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雪の魔女は二度恋をする  作者: 冬灯
第7章 それぞれの魔女
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第123話 雨を待つ土地


 前日の夕方、宿にイネスからの知らせが届いた。

 村へ向かう馬車の出発時刻と、待ち合わせ場所の連絡だった。


 翌朝、その時刻に合わせて王宮の門へ着くと、馬車のそばにイネスが立っていた。

 淡い灰金色の髪を低くまとめ、肩には薄い外套を掛けている。


「おはようございます。昨日は、お知らせをありがとうございました」


 エルナが声を掛けると、イネスはこちらへ顔を向けた。


「おはようございます。どうぞ、先に乗ってください」


 イネスが、開いた馬車の戸へ手を添えた。


 髪を包む布も、左手首の腕輪も、いつものように身につけてきた。エルナはフードをかぶったまま、ルークと馬車へ乗り込んだ。

 御者が手綱を取り、護衛の兵が馬を寄せる。


 門を離れると、車輪が石畳の上で音を立て始めた。

 窓の外を行き交う人の向こうに、店先の荷を下ろしている姿が見える。通りを抜け、建物が少なくなるにつれて、道の両側に畑が広がっていった。


「今日伺う村へは、数年前にも雨を降らせに行ったんです」


 イネスが窓の外を見ながら言った。


「その時、畑を案内してくださった方がいて。あの年は、作物を諦めるしかないかもしれないと、おっしゃっていました」


「今日は、その方にもお会いできるんですか」


「ええ。池へ行く前に、畑を案内してくださるそうです」


 エルナは、道のそばの畑へ目を向けた。

 畝に沿って並ぶ葉の間から、乾いた土が見えている。人が屈んでいる一角では、桶から小さな器で水を掬っていた。


「水を運ぶだけでも、ずいぶんかかりそうですね」


「ええ。飲む水も、家で使う水も必要ですから」


 イネスも、同じ畑を見ていた。

 馬車が進むと、桶を置いた人の姿は窓の端へ遠ざかっていった。


     *


 村の入口には、何人かが出て待っていた。

 馬車が止まると、日に焼けた男がそばへ来て、深く頭を下げた。


「イネス様。お待ちしておりました」


「お久しぶりです。また、お世話になります」


 イネスが馬車を降りる。

 エルナとルークも続いた。


「今日は、こちらのお二人も一緒に見て回ります。畑のお話も、聞かせていただけますか」


「はい。私の分かることでしたら」


 男はこちらにも頭を下げた。

 挨拶を返すと、イネスが男へ尋ねた。


「前に見せていただいた畑は、今も続けていらっしゃるんですね」


「はい。あの年は、おかげさまで収穫できました。あれからも家内と二人で続けてきたんですが……今年はまた、雨が足りなくて」


 男は畑のある方へ目を向けた。


「池の水も、ずいぶん減りました。井戸からも回していましたが、そちらも水が下がってきて。飲む分は、残しておかないといけませんから」


「そうでしたか。畑を、見せていただけますか」


「はい。こちらです」


 男が先に立って歩き始めた。

 家々の間を抜けると、低い柵に囲まれた畑があった。畝の端に、空の桶が二つ置いてある。


「今年植えたのは、こちらです」


 男が柵の内側を示した。

 若い葉が、何列も並んでいた。葉のつけ根のあたりだけ、土の色が少し濃い。


「朝にも、水を?」


 イネスが尋ねると、男は頷いた。


「はい。少しずつですが。家内は、池の方へ行っています」


 エルナは畝のそばへ屈んだ。

 葉の端が巻いている株もある。茎を折らないように顔を寄せ、土の表面へそっと触れた。細かな土が、指の腹についた。


「植えた頃は、まだ池にも水があったんです」


 男の声に、顔を上げた。


「ようやく根づいてくれたものだから、どうにか残したくて」


 イネスは、並んだ苗の先まで目を向けていた。


「大事に、育てていらしたんですね」


「ええ。家内と毎日、もう少し大きくなってくれればと話しているんです」


 男は畑の向こうへ歩き、柵のそばの道を示した。

 池へは、そちらから行けるという。


「以前は、雨が降ると、池の水も戻っていたんですか」


 歩きながら、ルークが尋ねた。


「ええ。あのあとも雨は降って、池の水を回しながら畑を続けていました。今年は、その雨がなかなか降らなくて」


「今は、畑へ流すのも難しいんですか」


「はい。残りが心配で、なかなか。桶で運んで、欲しいところだけにやっています」


 道のそばに、浅い水路が続いていた。

 この先にある池から、畑へ水を引くためのものだという。

 底には乾いた葉や細い枝が溜まり、ところどころで土が崩れ込んでいる。


「獣の被害は、ありますか」


「山に近い畑では、鹿が入ったと聞きます。うちは、まだ。そちらの家の者なら、詳しく話せると思います」


 男は、村の奥の方を指した。

 ルークがそちらを見ている間に、エルナは水路の曲がりで足を緩めた。


 このあたりにも、濃く淀んだ魔力の感じがあった。

 畑の縁に立つと、それまで歩いてきた道よりも強く感じる。


 イネスも足を止め、エルナのそばで声を落とした。


「何か、感じましたか」


「はい。ここは、少し濃いように思います」


「私も、気になっていました。池のそばも、歩いてみましょうか」


 エルナは頷き、水路の曲がりへ目を戻した。

 道の端に、上の平たい石がある。雨のあとにも、ここへ戻ってみたかった。


     *


 水路をたどっていくと、土を掻く音が聞こえた。

 少し先で、女の人が鍬を使っている。そばの男が、掻き上げた土を道の外へ運んでいた。


「イネス様がいらっしゃったよ」


 案内の男が声を掛けると、女の人は手を止めて振り返った。

 鍬を置き、服の脇で掌を拭く。


「また来ていただいて、ありがとうございます」


「こちらこそ。前にも、お世話になりました」


 イネスがそばへ寄る。

 女の人は水路を見下ろした。


「池から水を流すところを、さらっておこうと思って。ここは、枝が引っかかりやすいんです」


 細い枝が、掻き上げた土の脇に重ねてあった。

 その向こうに、岸を低い草で縁取られた池が見える。


「俺も、手伝えますか」


 ルークが尋ねた。

 女の人は、そばの木に立て掛けてある鍬を見た。


「では、こっちの土をお願いできますか。少し先まで、底に溜まっていて」


「ここからでいいですか」


「はい。掻いた土は、水路から離して置いてください。また入ってしまうから」


 ルークは上着を脱ぎ、道具を収める小屋の軒下へ鞄と一緒に置いた。

 鍬を持って戻り、水路へ入れる。


「底は、このくらいですか」


「ええ。その先も同じくらいに。深くしすぎないでね」


 エルナも、土に混じった枝を拾い、そばの束へ重ねた。

 枝を取り除くと、その下から乾いた葉が固まって出てきた。


「ここを通れば、奥の畑にも水を回せるんです」


 女の人が言った。


「この頃は、桶で運ぶ方が多くて。家に戻ったと思うと、もう次を持っていく時間になってしまうの」


「あの苗にも、そうして運んでいたんですか」


「ええ。近いところから順にね。今日は、向こうまで流れてくれると助かるわ」


 ルークが土を掻き上げ、教わった場所へ寄せた。

 女の人がその先を確かめてから、隣でまた鍬を使い始める。


「池も、こちらから見られますよ」


 案内の男が、岸へ下りる道を示した。

 エルナは拾った枝を置き、イネスとそちらへ向かった。


 池の水面は、岸から離れていた。

 草の下には色の違う土が広く出ている。以前は、そこまで水があったのだという。


 こちら側の岸には、水路へ水を出す口があり、今は板で閉じてあった。

 向こう岸へ延びる溝は、周りに降った雨を池へ集めるためのものだと、男が教えてくれた。


 岸に立ってみると、ここでも淀みを感じた。

 池を離れ、草のある方へ歩くと、幾分薄くなる。それでも、何も感じなくなるわけではなかった。


「こちらは、さっきの水路のところより、薄い感じがします」


 エルナが小声で伝えると、イネスも周りを見た。


「ええ。少し歩くだけでも、違いますね」


 草地の脇には、小屋へ戻る細い道があった。

 ここからなら、先ほどの曲がりへも戻れる。エルナは道の先を確かめてから、イネスについて岸を上がった。


 水路では、ルークが鍬についた土を落としていた。

 そばの女の人が、さらったところを覗き込む。


「ありがとう。これなら、通りそうね」


「雨が降ったあとも、ここを見ていればいいですか」


「ええ。枝が流れてきたら、よけてもらえると助かるわ」


「分かりました」


 ルークは、使った鍬を水路の脇へ置いた。

 エルナも鞄を小屋の軒下へ移し、手についた土を払った。


「奥の畑にも、お願いできますか」


 女の人がイネスへ尋ねた。


「はい。あちらの畑まで、一緒に降らせますね。池へ集まってくるあたりにも」


「ありがとうございます。では、向こうにも伝えてきます」


 女の人が畑の方へ歩いていく。

 案内してくれた男も、水が入ってから畑へ回す順を、もう一人と確かめ始めた。


 エルナは、池から畑までを見渡した。

 自分が冷やす時には、もともとある熱を、別のところへ移す。雨の水は、どうしているのだろう。


「雨にする水は、どこから来るんですか」


 イネスがこちらを見た。


「水は、私が生み出しているんです。周りから、集めているわけではなくて。自分の知っているところで、どこに降らせるかを思い浮かべます」


 エルナは、もう一度池へ目を向けた。

 今、そこにあるものを動かす自分の力とは、違うのだ。


 イネスは、小屋の軒先から畑を見た。


「初めは、少しずつにしますね。水路の様子も、見ながら」


 ルークも上着を小屋の奥へ寄せ、畑の方へ顔を向けた。

 先ほどの女の人が、離れたところにいる人へ声を掛けている。返事をした人が、畝の間から道へ上がった。


     *


 足元の土に、小さな丸い跡がついた。


 エルナが見下ろす間に、もう一つ増える。

 軒先へ手を出すと、手の甲にも冷たいものが当たった。


「降ってきた」


 ルークが空を見上げた。

 池の水面にも、細かな輪が広がり始めていた。


 雨粒が葉を打つ。

 小屋の屋根で、ぱらぱらと音がした。間を置いて聞こえていた音が、少しずつ重なっていく。


 イネスは畑を見ていた。

 そのそばで、魔力が使われているのを感じる。


 エルナは軒先に立ち、雨の落ちる先を見た。

 乾いて白っぽかった土に、濃い色が広がっていく。葉の上に溜まった雫が、茎を伝って落ちた。


 畑の向こうで、声が上がった。

 女の人が両手を広げ、こちらを見て笑っている。


「降ってます。こっちまで」


 イネスが、そちらへ頷いた。


 しばらくすると、池の岸から、そろそろ流すぞ、と声が掛かった。

 男が出口の板を持ち上げると、池の水が水路へ流れ出した。


 ルークは小屋の軒を出た。

 水路のそばへ戻り、鍬を手に取る。エルナも鞄を置いたまま、水路のそばへ出た。


 水路の底では、雨に打たれた葉が土に張りついていた。

 池から来た水がその間を通り、畑の方へ流れていく。


「エルナ、その枝、取ってもらえる?」


 ルークに言われ、エルナは足元へ引っかかっていた枝を持ち上げた。

 ついてきた葉も一緒に脇へ置くと、水がその先へ流れた。


「通った」


 そばの男が、流れの先を追った。

 ルークも鍬で葉をよけ、道の上へ掻き上げる。


 エルナは、水路の向こうの畑を見た。

 先ほど屈んで見た苗も、雨の中にあった。葉が雨粒に揺れ、その下の土も濡れていく。


「これで、今日は奥まで運ばずに済みます」


 戻ってきた女の人が、濡れた額を拭った。

 その声を聞いて、エルナも嬉しくなった。


 朝に運んだ水の跡は、苗のつけ根の小さなところだけだった。

 今は、その間の土にも雨が落ちている。


「よかったですね」


「本当に。あの苗も、ようやく育ってきたところだから」


 女の人はもう一度畑を見てから、案内してくれた男の方へ歩いていった。

 ルークが、そのあとに続く。水路の先で、畑へ水を入れるところを、一緒に見てくるという。


 エルナは、小屋の方へ戻った。

 フードの端から、雫が落ちる。


「水が、通り始めました」


 イネスへ伝えると、青緑色の目がこちらを見た。


「よかったです。池の方も、見ていてくださるそうですから。もう少し、このくらいで降らせますね」


 イネスは、また畑へ顔を向けた。

 雨は、同じ調子で降り続いている。


 そのそばでは、今も魔力の動きが続いていた。


 エルナは、彼女の横顔を見た。

 この雨が続く間も、イネスは自分の命を使っている。


 水路の向こうで、ルークが手を上げた。


「奥にも、流れてきました」


「はい。ありがとうございます」


 イネスの口元が緩んだ。

 エルナも、その隣から畑の方を見た。


 さらった溝を、水が流れていく。

 先ほどまで乾いていた曲がりを越え、その先の畑へ、少しずつ届いていた。




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