものを卓へ揃えていく。
「ヴェルナーさんのお仕事も、ご存じだったんですね」
「前に、荷の手配の話を聞いたことがあるの。穀物を運ぶ途中で、道が使えなくなって、荷が止まってしまったことがあってね」
ヴィオラは葉を量りながら続けた。
「別の道なら通れるのだけれど、荷を全部まとめて運べるだけの便が、なかなか集まらなかったそうよ。それで、少しずつ別の便へ分けて積めるよう、手配したんですって」
「俺たちも、リゼルでは次の便が数日先で、歩いて出たんです。でも、穀物の袋を沢山運ぶなら、そうもいきませんね」
ルークが言った。
エルナは、砕けた根を器へ移した。
「食糧を送ると決めても、届かなければ困るでしょう。ああいう手配ができる人には、よくなってもらいたいわ」
ヴィオラが器を受け取った。
「あの方が元気になって、また働けるようになれば、この国のためになる。ユリウス殿下の助けにもなるわ」
炉の鍋へ、砕いた根が加えられた。
ヴィオラは中の様子を見てから、そばへ戻ってきた。
「それに、あんなに痛くて、食事も取れないままでは、つらいもの。少しでも食べられるようになってほしいわね」
「……はい」
エルナも残った根を確かめ、鉢の中の細かなものを匙で集めた。
煎じた薬を布で濾し、ヴィオラが器へ受ける。
濾した薬を混ぜ始めると、彼女から薬へ魔力が使われるのを感じた。
エルナは空いた道具を脇へ寄せ、そばで待った。
ヴィオラが薬を混ぜ終えると、魔力の動きも収まった。
「この薬は、一度飲めばいいわ」
少し冷ました薬を小瓶へ移し、ヴィオラが蓋をした。
使った材料と分量を書き留めている間に、エルナたちは道具を洗い、卓を片づけた。
ヴィオラは前掛けを外し、壁へ掛けた。
エルナは髪を布で包み直し、腕輪を戻した。
フードをかぶると、ヴィオラが小瓶を収めた籠を持ち上げた。
*
薬を届けた時には、医師もまた、患者の家へ来ていた。
ヴィオラは使い方を伝え、小瓶の薬を器へ移した。妻に起こしてもらった男へ、その器を渡す。
一口飲むと、男は顔をしかめた。
それでも、少し間を置いて、残りも飲んだ。
空になった器を、妻が受け取る。
三人は隣の部屋で席を借り、しばらく様子を見ることになった。
一時ほど経った頃、寝室から声が掛かった。
「先ほどより、ずいぶん楽になったそうです」
医師に呼ばれ、ヴィオラが立ち上がった。
エルナとルークも、一緒に部屋へ入る。
男は、重ねた枕へ背を預けていた。
先ほどより目が開き、こちらを見る顔から、強く寄っていた眉の皺がほどけている。
「頭の痛みは、どう?」
「だいぶ、楽です。手足も……さっきまで、あれほど痛かったのに」
男は掛布の上で、自分の手を動かした。
「熱も、落ち着いてきています」
医師が言った。
妻は寝台のそばへ座り直し、男の顔を覗いた。
「何か、食べられそう?」
男が少し考えた。
「……野菜のスープがいい」
「朝の?」
「ああ。まだ、残っているか」
「残してありますよ。温めてきますね」
妻が立ち上がると、男がもう一度声を掛けた。
「パンも、少し」
「まだ、スープも口にしていないのに」
そう返した妻の顔に、笑みが浮かんだ。
男も、少し口元を緩めた。
「まずは、少しずつにしましょう。何日も、十分には食べられていないのですから」
医師の言葉に、男が頷く。
妻は戸口へ向かいながら、ヴィオラを振り返った。
「朝は、匂いも嫌だと言っていたんです。鍋を近づけるのも、嫌がって……」
そこで言葉を切り、もう一度、寝台の方を見た。
「温めてきます」
そのあとを、エルナも手伝いを申し出て追った。
台所では、妻が鍋を火へ戻していた。
「あの人、これが好きなんです。パンを浸して食べるのが」
鍋の蓋を開けながら、妻が言った。
煮込んだ野菜の甘い匂いがして、エルナも中を覗いた。棚から器を下ろすのを手伝い、ルークには水差しを運んでもらう。
部屋へ戻ると、男は妻の手を借り、身体を少し起こした。
湯気の立つスープを口にし、ゆっくり飲み込む。
いく口か飲むと、男は枕へ背を預け直した。
まだ、身体には力が入らないようだった。それでも、妻が受け取った器へ目を向け、あとでまた飲みたいと言った。
「今日は、ゆっくり休んでください。明日も、様子を見に伺います」
医師がそう伝えた。
男は頷き、それからヴィオラへ顔を向けた。
「ありがとうございました。……食べたいと思えたのも、久しぶりです」
「ええ。おいしく食べられそうで、よかったわ」
ヴィオラは妻にも声を掛け、医師とこのあとのことを確かめた。
帰り際、戸口まで見送りに来た妻が、三人へ何度も頭を下げた。
*
王宮の仕事場へ戻ると、窓からの光が、朝とは違うところへ伸びていた。
エルナは外の装いを解き、髪布と腕輪を鞄へ戻した。
ヴィオラは今日の控えへ書き足し、紙を卓の端へ置いた。
ルークが籠を棚へ戻し、三人で小卓の椅子へ腰を下ろす。
「ヴィオラさんは、王宮へ来られた時から、こうして薬を作っていらしたんですか」
エルナが尋ねると、ヴィオラは首を横に振った。
「いいえ。最初は、何もしていなかったわ」
「お仕事を、ですか」
「ええ。人のために命を使うつもりはない。魔法は使わないと、殿下に伝えたの」
エルナは、今日作っていた薬を思い出した。
ヴィオラは、作ることをためらっているようには見えなかった。
「前には、薬を作れるなら、助けて当然だと言う人がいてね。断ると、私の方が悪いことをしているように責めるの」
ヴィオラが言った。
「薬を売って儲けようとする人も、言うことを聞かなければ、まともに住めなくしてやると言う人もいたわ。……だから、王宮の片隅で暮らせるなら、その方がましだと思ったのよ」
「殿下は、それでも、いいと……?」
「ええ。私が、どう暮らしたいのかを決めていいと」
昨日、イネスも言っていた。
王宮へ来た時、ユリウスから尋ねられたのは、これから何をしたいのか、だったと。
「それで、本当に魔法を使わずに過ごしていたの。薬を作らない日も、私にはここに部屋があって、食事があったわ。本を読んだり、薬草を見たりして暮らしていたのよ」
ヴィオラは静かに続けた。
「殿下の扱いも、変わらなかった。私が何もしない間もね」
「……魔法を使わないままでも、ここにいられたんですね」
「ええ。今だって、そうよ」
「周りの方も、何も言わなかったんですか」
ルークが尋ねた。
ヴィオラは、そちらへ顔を向ける。
「言ったわよ。魔女を王宮に入れるなんて、とか、国に仕えるなら成果を出しなさい、とか。でも、そのたびに殿下が話していたわ。魔女だって、この国で暮らす人なのだからと。それで、私の暮らしが変わることはなかったの」
エルナは、小さく頷いた。
使わなかった間も、という言葉が、エルナには残った。
「その間も、殿下ご自身は忙しくしていてね。地方から戻ったと思ったら、魔女の保護を申し出るために、また別の土地へ出かける相談をしていたり。水や食べ物が足りないところへの対応もあったわ」
ヴィオラの口元が、少し緩んだ。
「私には好きに暮らしていいと言った人が、本人は、ちっとも暇ではないのよ」
ヴィオラはエルナを見た。
「そういう姿を見ているうちに、私も、薬を作って力になりたくなったの。あの方のしていることが、この先も続いてほしくてね」
エルナは頷いた。
少しして、ヴィオラが椅子から立った。
卓の端で乾かしていた今日の控えを、棚へ収める。
「今日は、ここまでにしましょう。二人とも、夕食も一緒にどう?」
「はい。ご一緒したいです」
エルナが答えると、ルークも礼を言った。
ヴィオラは卓へ残ったものを片づけながら、続けた。
「イネスにも声をかけてみるわ。何が食べたい?」
尋ねられ、エルナは少し迷った。
「……スープが、気になってしまいました」
隣で、ルークが笑った。
「俺も、あれは気になっていました」
「では、野菜のスープを頼んでみましょう」
ヴィオラも笑って、棚の戸を閉じた。




